続・蛙独言

ひとりごと

「ネット」上での発言について

2010-02-26 19:34:20 | 日記
よく分からんのじゃけど「胸を張ってふるさとを名のれるように」という表現自体、「今はでけない」みたぁな話なんだから、自身の出自を卑下している姿勢なんでないかしらん。
蛙のスタンスとしては、別に「わし、〈〉でんねん」なんて、どこでもかしこでも、わざわざゆうて回るようなことなどないってことになる。
それは状況とか場面次第だね。
ひとつには、蛙の場合、神戸では「知らぬ者など誰もいない」〈被差別〉の〈ど真ん中〉に住んでおるわけだから、「あんた、どこ住んどってん?」って聞かれたら我がムラの名をゆうだけのことで、きっちり「差別に抗して生きる」ことを選択した人間なら、抵抗もなくできる芸当だね。
その心情ということでいえば、例えば、よう分からんというのも何だけど、蛙は「岸和田のだんじり祭り」って素敵だなぁなんて思ってて、一年の稼ぎを全部「祭り」に突っ込んじゃうとか、「祭り」で「死んだってちょっとも構やしない」とかいう心意気、凄いなぁって思ってるわけで、「あんた、どこ住んどってん?」って聞かれて「わしゃ岸和田じゃがな」なんて答える気分、メッチャいいよねって思うんだよね。
蛙が馬鹿だからそんな風に思うんじゃろうけど。
問題は、「差別に抗して生きる」ってゆうような「生き方」の選択をし切れていない人の場合だわね。
「差別教育」の故に「負のイメージ」に囚われきっている場合は「我がムラ」の名を言えず口ごもることになる。
また、ムラを出て暮す人々も、この「負のイメージ」を払拭し切れていないことの方が多くて、出自を曖昧な表現で誤魔化し「誤魔化した」という意識によって自らが傷ついてしまうことがよくあるんだ。
ウン。
蛙のブログのルールでは「絶対必要」でない限り、具体的な地名は表記しないことにしてる。
自分としては「書いてもいい」んだけど、ウチのムラの人たちは「今のところ」それを望んではいないようだからだ。
ブログは、その影響がどのように及んでいくかは誰にも分からないので、これは仕方ない選択ということになる。
ブログに書いた「ことば」が、どんな風に読まれて、どんな風に「利用されて」いくか、皆目、見当もつかないからね。
膝つき合わせて、一杯やりながら、なんて場面なら、好き放題なこと言えるけど、ネット上の表現って難しいと思う。