たびびと

世界を楽しく旅しましょう!

世界遺産観光地から開発途上国まで、世界各地の心あたたまる、すてきな風をお届けします。

教育長 ホンジュラスの風

2011年02月28日 | ホンジュラスの風
県の施設に教育事務所があります。そこが職場です。
所長さんが、その県の教育行政を司る最高責任者です。日本でいう、県の教育長さんです。ぼくが住む県には、小学校の先生が約1000人。小さな県です。

毎日、各地域の先生、保護者、地域の人が直接教育長と面会をするために県事務所にやってきます。朝から事務所前に列を作るのです。
国際機関の偉い人が打ち合わせをするときは、もちろん事前にアポをとります。しかし、この地域に住む人は、その日、教育長がいるかどうかを確認してから、列に並びます。なかには、学校の授業を休んで、学校の問題を教育長に相談しにくる人もいます。

ラテン人ですから、教育長が事務所を留守にしている日にやってくる人も大勢います。

誰でも、この列に並べば教育長と話をできます。
この列に並んでいる時間、先生方は授業を行っていません。学校は半日単位なので、仕事のない時間帯に来る人もいますが、大半の先生はこの面談を公務と考え、仕事時間を利用しているようです。

アポをとって会議が行われるのは、偉い人、つまり本省の人などとの重要な打ち合わせのときだです。
ぼくも、仕事の状況等を報告するために教育長と話す必要があり、列に並ぶことがあります。すると、それに気がついた教育長秘書がやってきます。

「ここに勤務しているんだから、並ばなくていいのよ。」

前に並んでいる人をすべてすっとばし、ぼくを優先して話をするように手配してくれます。教育長と同じ事務所に勤めていて、彼が上司といえば上司です。だから、この待遇は、当然といえば当然です。でも、何となく並んでいる人に申し訳な気がします。

青年海外協力隊、シニア海外ボランティアは、何かの機材を購入するためではなく、技術的な協力をするために派遣されます。県事務所長さんはそのことをご存知です。

当然、何か物を買ってくれる国際協力機関があれば、そこにとってもよい顔、対応をするのですが、何も資金のないぼくに対しても、とても親切です。

彼は若く、歳は40前半でしょうか。ハンサムでもてそうな感じです。他のホンジュラス男性同様にひげをはやしています。

ホンジュラス赴任したばかりの頃、ぼくは首都に住んでいました。
出張や電話で、こちらのたどたどしいスペイン語に対しても辛抱強く聞いてくれ、馬鹿にする素振りはまったくありません。
電話では、何回も同じ言葉を、ぼくが理解するまでゆっくりと話してくれます。

チョルテカに引っ越すことが決まり、下宿先を探していたときは、
「おれの家はどうだ。」
とまで言ってくれました。

家ではくつろぎたいので、丁重にお断りさせていただきましたが。

ある日のこと。
日々の親切をしてもらったお礼にと、日本から持ってきたセンスをプレゼントしました。

「事務所長は熱くても長袖のワイシャツとネクタイをしないといけないんだよ。」
汗だくになりながら所長室で語ってくれたことがあります。
エアコンがあるのですが、性能がよくありません。だから、所長室は熱いです。
この地域の暑さは尋常でないので、締め切った部屋は他のエアコンのない部屋より余計に熱く感じます。そこで、センスをプレゼント。

とても喜んでくれました。
「職場全員の分はないので、プレゼントしたことは秘密にしておいてくださいね。」
と言うと、
「わかった。わかった。」
と早速センスで顔をあおいでいます。

話が終了し、事務所で同僚と研修会の準備を続けます。
お昼の時間になりました。

ドアから出できた所長は、例のセンスで顔をあおぎながら、
「どうだ、これいいだろう。今もらったんだ。涼しいぞ。」

ぼくの目の前で職場のみんなに見せびらかしています。
秘密にしておいてといったのですが、そんなことはとっくにどこかへ忘れ去られていました。

「おれにはないのか。」
と聞いてくる人はいません。やっかみのようなものはありません。さばさばした子どものような性格のホンジュラス人に、ぼくの心配は無用だったようです。

ところが後日、この、物をあげるということについて深く考えされる事件が起こるのです。

この県教育事務所長さんは、異例の若さで就任しました。
この国は、このようなポストは何でも政党関係のコネで決まります。

この所長さんは、地元代議士に首都テグシガルパの持ち家を、無料かどうかは知りませんが、貸してあげているそうです。それもあって所長さんになれた、との噂がありました。事実は知りません。

ただ、この人が大変親切であることは変わりありません。
市のお祭りでミスコンテストがありました。所長さんは来賓待遇で招待されていました。アルコールが少し入り、とてもご機嫌に周りの人と話をしています。そしてコンテストが終了。夜9時頃です。

ぼくは彼に挨拶にいきました。
「お、元気か。もう夜遅いぞ、送っていくよ。」
そして案内されたのは、ミスコン会場の隣にある、海岸沿いレストランの一つ。

土曜日の夜でしたが、お客さんはまばらです。
ディスコは繁盛しているようですが、レストランは土曜の夜でもあまり混んでいません。

所長さんはビールを注文し、飲み始めました。
レストラン内にある大画面のテレビで放映されている歌手の画像が迫力です。男2人でそれをみながらグラスを傾けます。

といっても、ぼくはお付き合い程度で、1本をちびちび飲んでいます。ビールやお酒があまりおいしいとは感じないのです。

その間、所長さんは急ピッチで飲んでいきます。
瞬く間にテーブルはビール瓶の山になりました。その数、およそ20本。すごいものです。

「こんなに人間は飲めるのだなー。」
と感心しました。
そして驚くことに、その間所長さんはトイレに行きません。
日本人はトイレによく行きます。駅、公園、いたるところに公衆便所がありますね。新陳代謝がよいからでしょうか。

ホンジュラス人はトイレに行きません。1日数回です。

さて、時間は午前をまわりました。

「さあ、そろそろ帰ろうか。」
今日は付き人もおらず、所長さんはゆっくり羽を伸ばしかたったのかもしれません。

どこかの国からか寄贈された事務所公用車のピックアップトラックに乗り、
「さあ、お前の家はどこだ。送っていくぞ。」

一瞬背筋が寒くなりました。
「あんなに飲んで大丈夫なのだろうか。」

とりあえず、幹線道路と入り口の公園手前まで乗せてもらうことにします。
明らかに酔っ払っていますが、ハンドリングはしっかりしています。酒酔い運転禁止の法律はこの国にないのでしょうか。
「今日はありがとうございました。」
とお礼を言うと、
「ここでいいのか?家の前まで行くぞ。」
とのオファーを頂きました。

少し歩きたかったこともあり、そのことを伝え、お別れしました。
無事所長さんが家にたどりつけることをお祈りしました。

この所長さんは、1年後、何とスキャンダルで更迭されました。
事務所に相談にきた女性教師へのわいせつ容疑です。
「所長は机の引き出しにしまってあったコンドームを利用して…」
という新聞記事がありました。

この国は何でも政治がらみなので、このスキャンダルが事実かどうかはわかりません。
ある日突然所長さんはいなくなりました。
聞くところによると、首都の本省にて、ほとぼりが冷めるまで、しばらく勤務するとのことでした。

何でも活動に協力してくれ、バックアップもしてくれていた所長さんだっただけにとても残念でした。

子ども事情 ホンジュラスの風

2011年02月21日 | ホンジュラスの風
ホームステイ先には、小学4年と中学1年の兄弟が住んでいます。
お母さんは先生。
そしておばあちゃん、お手伝いさんがいます。

お母さんは小学校、中・高校の2学校で勤務しており、土日の社会人を対象としたクラスも担当している働き者。
公務員で仕事は安定しており、田舎では結構高給取りの方かと思います。

富裕層ではありませんが、2人の子どもが仕事をして彼女を助ける必要はありません。

子どもは毎日何をしているのでしょうか。
テレビを見る、音楽を聴く、外で遊ぶ、テレビゲームをする、夜宿題をする、テストの前日に勉強をする、という感じで、日本の子どもとあまり変わりありません。

この順番が費やす時間の多さです。

ちなみに、この家にはテレビゲームがないので、近所の子が家にテレビゲームを持ってくるか、彼らが他の家にテレビゲームをやりにいきます。

学校から帰ると、家で映画、人気のあるドラマ、お笑い番組を見ます。それに飽きると、近所の子と外遊び。この2つが主流です。

子どもの数が多く学校数が少ないので、授業を半日にして午前、午後の生徒に分けています。高校は夜間部もあります。

半日の自由時間があるので、子どもは結構ゆとりのある生活を送っています。

開発途上国に住んでいると、自然の中で過ごす時間が多いのかと思われがちです。しかし、現実はそうではありません。

そもそも、近所に美しい自然というものがありません。
灼熱の太陽が照っていて、乾季の草花は枯れています。森や林のある公園もありません。海がありますが、結構汚染されていてぼくは泳ぐ気持ちにはなりません。でも、貧困層の子どもたちはよく泳いでいます。

首都では無差別の開発のため、もっと自然がありません。

自然はありませんが、毎日近所の仲間と遊びます。
道や空き地でサッカーをしたり、彼らなりの不思議なゲームをしたりします。
コマのようなもの、凧のようなものもあります。なぜか近所の子は、そんなにテレビゲームにはまってはいません。時々連日やっていることもありますが。

彼らの食欲は素晴らしいです。よく食べます。
休日になると、お母さんが海老チャーハンのようなものを作ることがあります。これが結構なぜいたくです。

この地域では海老を養殖していますが、高価でることに変わりありません。だから、月に1、2度、小さな海老を食べる程度です。

ご飯を煮て、野菜と海老を入れ、コンソメのようなもので味付けをします。結構いける味です。

夕食はお昼の残りがよく出るのですが、この海老チャーハンの日は、海老なしチャーハンが夕飯になります。お昼のあと、子どもたちが海老だけをつまんで食べてしまうのです。

昼食後、お母さんは仕事で家からいなくなるので、子どもたちはやり放題です。
そこでぼくが彼らの教育係りになります。

「これ見て。海老が一匹もないけど。どうしてかわかるかな。」

じわじわと詰問していきますが、彼らはにやにや笑っています。

「これを何回も繰り返すなら、お母さんに報告するからね。」
と言うと、彼らの顔は一瞬に緊張します。

「もうしないからそれだけは。」
と涙目になって誤ります。

お母さんは結構というかかなり怖いので、子どもは叱られてよく泣いています。
中学生でも泣くのです。
何歳になっても、この国では親の権力は強いようです。

ただ、老人の威厳というのはあまりなさそうです。おばあちゃんは一緒に住んでいますが、特に尊敬されている感じはありません。

この家では冷凍庫で天然果物ジュース、合成ジュース、牛乳を小さなコップに入れて固めたアイスを売っています。
コカコーラも売っています。

近所からよく子どもが買いに来ます。
数メートル先に小さな雑貨店がありますが、熱くて歩くのが大変なせいか、人々は一番近い店でコーラやアイス、駄菓子を買います。値段はどこも変わりません。

冷蔵庫がある家はコカコーラやお菓子を問屋からまとめ買いをして、副業として売る家が多いです。しかし、儲けはあまりないようです。
というのも、子どもたちが、ほとんどのコーラやアイスを飲み食いしてしまうからです。

ときおり、お手伝いの子までもアイスを無断でペロペロなめています。恐らくこの商売は赤字でしょう。半分以上を子どもたちが飲んでいますから。

時おり、お母さんが子どもを呼びつけて叱ります。
「あんたたちが飲むためにコーラを仕入れているのではないのよ。」

子どもはしゅんとして聞いていますが、翌日になると、またガブガブとコーラを飲んでいます。だから子どもなのに既にお腹が出ているのです。

この国では、少しというかかなり太っていることが、財力(十分に食べることができる)のステータスシンボルになっています。男性も女性も少しぽっちゃりしている人がもてるのです。

このコーラと一緒に日本でいうポテトチップスやベビースターラーメンのような駄菓子を一緒に食べます。学校でも休み時間に、ジュース、お菓子を食べるのが習慣です。

朝食を食べない子が腹を満たそうとする場合もあるのですが、たいがいは皆1日5食です。

職場ではコーヒーとクッキーです。

そんなこともあり、子どもは肥満傾向で、20歳になると、お肌がぼろぼろになっています。食品添加物や油の豊富な食べ物を見境なく口に入れるため、それが大きく影響しているものと思われます。

話がそれてしまいました。

彼らはお母さんに内緒でロック系の音楽をよく聞きます。お母さんが留守だと一日中平気で聞いています。

いるときは映画を見ています。時折ボリュームがすごいので、そんなときはお願いしてボリュームを下げてもらっています。

日曜日には、離れに住んでいるぼくが部屋にいるかを確認をして、ボリュームレベルを調整しています。
なかなか可愛い憎めない子どもたちです。

何回か一緒に夜の散歩をしてアイスを買って一緒に食べたりしたことがあります。
ただ、これは数回でやめました。
毎回要求してくるようになったからです。

また、この国では、おごってもらうことに抵抗がありません。むしろ、権利として要求してきます。
もらえるものはとことんもらおうとする習慣があるのです。
このことについてはまた今度お話します。

奨学生を乗せたバス ホンジュラスの風

2011年02月14日 | こころの旅
約半年間ですが、ホンジュラスから日本へ、奨学生として勉強をしてきた先生がいます。
これは、そのシルビオさんが車で語ってくれたお話です。

私は日本の住まいからバスで研修先の学校に通いました。
毎日同じ時間、同じバスに乗ります。

数日が経過すると、いつも同じ人々がバスに乗っていることに気づきました。他のお客さんは会社に通勤をしているのです。

ホンジュラスでは、バスに乗った人、隣近所の人、知り合いでなくてもすぐに話をして打ち解けます。みんな友達になれます。
でも、この日本のバスの中は、とても静かで、誰も何も話しをしませんでした。

ある日、私は隣に座っている男性に話しかけました。
「私はシルビオといいます。日本で教育の勉強をしています。」

彼は最初、外人に話しかけられたことに驚いていましたが、すぐに心を開いてくれました。

その日は簡単な自己紹介をしてバスの停留所に着きました。
次の日は、別の女性の人が隣になりました。そして同じように話しかけました。こうして、毎日隣の人に話しかけることにしました。

すると、同じ人と隣の席になることがあります。そのときは、更に他の話題で話をしました。こうして、毎日毎日、少しずつ私の日本語も上達していきました。

そんなある日のことです。バスを見渡すと、私だけでなく、他の乗客同士も話をしていることに気がつきました。

私は毎日このバスに乗るのがとても楽しみになりました。だから、寝ぼうもしませんでした。他の人たちも同じ気持ちだったことと思います。

このバスだけ、ホンジュラスのバスと同じ光景が見られるようになったのです。

そしてあっという間に半年が経ちました。
とうとう、そのバスに乗る最後の日がきたのです。

私はバスに乗るとみんなに向かって最後のお別れをすることにしました。

「みなさん、実は今日がこのバスに乗るのが最後の日なのです。
今日まで日本で本当に楽しく過ごすことができました。バスでもたくさんの友達ができて、思い出になりました。
みなさん、私がホンジュラスに帰ってからも、おしゃべりを続けてください。
そしていつも友達同士で、助け合ってください。」

私の挨拶が終わりました。
何人かの人、いや、ほとんどの人が涙をこぼしていました。

そしてバスから降りると、みんなが手を振ってお別れをしてくれました。

今でもあのバスのみんなは楽しくおしゃべりをしながら通勤していると思います。

このシルビオさんは、日本人の教育プロジェクトを彼の勤務先で大々的に広めたすごい手腕の持ち主です。
それから数年、彼は何と新規プロジェクトに自ら声をかけて参画することになります。
「何かを手伝いたい。」
とアピールしてきたのです。

彼の行動力、偉大な人間性は、何かを期待させてくれます。


秘密 ホンジュラスの風

2011年02月07日 | ホンジュラスの風
恋人時代の慣習について書きました。

なぜそんなことに詳しいのかというと、そう、ぼくにもガールフレンドができたからです。
相手の年齢は秘密です。

彼女を初めて見たのは高校の売店の前でした。
彼女は午後の生徒。バスが早めに到着し、午後の授業が始まるのを、毎日売店の前の椅子に座りながら、じっと待つのが習慣でした。

何回か同じ光景を見たので、彼女の日課に気がつきました。
ある日のこと、目があいました。
彼女はニコッとして「Hola」と声をかけてくれます。とても素敵な子でした。その日を境に、彼女はぼくの存在に気づいてくれたようです。

同じ時間に彼女がそこにいることがわかったので、ぼくも時間を作って、その時間、その売店前に彼女の顔を見に行くことにします。

ぼくが外人ということもあり、すぐにぼくの名前を覚えてくれました。

いきなりのデートはこの国では御法度です。
そこで、知り合ってから一ヶ月も経ったころ、冗談半分に言いました。
「今度きみの家に遊びに行っていいかな?」
「もちろんよ。」
との驚きの返事。

彼女の家までの道のりを質問します。
高校近くのバス停からバスで30分ほどのところに住んでいることがわかりました。地名は聞いたことがありません。

そしていよいよ当日。
バスの運手主さんには、彼女から聞いた停留所、というか降りる場所をはっきりと伝えました。
「わかったよ。任せておきな。」
運転手さんは言いました。

そして停留所につきます。
教えられた通りに歩いていくと、彼女の家がありました。

田舎では地域の人全員が知り合い同士です。彼女の家へ行く途中、道行く人に彼女のファミリーネームを言いながら家の場所を質問すると、皆が親切に案内してくれました。

家の入り口にいくと、誰かが洗濯物を洗っていました。この地方では手洗い。全自動洗濯機はありません。
「ジェシカさんはいますか。」
「あっ妹ね。ちょっと待って。」
お姉さんでした。

あまり似ていません。後から聞くと腹違いのお姉さんとのことで納得です。

そして彼女が家の奥から出てきました。
家の周囲には何もありません。簡素で。近所の家も離れています。日本では大地主ですがねホンジュラスの田舎ではよくある光景です。
家自体もそれほど大きくありませんでした。

庭に例のプラスチック製の大型椅子を置き、2人で話すことにしました。
家族のこと、この地域のこと、日本のこと、話題はいろいろです。ただひたすら話をします。

よくまあいろいろと話すことがあるなと自分でも感心しつつ、話を続けます。
太ったお母さん、お姉さんたちが近くを通り過ぎます。ときおり、椅子に座り会話に加わります。

お昼に到着しましたが、あっという間に時間は経ち、午後3時をまわりました。

「あまり遅くなるとバスがなくなるわ。今日はこのへんで。」
彼女が言いました。

家族とも知り合いになり、お別れの挨拶をしました。
バス停までは数分なのですが、少し逆方向へ歩いていき、近所を散策することにました。

近所には、地域一番の大金持ちが経営するフルーツ畑が広がっています。高校を卒業してそこのオフィスで働くのが、この地域の生徒の夢でもあります。

小型、中型トラックが舗装されていないがたがた道を通りながらメロンを運んでいきます。ホンジュラス国内の販売用です。だから輸送方法も結構いいかげんで、メロンは荷台に山積みにされています。あれではメロンが傷んでしまいますが、ここの人はそんなことおかまいなし。

足元をみると、何といくつものメロンが転がっています。トラックから落ちたものでした。

近所の人たちは、みなここで仕事をしています。だから、毎日たらふく果物を食べています。だから、これらの落ちているメロンを拾いません。

持ち帰りたいところでしたが、この炎天下の中、結構重いメロンを持って数十分歩くことはできません。

ホンジュラスのメロンは結構大きいのです。バレーボールの大きさ程度のものから数倍のものがあります。スイカは楕円形の変わった形のものもあります。

メロンはどれも甘くておいしいですが、スイカは当たり外れがあります。中が白くなっていて、筋のようなものがあるスイカは外れです。

さて、Uターンをしてバス通りに戻ることにしました。
幹線道路に到着します。そして、バスを待ちます。10分、20分、30分。
バスが通りません。

通りすがりの人に聞きました。
「バスはまだ通っているよね。」
「いや、この時間はどうかな。」
との頼りない返事。

この日は日曜日。最終バスの時間がいつもより早いようです。

「これでは野宿になってしまう。彼女の家に泊めてもらうこともできないし。」
と心配したのは一瞬です。

ホンジュラスで生活すること1年。ここで養った生活力は、こんなことではへこたれません。

すぐにヒッチハイクをすることにしました。
手でヒッチハイクのポーズをしながら手を上下に振ります。

1台、2台、何台もの車が通り過ぎます。
そして、ある車がぼくの横を通りながら減速してくれました。走りながら、車のところへ行きます。
「どうもありがとう。チョルテカまで行きますか。」

聞きながら車の中を覗くと、そこには顔見知りのエメルダ先生とそのお友達の顔が。

「やあ、奇遇だね。こんなところで何してるんだ。
さあ、乗った乗った。一緒に帰ろう。」

車中では、何をしていたかについて詰問されました。
彼女は小学校の先生ですが、例のひわいな言葉大好き、噂も大好きなお、学校ナンバーワンのおしゃべりな明るい先生です。

エメルダ先生にそこで何をしていたかの話をすると、恐らく全ての先生が知ることになるでしょう。
そこで、適当な作り話をしてその場を切り抜けました。

ところが、翌日彼女の学校を訪問すると、
「ぼくが女性を追っかけて、あの田舎まで遊びに行っていたこと」
がすっかり噂になっていました。

彼女の情報収集能力と推察力には恐れ入りました。