たびびと

世界を楽しく旅しましょう!

世界遺産観光地から開発途上国まで、世界各地の心あたたまる、すてきな風をお届けします。

トンコンティン再び ホンジュラスの風

2010年04月30日 | ホンジュラスの風
「トンコンティン再び」
ある日の新聞一面の見出しです。

トンコンティンとはホンジュラスの首都テグシガルパの国際空港名。

何が「再び」なのでしょうか。

実は、空港での事故なのです。
「再び」という言葉の通り、過去に何回も同様の事故が起きています。
飛行機が着陸時に滑走路をオーバーしてしまう惨事です。

では、なぜこの事故が繰り返されるのでしょう。

答えは単純明快。滑走路が短いからです。

首都の国際空港ですが、空港の敷地はとても狭いのです。滑走路は、小学校のグランドのような、ぐるりとした楕円が一つのみ。
滑走距離はとても短く、端から端までの長さが簡単に見渡せてしまいます。

トンコンティン国際空港に初めて着陸したとき、大変驚きました。
飛行機の降下角度が急に下がります。眼下には、スポーツ競技上のトラックと見まちがえてしまうような小さな空港が住宅地の横に見えています。国際空港とは思えない小規模な施設です。

驚きは更に続きます。
飛行機のタイヤが地面に着いた途端に、飛行機は急ブレーキ。さすがにスリップはしません。それでも、シートベルトをしていなければ頭を前方の座席にぶつけて怪我をしてしまうレベルの負荷が体にかかります。

着陸と同時に、ホンジュラス人と思われる乗客の拍手喝采。
みんな笑顔です。

当初は、何を喜んでいるのかよくわかりませんでした。
しかし、このトンコンティン空港のことを知り納得です。

拍手は、事故なく無事に着陸できたことに対する喜びだったのです。

この空港ではもう一つの驚きがあります。
それは、離陸するときのことです。

普通なら、長い滑走路を少しずつ加速していき、ゆっくりと浮かび上がります。しかし、この空港の滑走路にそんな余裕はありません。

では、どう離陸するか想像できますか。

まず、飛行機はブレーキをかけたままエンジンを高速回転させます。
ある一定のレベルを超えたところで、ブレーキを放します。飛行機は急激に加速し、短い距離で離陸をするのです。

推測ですが、ジャンボジェットは滑走路が短すぎて離陸できなのではないでしょうか。

この事故が多発するトンコンティン空港。
空港の敷地が狭いおかげで、日本あるいは他のどの国でも絶対に不可能と思える、ある素晴らしい体験をすることができました。

命懸けの挑戦で、冷や汗が出ましたが…。

ホンジュラス到着 ホンジュラスの風

2010年04月26日 | ホンジュラスの風
赴任前の日本での研修が終了。
そして、出国。

アメリカの空港ホテルで一泊しました。
空港内の静かな朝。
窓から朝日が差し込み、時折、飛行機が上空を通過する音が聞こえてきます。
それでも部屋には静寂が広がります。
「今、外国にいる」
という緊張感を少しばかり感じます。

ホンジュラス行きの飛行機待合室に到着すると、今までとは状況が一変します。
日本人乗客が皆無です。アジア人もほとんどいません。
耳にするのは英語ではなくスペイン語。あまりというか、ほとんど理解できません。
周囲は香水の香りが強く、その刺激にも圧倒されます。

飛行すること数時間、ホンジュラス首都テグシガルパの上空に到着。
ホンジュラスの国際トンコンティン空港への着陸は目前です。
窓から首都の様子を見ると、茶色い小さな家の屋根がたくさん見えます。緑はあまりありません。高層ビルもありません。景色は単調です。

前方斜め横に小さな飛行場がちらりと見えました。
飛行機からタイヤが出る音がします。着陸態勢の準備が完了です。
半円を描いた後、飛行機は急角度で飛行場に近づきます。

そして、飛行場にタイヤが触れた直後、いきなり急ブレーキがかかります。

「何だこの急ブレーキは」

思わず声が出てしまうほどの強いブレーキ。
少しずつ減速していく通常の着陸ではありません。前方に何か障害物を発見したときのような、緊急事態を感じさせる強いブレーキなのです。
ベルトをきちんとしていなかったら、前方の座席に頭をぶつけていたでしょう。

そして、着陸が成功したこの瞬間驚くべきことが。

乗客の大拍手です。

「いっ、一体何なのだろう」

楽しいホンジュラスの生活を予感させる不思議な着陸劇。

この日から国際協力ボランティアのため、ホンジュラスでの2年間の生活が始まるのです。

止まった時間 ホンジュラスの風

2010年04月23日 | こころの旅
トランク2つ分の荷物を携えてホンジュラスに到着。
最初の訪問目的はボランティア。
その後、約10年も中南米で仕事をすることになるとは想像もしていませんでした。

2年間の業務が終了したホンジュラス出国日。
飛行機の座席に着き、シートベルトを装着。静かに目を閉じ、2年間の余韻にひたります。まだ、空港内で別れの挨拶をしたホームステイ先の家族、友人たちの顔が思い浮かびます。

航空機は狭い滑走路を一気に加速し離陸しました。

「人生最高の2年間。
これ以上の充実した人生を、この先、ぼくは創造していけるのだろうか」

そんなことをぼんやりと考えていました。

何もいらない、のんびりとした田舎の人生。
あるのは、人々との楽しい会話。

職場へは自転車で数分。週に何回か、拠点の事務所にバスで移動します。
お昼の時間、週の半数はホームステイ先に帰ることができました。

食後、家のテラスに置いてあるゆりかご椅子に腰を下ろします。座りながら、家の前の通りにじっと目をやると、牛車が水入りのタンクを運びながら通り過ぎていきます。

舗装されていない道。雨が降るとすぐにぬかります。
自動車一台が通れるほどの道幅。といっても自動車が通ることはほとんどなく、近所の人が買い物に利用しているだけの小道。日中は暑さのため、ほとんど人通りがありません。
見るのはいつも同じ顔。通り過ぎるたびに、大きな声で挨拶をかわします。

家の前は古びた工場跡地。現在も事務所は機能しているため、勤務の人を時々見かけます。

何も考えず、広がる青空をのんびりと眺めます。
日本より幾分低い位置に雲が流れています。多数のひめ鷲が旋回し、時折えさを求めて低空飛行に入ります。
スペイン語の正式名称はzope。ぼくはchupa cabra という俗語で呼んでいます。意味は「ヤギ肉を食らう鳥」といったところでしょうか。

近所に住んでいる中学生の真面目な女の子。この子の前でこの言葉を使うと、
「No」
と真顔で否定します。ていねいな言葉ではないからです。

のんびりとした時間。
日本で体験したことのない感覚です。

スーツケース2つ分の荷物。持参したのは、わずかな衣類と書籍のみ。電気もガスも水道も十分でないこの田舎町。それでもぼくはこの町で十分な生活ができています。

日本にいたとき、一流の社会人として仕事をすることが素晴らしいと思っていました。
高い目標を定め、達成に全力を尽くし、それを実現するのが自己実現と思ってきました。社会は複雑化さを極め、2012年の終末説、アセンションなどの言葉も耳にするようになりました。地球は今選択可能な分水嶺にあるのだと…。

でも、この椅子にゆられながら、全てが妄想のように思えてきました。
この町には、そのような概念は微塵も存在しなかったからです。

日本は先進国。
世界に先駆けて、持続可能な、心の価値に重きを置いた社会を構築する世界での役割があるのかもしれません。
アメリカ、ヨーロッパ、日本が生き方の方向転換をすれば、開発途上国にもそれが波及するのでしょうか。

ブータンのある国王は、GNPではなく新たな価値観「幸せ係数」による価値基準を国民に定着させます。そして国レベルでの大きな精神的成長を成し遂げました。

各地で大きな目覚めの息吹を感じます。先に先進国が変容する必要はないのかもしれません。

おしゃべりを楽しむだけのシンプルな日々。素朴な生活がそこにありました。
何も情報がない村。ただ過ぎ去っていく日々。

夜によく散歩に出ました。そこで、毎日の決まった光景に出会います。
村中の人々が、家の玄関前にプラスチック製の椅子を並べます。そして家族、近所の人との談話を何時間も楽しみます。
歩くと近所の人から声がかかります。元気な挨拶、会話が始まります。短時間の散歩のはずが、おしゃべりに巻き込まれ…。
いつでも、どこでも人々の顔が見えました。村人が一つの家族であり、ぼくもその一員のようでした。一体感を感じることができたのです。

「生きるということは、あたたかい人間関係を楽しむこと。ただそれだけなのではないだろうか」
日本では、物事を複雑に考えすぎ、ストレスを感じていました。
しかし、ここでの田舎暮らしで、人を許し許されること、適度にいい加減で生きることの心地よさを経験していきます。

「ホンジュラスと日本。どちらが人間らしい生活をしているのだろうか」
「人間として、ホンジュラス人のように生きていくほうが幸せなのではないだろうか」
何回も思いました。

素朴なホンジュラス人。

物欲は日本人より強いかもしれません。
テレビが普及しています。貧しい家にもテレビが置かれ、先進国の暮らしを知っています。コマーシャルで購買欲をそそられ、電化製品、車など、何でも買いたがります。子どものような一面を持っています。

不思議なことに、日中傘をさした記憶が一度もありません。
彼らのカラッとした心をみているようでした。
天気は地域の人の心の状態を反映するのでしょうか。

蚊が飛んできました。
とりあえず自分の部屋へ避難することにします。


多くの方に楽しい旅をしていただければと思います。
応援のクリックをどうもありがとうございます。

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お知らせ

2010年04月20日 | 日記
ここでお知らせです。

これまで多数の方に訪問していただきました。ありがとうございます。
また、毎日定期的に訪問してくださるみなさん、ありがとうございます。

とても励みになります。

次回からホンジュラスなどの「開発途上国の風」を本格的に書いてく予定です。

日本での日常生活エッセイ、書籍の紹介も、そのうち含めていきたく思っています。

今までとは異なり、週に1~2回程度の投稿を予定しています。

更新の頻度が今までより少なくなりますが、内容はより充実させていくつもりです。
どうぞ引き続きお楽しみください。

また、ご意見、ご感想などありましたら、どうぞ遠慮なくメールにてご連絡ください。

今後とも、どうぞよろしくお願いします。

ホテルでの夕食 ギリシャの風

2010年04月19日 | ギリシャの風
以前、ホテルでの夕食について少し書いてみた。
ここで少し再考してみたい。

ツアー中、ホテルではなくレストランに移動して夕食をとる日があった。
ホテルでの夕食だと、レストランに移動する必要がない。そのため、時間に少しゆとりができる。幾分ゆっくりとくつろぐことができる。だからホテルでの夕食の方が日程の面から考えると都合よいように思えた。

スケジュールはかなり詰まっており、大好きな朝食ビュッフェの時間は1時間もない日が多かった。食事はゆっくりと味わいながら食べると、よりおいしく感じる。旅行の楽しさも倍増する。

しかし、全夕食回数の半分はレストランへの移動。
なぜだろう。

郷土料理を食べるためだろうか。
それなら昼だけでも十分だ。

コストの問題が考えられる。

比較的大きなホテルの夕食は、基本的にビュッフェを採用しているところが多い。
今回のツアーでも、大きなホテルに宿泊したときの夕食はバイキング。とてもおいしかった。肉、魚、野菜、デザートと何でもある。味に多少のくせがあり、日本人のぼくには少々あわないことがあったが、十分満喫できた。
レストランでオーダーされた食事よりは、ホテルバイキングの方がやはり割高になるだろう。そこで旅行コストを抑えるために、レストランに移動したことが考えられる。
バス代、ガソリン代等が余計にかかっても、提携レストランでの夕食の方が旅行会社にメリットがあるのかもしれない。

もちろんレストランに移動しての夕食もおいしかった。

特に、ギリシャでの夕食は格別。
ヨーロッパの食事は口当たりが良く、香辛料も控えめ。日本人の舌にあっていた。

ギリシャ初日に宿泊したカランバカでの夕食はオリーブオイルたっぷりの魚料理。あまりのオイルの量の多さに、翌日胃がもたれるかと思ったが、そんなことはなかった。

最後の夕食となるアテネのレストラン。
明らかに今までとはレストランのカテゴリーがワンランク上だった。入り口を入ると高級レストランの雰囲気が漂うのだ。
夕日が差し込む大きな窓。アクロポリスの丘を眺めながら、その美しさに感嘆の声があがる。
この日は時間的な余裕が十分にあり、のんびりと最後の夕食と仲間との談話を楽しんだ。

今後のツアー選択の観点として、ホテルでの夕食かどうかも一つの目安となる。
とてもよい経験であった。