「反貧困」(湯浅誠・岩波新書)は是非読んでおかなければ、なんて思ってたんだけど、蛙が本屋を覗く度に縁が無いというか、なかなか手に入らなかった。いくらでも方法はあっただろうけれど、多分、書かれている内容は蛙の想像の範囲内のことと考えていて、「いつでもいいやッ」ってくらいな気持ちだった。
漸く巡り合えて読み終ったところなんだが、その「頑張り」とか「思想性の高さ」とか、想像の範囲内とはいえ、なかなかなものだったと思う。
例えば「多重債務問題」や「生活保護申請相談」など、蛙が取り組んできた「仕事」と少しは重なるが、そのスケールの大きさとか「意味の違い」など、考えさせられることが多かった。
「福山全研」で「差別・貧困・格差を打ち破る・・」という三つの語句がかくも簡単に並列されることに違和感を覚えたと記したが、「ここ」は難しい話になる。
蛙は自分でも思うのだけれど、悪く言えば「第一主義・排外主義」の傾向が無きにしも非ずというところがある。
「内向き」なんだ。
「自分のムラ」や蛙の手の届く「範囲内」でパーフェクトを目指そうとしてきたのだから、いた仕方ないということもある。
ただ、自身の行為の意味を、世界―日本経済、或いは社会史的な中で、考えていかなければならないとは思っていた。
「差別」と「貧困」とは「次元」の違う「問題」であり、「格差」とは「二種類の問題」なのだということも思う。
それらの構造的な連関を解き明かしていく作業は手順に上っていない。
今のところ、「派遣村に荊冠旗がたつことは無かった」し、「派遣村」には「マイノリティ問題」を考える余裕など無かったのだけれど、それなりに「力」を蓄えてきた「解放運動」の側から「次元を超える取り組み」があってしかるべきだろうし、蛙も何がしかの努力はしていかなければなるまいとも思う。
漸く巡り合えて読み終ったところなんだが、その「頑張り」とか「思想性の高さ」とか、想像の範囲内とはいえ、なかなかなものだったと思う。
例えば「多重債務問題」や「生活保護申請相談」など、蛙が取り組んできた「仕事」と少しは重なるが、そのスケールの大きさとか「意味の違い」など、考えさせられることが多かった。
「福山全研」で「差別・貧困・格差を打ち破る・・」という三つの語句がかくも簡単に並列されることに違和感を覚えたと記したが、「ここ」は難しい話になる。
蛙は自分でも思うのだけれど、悪く言えば「第一主義・排外主義」の傾向が無きにしも非ずというところがある。
「内向き」なんだ。
「自分のムラ」や蛙の手の届く「範囲内」でパーフェクトを目指そうとしてきたのだから、いた仕方ないということもある。
ただ、自身の行為の意味を、世界―日本経済、或いは社会史的な中で、考えていかなければならないとは思っていた。
「差別」と「貧困」とは「次元」の違う「問題」であり、「格差」とは「二種類の問題」なのだということも思う。
それらの構造的な連関を解き明かしていく作業は手順に上っていない。
今のところ、「派遣村に荊冠旗がたつことは無かった」し、「派遣村」には「マイノリティ問題」を考える余裕など無かったのだけれど、それなりに「力」を蓄えてきた「解放運動」の側から「次元を超える取り組み」があってしかるべきだろうし、蛙も何がしかの努力はしていかなければなるまいとも思う。