「キンモクセイ」・・・近年、非常に人気が高く、メディアの露出も多い花だとか。
この花、色々と謎があるそうです。
そこで、この花の謎に関する記事を御紹介します。
記事(2020年10月9日 tenki.jp)によると
『◆キンモクセイは中国原産?ほんとにホント?
キンモクセイ(金木犀 Osmanthus fragrance Lour. var. aurantiacus Makino)はモクセイ科(Oleaceae)モクセイ属に属する常緑小高木で、ジンチョウゲ、クチナシとともに俗に「三大香木」とされ、甘く強烈な花の芳香が特徴です。かつては、キンモクセイの強い芳香による消臭効果を期待して、汲み取りトイレの近くに植えられることが多く、トイレの消臭剤もキンモクセイを模したものが主流でした。そのせいもあってか、熟年世代にはあまりよいイメージがありません。それに対し、そうした記憶のない若い世代ほどキンモクセイを好む傾向があるようです。
モクセイ属は、秋から初冬にかけて、常緑の枝いっぱいに四弁の小花をつける小高木、または高木で、学名Osmanthusは薫り高い花という意味になり、世界に約20種、日本にはヒイラギ(柊 Osmanthus heterophyllus)、シマモクセイ(島木犀 Osmanthus insularis Koidz.)、リュウキュウモクセイ(琉球木犀 Osmanthus marginatus)など7~8種が、寒冷地をのぞく温暖地から亜熱帯域にかけて自生します。
モクセイ属の基準種であるギンモクセイがキンモクセイの原種とされ、ギンモクセイは中国から15世紀後半頃に伝来したと考えられていて、在来のヒイラギとギンモクセイとの交雑種「ヒイラギモクセイ」も比較的よく見かけます。
キンモクセイについては中国原産で江戸時代初期に雄株のみが渡来し、全国に挿し木で増やされた、という説明が多く見られますが、渡来の根拠となる資料は見つかりません。
同じ種であるギンモクセイがわずか半世紀前に雄株雌株ともに移入しているのに、キンモクセイは雄株のみが渡来した、というのはなんとも不自然な話に思えます。
”和漢三才図会”(寺島良安 1712年)の「木犀花」の項の解説では、木犀には白花をつける銀桂、黄花をつける金桂、橙色の花をつける丹桂の三種類があり、わが国で見られるのはこのうち銀桂のみである、と記されています。また、同時期の”広益地錦抄(こうえきじきんしょう)”(伊藤伊兵衛 1719年)では、丹桂について下記の記載があります。
丹桂(たんけい) はなも木も木犀にて 花の色柿紅いろ丹のいろなればとて丹桂といふなり もくせいを桂ともいへばなり 花ひらくとき薫香白花のもくせいより深く匂おとせり
ここでわかるのは、この時期、中国ではギンモクセイの変種である「丹桂」は品種成立していたが、日本に実物が渡っていたかは不明、ということです。一方でギンモクセイのことは当時はシンプルに「木犀」と呼んでいたことがわかります。
◆「金」木犀と呼ばれたのは黄色い花のウスギモクセイだった?
花色が白から黄色に変化するスイカズラを別名「金銀花」と呼んだり、キンラン属に属するランの仲間では、黄色の花をキンラン、純白の花をギンランと言います。また、水仙の別名「金盞銀台」では、黄色の内唇弁を金、白い外唇弁を銀に見立てました。このように、花色の金・銀の組み合わせは通常、黄色と白になります。花ではありませんが赤みを帯びたフナの栽培種を「金魚」とも言いますが、この名がついた当初は色は黄や金に近く、かつ高価で金がかかることから「金魚」と名づけられたという経緯があります。
つまり、本来「金木犀」とは、花が黄色であると考えるのが自然でしょう。
熊本県や鹿児島県の自然林に多く自生するウスギモクセイ(薄黄木犀 Osmanthus fragrans var. aurantiacus f. thunbergii)は九州地方でかつて盛んに庭木として植えられており、九州、とりわけ熊本県近辺ではこれを「金木犀」と呼んでいた歴史があります。
このウスギモクセイの栽培種は、他の地域にも植栽されていき、静岡県の三嶋大社の境内には、樹齢1,200年、昭和9(1934)年に国の天然記念物に指定された「三嶋大社の金木犀」があります。この「金木犀」はウスギモクセイです。
樹齢から考えても、日本列島の温暖な地域には、ウスギモクセイが広く分布していたことがわかります。後にギンモクセイ(銀桂)が中国から伝わると、白花のギンモクセイに対して、在来のウスギモクセイを「金木犀」と呼ぶようになったのではないでしょうか。
つまり、ある時期までは(おそらく高度成長期以降に都市の公園や住宅地に現在のオレンジ色の花のキンモクセイが植栽されるまでは)、日本の在来種であるウスギモクセイの栽培株を「キンモクセイ」(以下、元祖キンモクセイ)と呼んでいたと考えられます。後に東京から栽培種である今のキンモクセイが移入されて主流になると、九州の植木職人はこれを「江戸金」と呼んで区別したようです。
日本の近代植物学の権威である牧野富太郎博士は、「金木犀」「薄黄木犀」の名付け親ですが、丹桂は明治35(1902)年に渡来した、と言っています。全国の植物を網羅・ハントしていた牧野博士が、「中国渡来のキンモクセイ=丹桂」がもし日本に既に普及していたら見逃すはずもないでしょうから、実際丹桂が渡来したのは明治時代の末期なのでしょう。この中国の丹桂=今の日本のキンモクセイ、というのが通説です。
しかし、中国の丹桂と日本のキンモクセイでは、花色相違(丹桂のほうが赤みがより強い)や、香りの違い(日本のキンモクセイは、丹桂ではなく金桂に近い香りといわれます)があり、別変種の可能性も否定できません。そう考えると、今私たちが「キンモクセイ」と認知している、キャロットオレンジの花のキンモクセイの起源は、
・ウスギモクセイを栽培するうちに、花色の赤みが強く変異した個体を挿木してクローン栽培した。
・明治期に渡来した金桂または丹桂を、接木、または挿木で栽培した。
のどちらかかなのですが、どちらも根拠となる資料が乏しく、断定するには至っていません。ですが、単純にキンモクセイを「中国原産」と明言するのは誤りのように思います。
また、日本在来の、薫り高く花も一回り大きな「元祖キンモクセイ」があるということを、是非知ってほしいところです。
◆月に生えるモクセイの巨木伝説。その色は…?
一方、中国でも「金」になぞらえられるのは、丹桂ではなく、黄花のモクセイ(金桂)でした。中秋の名月頃、月に生える桂花の巨木が花をつけ、その花色が月を金色に染めるという伝説があります。この桂花も金桂です。
後漢時代の”五経通義”(劉向撰)では、月に玉兎というウサギと、一匹の蟾蜍(ヒキガエル)が棲んでいると伝えられています。ウサギのほうは日本では餅つきウサギとして有名ですが(中国では薬草を突き砕いている)、ヒキガエルは射日神話(太古、複数あった太陽が弓で射落とされる、世界に広がる神話類型)の羿(げい)の妻で、夫を裏切り月の宮に逃亡した嫦娥(じょうが)が醜いヒキガエルに変じた、という神話(嫦娥奔月)から来ています。
また、”酉陽雑俎”(ゆうようざっそ 860年頃)には、こんな話が載っています。
「月の中には一本のモクセイの樹がある。高さ五百丈というとてつもない大木で、その樹の根元には呉剛(ごごう)という一人の美男がいて、たえずその樹を切り倒そうと斧をふるっている。しかし不思議な生命力で、樹は傷つけられた箇所がとたんに癒合してしまうので、いつまで経っても切り倒すことが出来ない。呉剛はもともと西河の人で、仙術を学んでいたがあるとき、師である仙人の怒りを買い、「月に生える大木を切り倒すまでは帰ってくるな」と命じられ、いつまでも樹を切り倒そうと苦闘しているといわれる。」
こんな呪われた呉剛と嫦娥が、別の伝説では月に棲む男神と女神に変じます。
「秋の夜、月に棲む嫦娥は宮殿から下界を見下ろしていました。美しい湖に月光が映えて非常に美しく、気分がよくなった嫦娥は舞いを舞い、夫の呉剛はそれにあわせて桂花の木の幹を打って合いの手を入れました。すると木の枝から大量の花と実が零れ落ち、地上にも落ちていきました。花の実はその地で根付いて、地上にも桂花の木がもたらされることになりました。」
この桂花の根付いた場所こそ、今の桂林(中華人民共和国・広西チワン族自治区桂林市)である、とされています。桂林は大河と石灰岩の奇岩がおりなす山水画そのものの風光明媚な地としてきわめて有名で、温暖湿潤な気候に恵まれた市内には40~50万本ともいわれる桂花(モクセイ)が生育し、花期には甘い花の香りで満たされるそうです。
一度は花期に訪ねてみたいものです。
秋の名月を眺めながら、その月面に咲くモクセイの花色を、想像してみるのもまた、楽しいかもしれません。
(参考・参照)
中国神話伝説集 松村武雄 編 社会思想社
広益地錦抄 伊藤伊兵衛
和漢三才図会 下之巻 寺島良安 (尚順) 編
三嶋大社の金木犀』