hasyan の 旅の散歩道

元気な間に余暇を通じてドライブなどで得た、行き先々の身近な風景・
神社仏閣・史跡・花の写真などをお伝えします。

松風村雨の姉妹と在原行平  2009.01.29

2009年01月29日 15時05分59秒 | 神社・寺院
今回は、平安時代初期の弘仁9(818)年生まれの 在原行平(ありわらのゆきひら)で、
 在原業平の兄にあたります。在原行平の人物の史跡を少し歩いて見ます。

  所在地  松風村雨堂  神戸市須磨区離宮前長丁目3

在原行平は阿保親王の子で、ある事件から都を離れ須磨に流され淋しい生活を送っていました。
 ある日、汐汲みにきた多井畑村長の娘「もしほ」「こふじ」に出会い
 このとき急に風が吹き雨が降ってきたので、三人は近くの観音堂のひさしを借りて雨宿りしました。
 行平は二人を気に入って「松風」「村雨」の名を与え 行平の身の回りの世話をすることになりました。

やがて3年後、行平が許されて帰るようになった時 姉妹が大変悲しみ
 行平は娘たちが浜辺へ出かけている間に旅立ちました。姉妹が邸に戻ると邸の脇の松の枝に肩身の
 烏帽子と狩衣が掛け遺してあった。
     それが「衣掛の松」で 現在の松は「3代目の衣掛の松」です

 松風村雨堂の横に祠がありました。

松風村雨堂の前は 現在 離宮道で北へ進むと現在の神戸市立離宮公園に右に行くと月見山です
 左に進むと 松風・村雨姉妹の生まれた村 多井畑です。

松風村雨堂より直線距離で約700mのところに須磨寺(福祥寺)があります。
 平安時代初期に開山し、1100年以上の歴史ある源平ゆかりのあるお寺です
在原行平は、ある日浜辺で一本の流木に目をとめ、そしてその流木を拾い上げて 烏帽子の糸を
 抜き取り流木に結びつけて、そばに生えていた葦(あし)の茎を切って指にはめ、その糸を弾きました
 それが須磨琴(一弦琴)の始まりだそうです。

 神戸市立須磨離宮公園には「在原行平の月見の松跡」があります。
 歌人で古今和歌集や源氏物語に登場する在原行平が須磨のわび住まいをしていたとき
 秋の夜のつれずれに度々月見に訪れた裏山が 後世に月見山と名つけられそうです

 この場所は、静かな水面に月が映える眺望の良い月見の場所でしたようです

 多井畑に入ると 日本最古の厄除けの霊地 多井畑厄除八幡宮があります。
 多井畑厄除八幡宮は 多井畑の厄神さんの愛称で親しまれています。
 須磨に配流された在原行平も祈願されたと思います。

 多井畑には、在原行平と愛した娘 松風・村雨の二人が水鏡として
 使ったという泉があります  「鏡の井」と呼んでいます。

 今は 新しい家が立ち並ぶ一画に「鏡の井」があります。
 その一帯は、字畑殿とよび二人が育った館の跡だと伝えられています。

 多井畑厄除八幡宮より約200mほどで 昔の道を舗装されたところを標識を見ながら
 進むと農家の庭の一画にあります。 左が姉の(もしほ)松風、右は妹の(こふじ)村雨の
 墓と伝えられています。
         次回を お楽しみに  では またね


  




  









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