hasyan の 旅の散歩道

元気な間に余暇を通じてドライブなどで得た、行き先々の身近な風景・
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冬化粧の慈眼堂 2016.12.28

2016年12月29日 16時25分36秒 | 神社・寺院


  所在地    慈眼堂     滋賀県大津市坂本4丁目6―33

 滋賀院門跡の裏手にひっそりと鎮まる慈眼堂で、慈眼は南光坊・天海僧正に諡られた称号で、お堂は僧正の廟所です。ここは無料です。

 ここは暴れん坊将軍 II 「わらべ地蔵の子守唄」では、汐路章演じる地回りが立てこもる寺子屋、同じく II の「疑惑を呼んだ小さな命!」では、「上様の子」を身籠った大奥の中﨟の恋人が隠れるお堂。「吉宗婚約、五郎左は家出!?」では、珍しく上様と相愛になる娘が、加納じいとともに監禁されてしまう飛鳥山の荒れ寺。いずれも殺陣はお堂前で行われ、灯籠群の間を行き交っての立ち回りをしたところです。

 雪化粧の御廟は方形のお堂で、てっぺんに宝珠が乗り堂前にはまっすぐ石畳が伸びていて、両脇に大きな笠が特徴の灯籠が並び、足もとには厚く苔が敷き詰められています。慈眼とは慈眼大師のことで、慈眼大師とは南光坊天海のことで、江戸幕府を開いた徳川家康の側近として活躍した人のことで。 実は南光坊天海は明智光秀だった…みたいな浪漫溢れる説があったりする人で。 そんな南光坊天海の廟所であります

 徳川家康・秀忠・家光の3代につかえて、比叡山延暦寺を復興した、慈眼大師南光坊天海大僧正の廟所、慈眼堂の横には、桓武天皇・紫式部等の供養塔が並んでいます。

 大きな桓武天皇の供養塔の他に後陽成天皇、後水尾天皇、徳川家康、紫式部、和泉式部、新田義貞の供養塔や、歴代天台座主のお墓もあり、また 徳川家の菩提寺となった 江戸の寛永寺を開いたのもこの天海僧正です。かなりの長寿で、亡くなったのは寛永20(1643)年です。生年がわかっていないので、性格な歳はわかりませんが、「108歳だった」とされることが多 いようです。

 墓所の一段上には、十三体の阿弥陀仏が鎮座しています。これは六角承禎が母の故郷に奉じた48体のみで、仏の一部が鵜川からここへ移されたもので、十三石仏の名で親しまれています。
 次回をお楽しみに では またね


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