続・蛙独言

ひとりごと

今日は2本目だけど

2009-11-08 18:11:44 | 日記
「黒川みどり」批判ということが念頭にあるのだけれど、読みかけている「本」が実に読みづらいので、なかなかページが進まないんだね。
向学さんからは、ちと「せっつかれてる」って感じで、お互い「残された時間」も少ないんだから「頑張ってよ」って気持も分かるということはあるけど…
もともと蛙は「学校教育」でも「社会科」ってのが大ッ嫌いだった。
それが「受験」の「ためだけ」のものだったのだから当然な話だったんだけど、出会った「教師」のせいってこともあるんだろう。
狭間先生や石塚先生のようなら、も少し違ったかも知れない。
ほいで、それだから、その「反動」か知れないけど、蛙は「科学少年」として育ったわけで、今でも「量子力学」とか「宇宙論」、「生命科学」といった方面、そういうのを勉強してるのが「至福の時」ってことになってる。
そんな話なら3時間でも4時間でも喋ってて飽きないだろうね。
で、そういうのって「実生活」の場面で殆ど役に立たないんだわ。
(全くってわけじゃない。自身の実践面での考え方において「方法」として随分力になっていると思ってはいるけれど。)
蛙が最も尊敬しているのは花崎晃平さんなんだが、それは「何故か」といえば、自分の「思想」「学問」と自分が毎日生きている「実生活」とを「ひとつこと」として追求されておられるからだね。
黒川女史に限らず、「部落史」を「専門」とする「全ての学者」においては、蛙が見てきた限りには、「未来を切り開いていく実践活動」と切り離されて、「学問は学問」という立場が宣言せられているかのようだ。
「そんなものはクソの役にも立たない」ってのが蛙の立場で、向学さんの場合、「そりゃ『学問』としても事実に反するし、却って『差別』の拡大再生産につながるんではないか」ってことになるらしい。
蛙は「読了後、まとめて」って考えているわけで、今のところ、著書の五分の一くらいなんだけど、三重の「歴史的事実」の「検証」ということらしいが、「博士課程」の「論文」ということでは(蛙には縁のない話だけど)微に入り差異を穿つものとして「高得点」を得ることはできるのかも知れないと思う。
で、蛙の場合、「それに何の意味があるの?」って根本的な疑問があるわけだ。

現在の「学」自体に対する「絶対的な不信」ということだね。

重要なことは「世界の解釈」でなく「世界の変革」ってことだと思う。

「ことば」 2

2009-11-08 11:44:43 | 日記
「ことば」はまず最初には「家族」から受け渡される。「母国語」ではなく「母語」と呼ばれる由縁だ。
次には、所属する比較的小さな「共同体」ということになるが、それは一昔もふた昔も前のことで、現在では、その「共同体」は「解体過程」にあるように思われる。
決定的なのは「テレビ」の登場だろう。
そして「公教育」。幼保・小中高、大学まで含めて、「徹底的に管理された体制」の中で、「ことば」が個人の中に「完成」されていく。
それは単に「語彙」が獲得されていくばかりではなく、その「時代」の「規範・価値基準」、「文化の総体」が「強制される同意」として内面化されることでもある。
「明治」からの、もっと端的にいえば、あの「太平洋戦争」の時代における「皇国史観の強要」は今でも「意識的」「無意識的」を問わず、この「国」の人々を呪縛し続けている。

「ことば」の獲得過程は、「外部」からそのようなものとして「与えられて」いくことになるわけだが、勿論、これは一方通行的なものではない。
最近、「ミラーニューロンの発見」が話題になっていたりするから、その辺りも少し勉強しなくてはと考えているが、いづれにしろ、「外部」からの情報を「処理する」主体の側の「自由度」ということがある。
「主体」が「それ」を「自分のもの」として受け入れて初めて「内面化」するのであるから、そこには「受け入れさせる側」の「暴力」を含む「強制力」が働くし、「それ」を拒否しようとする「情念」もまた成立する。
それだから「自由度」ということに注意が払われなければならない。
あの「戦時下」を考えれば、支配者の側がどれほど「教育(学校でも軍隊でも社会全般にわたっても)」に力を入れ、「ことば」をそのような「もの」として組織してきたかは分かりやすいだろう。
今は「戦時下」ではないと多くの人々は考えているが、多少、緩慢化したとはいえ、その「内実」は変わってはいない。
「学校の規律」などを諸外国と比較すれば明らかだ。

「解放運動は教育に始まって教育に終わる」といわれてきたが、蛙に言わせれば「自分で自分の言っている意味が理解できていない」ということになる。
どちらかといえば「教育格差の克服」ということに重点があったのではなかろうか。
それはそれで重要な話だし全く意義がなかったとは思わないが、それだけでは直接には「解放」に結び付くものではない。
運動の成果の中で「識字」が果たした役割は大きなものだったと思うが、それは「学校にも行けず、字も読めないままに生きてきた」ことが「差別の結果」だったのだという自覚にたどり着けたこと、そこから「反転」して奪われて来た「人間としての誇り」を取り戻す「新しい生き方」を選び取ることができたのだということ、そういう意味だったのだと思う。
ウチの支部のTさんは「字ィ覚えても、それが字ィ知らん人、馬鹿にするようなことになるんやったら、そんなもん、せん方がえぇんやッ」って言っていた。

「ことば」を「獲得」していく過程に、もっと注意がはらわれなければならない。