7月16日(昨日)は『駅弁記念日』でした。
「元祖森名物 いかめし」「峠の釜めし」「牛肉どまん中」・・・
そんな駅弁にも、ひと折15万円(税込み16万2000円)の駅弁があるそうです。
そこで、駅弁に関する記事をご紹介します。
「元祖森名物 いかめし」「峠の釜めし」「牛肉どまん中」・・・
そんな駅弁にも、ひと折15万円(税込み16万2000円)の駅弁があるそうです。
そこで、駅弁に関する記事をご紹介します。
記事(2019年7月15日 tenki.jp)によると
『◆駅弁の甲子園とは?
スーパーやデパートでも、「駅弁フェア」などと銘打って、地方各地の駅弁が売られています。
有名なところでは、京王百貨店新宿店で毎年1月に行われる駅弁イベント、『元祖有名駅弁と全国うまいもの大会』。
同百貨店では最大規模の催事であり、当イベント期間中の土・日曜日の来店客数は、百貨店が一年で最も集客する初売り日(多くは1月2日)を上まわることもあるといわれるほどの一大目玉イベントとなっています。
京王百貨店新宿店で催される『元祖有名駅弁と全国うまいもの大会』は、各地で開催される「駅弁大会」の代表格であり、その規模・内容から「駅弁の甲子園」ともいわれ、阪神百貨店の『阪神の有名駅弁とうまいもんまつり』とあわせて、“双璧”と呼ばれることもあるようです。
その始まりは1966年。『第一回有名駅弁と全国うまいもの大会』として開催され、第1〜20回は駅弁の種類は30〜40種類で推移したのが、現在では150種類前後までに増えているということです。
まさに甲子園の地だけあり、激戦ですね。
◆「普通弁当」「特殊弁当」……とは?
1885年7月16日、半官半民の日本鉄道によって大宮~宇都宮間が開業します。
宇都宮市で旅館業を営んでいた白木屋嘉平が、たまたまその旅館に宿泊していた日本鉄道の重役の薦めで、黒ゴマをまぶした梅干入りの握り飯2個とたくあん2切れを竹の皮に包んだものをホームで販売したのが日本初の駅弁とされ、7月16日は「駅弁記念日」となりました。
ちなみに、値段は5銭(今のおよそ600円)で、高いと不評だったそうです(「大阪(梅田)駅」や「神戸駅」「上野駅」など、これより早く駅弁が販売されていたとする諸説あり)。
ごはんにおかずを添えた最初の幕の内弁当(折詰弁当)は、1889年に姫路駅で発売されたといわれます。
従来の竹の皮包みのものが経木(きょうぎ=スギ・ヒノキ等の材木を紙のように薄く削ったもの。食品を包むのに使う)の折に変わり、白米飯に、肉・魚・かまぼこ・伊達巻・きんとん・漬け物を詰めたものでした。当時は「普通弁当」と呼ばれ、「卵焼き・かまぼこ・魚料理」は普通弁当に欠かせないおかずとされ「三種の神器」と呼ばれました。
「普通弁当」に対して、カニ、エビ、サケ、肉……など、1種類の食材をメインにする駅弁は「特殊弁当」と呼ばれ、その土地土地の名産品を主役にした特殊弁当が発展していきます。
長い長い鉄道の歴史と駅弁は切っても切れない関係にあります。当初は列車のホームでの停車時間も長く、列車の窓越しに駅弁を売り買いしていたというのだから驚きますね。
駅弁の車内販売は1935年から始まり、高度経済成長期の1966年に東京高島屋で開催された『お国自慢全国うまいもの有名駅弁大会』が大当たりし、駅弁ブームが始まりました。
◆弁当箱は日光彫、最高級の駅弁「日光埋蔵金弁当」とは?
ではここで、日本一、あるいは世界一かもしれない最高級の駅弁、「日光埋蔵金弁当」をご紹介しましょう。
気になる中身は……
・日光鱒(ます)寿し
・日光姫寿し
・ばらちらし(北海道産たらばがに使用)
・ステーキ(A5 ランク とちぎ和牛ヒレステーキ)
・車海老の塩焼き(九州産車海老使用)
・キャビア(ロシア産)
・揚巻きゆば(日光市 松葉屋 国産大豆使用)
・日光刺身ゆば(日光市 松葉屋 国産大豆使用)」
・漬け物(日光市 けっこう漬け)
・日光鱒(ます)寿し
・日光姫寿し
・ばらちらし(北海道産たらばがに使用)
・ステーキ(A5 ランク とちぎ和牛ヒレステーキ)
・車海老の塩焼き(九州産車海老使用)
・キャビア(ロシア産)
・揚巻きゆば(日光市 松葉屋 国産大豆使用)
・日光刺身ゆば(日光市 松葉屋 国産大豆使用)」
・漬け物(日光市 けっこう漬け)
製造元は日光鱒鮨本舗。発売を開始した2006年から中身は基本的に変わっていないとのこと。中身が豪華なのはもちろんのこと、容器と箸にも江戸時代から伝わる日光彫の名品を使っているそうです。
15万円の価格の内訳は?
・食材費が5万円
・日光彫の容器代が12万円
・食材費が5万円
・日光彫の容器代が12万円
驚くほど高価ですが、ひとつ売ると2万円の赤字になり、利益はまったくなし。食材の北海道産タラバガニが高騰したときには赤字はさらに膨らんだものの、「お客様サービスの一環として行っているため今後も製造を止めるつもりはありません(日光鱒鮨本舗の代表、田村公一さん)」とのこと。
「日光埋蔵金弁当」が誕生した経緯は?
田村さんが東京から日光に移り住んで鱒寿司の製造を始め、商売が軌道にのるにつれて、栃木県内の職人さんたちと知り合うようになったそうです。田村さんはもともと、日光を盛り上げる「夢のような駅弁」を作りたいという気持ちが強く、職人さんに協力を呼びかけてみたところ、利益度外視で手伝ってくれることになった、と……。
最初に作った弁当は、容器が桐タンスをイメージした三段構造のもの。下段にミニチュアサイズの市松人形や茶器、真ん中には益子焼の器にのった日光の刺身ゆば、上段には鱒寿司などを入れた、ということです。この駅弁は、5万円のものを1999年2月に20折限定で発売し、即日完売 ── まさしく、夢のような駅弁ですね。
日光彫の弁当箱について……
現在「日光埋蔵金弁当」は予約販売のみ。日光市内にある道の駅、または日光鱒鮨本舗に直接連絡して予約。
日光彫の弁当箱は日光市内の職人に発注し、製作は彫りに1〜2カ月、漆塗りに1カ月程度かかるそうです。彫りのデザインもひとつずつ異なり、彫りの具合によっては田村さんが返品することも。容器が出来上がれば田村さんが写真を撮って客にメールで送り、納得してもらってから購入を決めてもらっているということです。』