大学卒業と同時に、教員採用試験に合格。教員になった。
仕事を開始してからも、精神世界の探究は続く。
その1
森田健氏の本を読み、フィリピンの心霊治療に興味をもつ。
麻酔をすることなく、人の体の中へ手を挿入。体内の異物を取りだす。
「そんなことができたら奇跡だ」
半信半疑の思いで読んでいた。
そういえば、手塚治虫のブラックジャックにも、心霊手術の話があったことを思い出した。
「とりあえず行ってみよう」
書籍の巻末に記載されていた心霊治療師の住所と電話番号だけが頼りだった。
「無事にたどり着くだろうか」
という不安はなかった。
今思うと、無謀な旅行計画だ。しかし、当時は若かった。意気揚々とフィリピンに飛ぶ。
心霊手術が目的というより、アジアの旅行を楽しみたかった。
結論から言う。
心霊治療を行う3ヵ所を訪問できた。
ホテル、人に聞きまくって何とかたどりつく。
一番困ったのは何だろうか。
英語、タガログ語 ?
費用 ?
答えは、タクシードライバーのぼったくりだ。
筋金入りのドライバーばかり。
相手が外国人だと、絶対に普通料金では運転しない。
「タクシーメーターがあるのにどうして」
と思われるかもしれない。
タクシードライバーは、外国人、特に日本人の性格を知りつくしていた。
彼らの対応にはただただ、ぼうぜんとするしかなかった。
心霊手術ブームが去ってからの訪問なので、到着地での混雑はなかった。
一つ目。
電話で心霊治療のことを確認。アポをとる。住所も確認した。
マニラ近郊の床屋の横だと言われた。タクシーを利用して移動。
やや貧困層の住宅街。床屋の横の小さな家だ。
床屋は霊能力を持つ男性の家族が経営している。待っている間に髪の毛を切るようすすめられた。マッサージも受けた。
床屋の隣の小さな家の一室へ移動。ベッドが置いてある。
近所の女性が治療のため訪問していた。
早速、心霊手術を見学。
手が体内に入り込む。そして取り出されたものは…
最後に自分も手術を受けた。
二つ目。
ウルダネータという地方都市へ移動。首都マニラから長距離バスで移動した。
日本の図書館でフィリピンの地図をコピー。だいたいの位置を確認しておいた。
現地に宿泊した簡易ホテル。受け付けのお兄さん、従業員の人とバスターミナル、行き方を確認した。
観光地ではない、マイナーな地域。何人もの助けをかりて、場所を確認する。
バスでウルダネータに無事到着。
田舎なので英語が通じない。
バイクタクシー運転手をはじめ、多くの人に住所を見せながら、最後に教会にたどり着いた。
ちょうど昼休みで誰もない。
午後のミサの時間になり、人が集まってきた。
女性が心霊手術を開始する。
周囲では、助手の女性数人が、開いた聖書を患者へ向けている。聖書のパワーを利用しているのだろう。
心霊手術を受ける人以外に、たくさんのキリスト教信者が集まる。
フィリピンはキリスト教の国。アメリカが植民地化していたときに布教した。
何人もの心霊手術を見学。
近くで見せてもらった。
順番は、病院のように診察券を出した順番ではない。心霊手術を行う女性が呼ぶまで待たなければならない。
ぼくは最後の人から二番目に呼ばれ、手術を受けた。
「あなは肺が弱いわね」
と指摘された。
当時はそのようなことはまったく感じていなかったが、後年、その指摘がズバリ的中。
驚いた。
数人のヨーロッパ人がいた。長期滞在していて、毎日通っているようだった。
三つ目。
首都からはかなり遠いバギオ市へ移動。
朝、マニラを出発。到着は夜だった。
翌日に捜索開始。
元市長さんが心霊手術を行っている。有名人なので、タクシー運転手がすぐにわかった。
中心街から車で10分。山の入口にあるけっこう大きな家だ。
極度に悪化した身体的問題を抱えている白人の患者さんがいた。
その人がまず心霊手術を受ける。
すごい演出があった。
何となくうさんくさいが、心霊手術を見て、度胆を抜かれた。
もちろん、手術を受けた。
ここだけ指定料金をとられる。
一回100ドル。
他の心霊治療は寄付金形式で、好きな金額を小さな箱に入れるシステムになっていた。
「明日もくるか?」
と質問されたが、その日のうちに首都に帰ることにした。
元市長の目つきは、何となく他の心霊手術家とは異なっていた。
心霊手術は確かにあった。
手品ではない。(ように思えた。)
不思議な能力を持つ人が、現代科学では説明できない超常現象を引き起こしていた。
心霊手術を受けて、ぼくの体調はどうなったのだろうか?
心霊治療については、後日、詳しく書いていきたい。
フィリピンへは、合計2回渡航。
1回はマイレージを利用し、ビジネスクラスでの旅行を楽しんだ。
多くの方に楽しい旅をしていただければと思います。
応援のクリックをどうもありがとうございます。
仕事を開始してからも、精神世界の探究は続く。
その1
森田健氏の本を読み、フィリピンの心霊治療に興味をもつ。
麻酔をすることなく、人の体の中へ手を挿入。体内の異物を取りだす。
「そんなことができたら奇跡だ」
半信半疑の思いで読んでいた。
そういえば、手塚治虫のブラックジャックにも、心霊手術の話があったことを思い出した。
「とりあえず行ってみよう」
書籍の巻末に記載されていた心霊治療師の住所と電話番号だけが頼りだった。
「無事にたどり着くだろうか」
という不安はなかった。
今思うと、無謀な旅行計画だ。しかし、当時は若かった。意気揚々とフィリピンに飛ぶ。
心霊手術が目的というより、アジアの旅行を楽しみたかった。
結論から言う。
心霊治療を行う3ヵ所を訪問できた。
ホテル、人に聞きまくって何とかたどりつく。
一番困ったのは何だろうか。
英語、タガログ語 ?
費用 ?
答えは、タクシードライバーのぼったくりだ。
筋金入りのドライバーばかり。
相手が外国人だと、絶対に普通料金では運転しない。
「タクシーメーターがあるのにどうして」
と思われるかもしれない。
タクシードライバーは、外国人、特に日本人の性格を知りつくしていた。
彼らの対応にはただただ、ぼうぜんとするしかなかった。
心霊手術ブームが去ってからの訪問なので、到着地での混雑はなかった。
一つ目。
電話で心霊治療のことを確認。アポをとる。住所も確認した。
マニラ近郊の床屋の横だと言われた。タクシーを利用して移動。
やや貧困層の住宅街。床屋の横の小さな家だ。
床屋は霊能力を持つ男性の家族が経営している。待っている間に髪の毛を切るようすすめられた。マッサージも受けた。
床屋の隣の小さな家の一室へ移動。ベッドが置いてある。
近所の女性が治療のため訪問していた。
早速、心霊手術を見学。
手が体内に入り込む。そして取り出されたものは…
最後に自分も手術を受けた。
二つ目。
ウルダネータという地方都市へ移動。首都マニラから長距離バスで移動した。
日本の図書館でフィリピンの地図をコピー。だいたいの位置を確認しておいた。
現地に宿泊した簡易ホテル。受け付けのお兄さん、従業員の人とバスターミナル、行き方を確認した。
観光地ではない、マイナーな地域。何人もの助けをかりて、場所を確認する。
バスでウルダネータに無事到着。
田舎なので英語が通じない。
バイクタクシー運転手をはじめ、多くの人に住所を見せながら、最後に教会にたどり着いた。
ちょうど昼休みで誰もない。
午後のミサの時間になり、人が集まってきた。
女性が心霊手術を開始する。
周囲では、助手の女性数人が、開いた聖書を患者へ向けている。聖書のパワーを利用しているのだろう。
心霊手術を受ける人以外に、たくさんのキリスト教信者が集まる。
フィリピンはキリスト教の国。アメリカが植民地化していたときに布教した。
何人もの心霊手術を見学。
近くで見せてもらった。
順番は、病院のように診察券を出した順番ではない。心霊手術を行う女性が呼ぶまで待たなければならない。
ぼくは最後の人から二番目に呼ばれ、手術を受けた。
「あなは肺が弱いわね」
と指摘された。
当時はそのようなことはまったく感じていなかったが、後年、その指摘がズバリ的中。
驚いた。
数人のヨーロッパ人がいた。長期滞在していて、毎日通っているようだった。
三つ目。
首都からはかなり遠いバギオ市へ移動。
朝、マニラを出発。到着は夜だった。
翌日に捜索開始。
元市長さんが心霊手術を行っている。有名人なので、タクシー運転手がすぐにわかった。
中心街から車で10分。山の入口にあるけっこう大きな家だ。
極度に悪化した身体的問題を抱えている白人の患者さんがいた。
その人がまず心霊手術を受ける。
すごい演出があった。
何となくうさんくさいが、心霊手術を見て、度胆を抜かれた。
もちろん、手術を受けた。
ここだけ指定料金をとられる。
一回100ドル。
他の心霊治療は寄付金形式で、好きな金額を小さな箱に入れるシステムになっていた。
「明日もくるか?」
と質問されたが、その日のうちに首都に帰ることにした。
元市長の目つきは、何となく他の心霊手術家とは異なっていた。
心霊手術は確かにあった。
手品ではない。(ように思えた。)
不思議な能力を持つ人が、現代科学では説明できない超常現象を引き起こしていた。
心霊手術を受けて、ぼくの体調はどうなったのだろうか?
心霊治療については、後日、詳しく書いていきたい。
フィリピンへは、合計2回渡航。
1回はマイレージを利用し、ビジネスクラスでの旅行を楽しんだ。
多くの方に楽しい旅をしていただければと思います。
応援のクリックをどうもありがとうございます。