続・蛙独言

ひとりごと

(暫定)「神戸の事情」 1

2010-02-05 18:57:10 | 日記
「すまじきは宮仕え」という〈ことば〉もある。
「官」にしろ「民」にしろ、そこで「働き人(はたらきど)」として勤めるということは、「意に沿わぬ」こともしなければならぬことになるということだろうか。
蛙の場合、「意に沿わぬ」ことは決してしないという方針を貫いてきたから、いつも上司と衝突ばかりの人生だった。
それで通って来たのだから恵まれた境遇だったという外ない。
あと一年数カ月で「完全年金生活者」という予定。
ツレアイは「アル中で死んでしまうんでないか」と心配しているが、ちゃんと「日課」をたてて「勉強三昧」な「余生」ということにしたいと思う。
だいたい、「働き人」などをやってると、なかなか時間がとれなかったんだね。
「神戸の解放運動」について、何がしかの「こと」を書き残しておきたい想いはずっとあったのだけれど、「史料」を収集し整理し評価する、そういう「時間」は無かった。
も一つ、蛙の場合、最も重大な場面にいつも居合わせていなかったので、「そのこと」を書き記す「資格要件」に欠けるということもある。
この〈シリーズ〉は、大雑把な流れを概括するということになる。(「馬から落馬」みたいな言い方だけど)。
勿論、「蛙の主観」ということだから、客観的な批評に耐えるような〈もの〉は後日ということになる。
それで、きちんと自信を持っての発言とまではいかないから、取り敢えず(暫定)ということだ。

まず「時代」。
蛙は、この時代に勿論生きていないのだから「記録を読んで」という話だが、神戸の場合、いくつかの地区で「」は組織されているし、「大会」での「発言記録」にも「よく知っている名前」が確認できる。
この「時代」について、西田秀秋先生が編んだ「本」もある。
「内容」は「差別に当時の人々がどのように抗してきたか」というようなことだろう。

「よく考え抜いた結論」ではないが、神戸では「」より「融和会」運動の方が優位だったのではないかと蛙は考えている。
「大正末期から昭和初期」にかけてのウチのムラの「水利権闘争」などは特筆されるべき優れた闘いだったが、その成果は「反」であることによって「権力の譲歩」を勝ち得たのではないかなどと思ったりしている。

神戸の場合、戦後、「解放委員会」から「解放同盟」への全国的な流れには乗りきれていないのではないか。

全国的レベルで神戸の運動が注目されるのは、1968年以降ということになるのではなかろうか。