たびびと

世界を楽しく旅しましょう!

世界遺産観光地から開発途上国まで、世界各地の心あたたまる、すてきな風をお届けします。

ホンジュラス時間 ホンジュラスの風

2010年05月31日 | ホンジュラスの風
毎日快晴が続く田舎での生活。
その日も灼熱の太陽の下、通りを自転車で移動していた。中央市場の前を通ると途端に人通りが多くなる。人ごみの中、知り合いの先生と目があった。

「こんにちは」
元気に挨拶をすると、その先生から呼び止められた。

「明日12時から新築校舎の開校式があるから忘れずに来てね」
巡回先の小学校の先生である。隣にいた教頭先生からも同様の丁寧な誘いがあった。

FISという海外援助資金で新築された校舎がついに完成したようだ。日本もかなりの額を拠出していると思う。

そして翌日。
自転車で約10分、招待された小学校に到着する。時計を見ると、時間は開始10分前の11時50分。
小学校正門前にはいつもの守衛さんが立っている。守衛さんといっても警備服を着ているわけではない。特別な装備もしていない。近所の気のいいおじさんである。
正門はとても小さい。部外者の校内への出入りを制限するためである。子どもの遅刻、早退を管理する目的もある。
治安が日本のようによくないので、セキュリティー意識は日本より高い。

学校は高い塀で囲まれていて、外から校内は見えない。授業があるときなど、子どもの声が外まで聞こえてくる。

守衛さんに挨拶。顔見知りなので、サッとドアを開けてくれる。

自転車を入り口に留めようとして驚いた。
校内の人影がまばらなのである。

「新校舎の開校式はどうなったのだろう。中止だろうか」
こんなことを考えていると、4人の先生がたむろしておしゃべりをしているのが目に入った。先生たちと話をするために、そこへ近づく。

「こんにちは。今日ここで開校式があると聞いたのだけど」
質問をする。

「もちろんよ。でもまだ早いわね」
「12時と聞いたけど」
「そうよ。でも、ホンジュラス時間の12時だからね」
ぼくの質問は大笑いとともに一掃された。

ホンジュラス時間の12時というのは、12時丁度には開始しないということを皮肉る軽いジョークだ。
仕方ないので、みなが集まるまで、ぼくも談話を楽しむことにした。

しばらくすると、先生たちが新校舎や新しい敷地を案内してくれることになった。
敷地をまわりながら新教室やトイレなどの説明が続く。新しい校舎で仕事ができるのは、先生がたにとっても嬉しいことだ。説明しながら、自然に笑顔がこぼれている。

そうこうしているうちに時計を見ると、既に1時。
かなりの時間が経過したので、とても広い校舎を案内されたように感じるかもしれない。しかし、学校の敷地は日本の小学校運動場の半分もない。校舎は平屋一階建て。日本の音楽室のような特別教室も整備されていない。普通の授業を行う教室数が約20のシンプルな学校だ。

関係者が少しずつ集まり始まる。そして、2時。ついに開校式が開始された。
ホンジュラスに滞在して半年も経過したというのに、時間を読み違えてしまった。

「次回このような会があったときは1時間遅れで到着すればよいのだな」
貴重なレッスンであった。


バスの中の憎めない面々 ホンジュラスの風

2010年05月24日 | ホンジュラスの風
ある日の仕事の帰り道、小都市を結ぶ路線バスに乗りました。

日本では走っていない古い年式のバス。何十年前のものか判断できないほどの古さです。バスのエンジン音と振動に心地よさを感じます。窓からはカラッとした熱い空気が入り込み、それがまた何ともいえません。

バス内は込んでいましたが、座席を確保することができました。売店で購入した新聞を広げます。数分後、リュックにしまおうとすると、突然横の男性に声をかけられました。

「新聞を俺に貸せ」
声はおだやか。でも、命令口調です。

そう。ホンジュラス人は見ず知らずの人と新聞をまわし読みする習慣があるのです。
渡したら最後、その新聞は次から次へと他の人の手にわたってゆき、戻ってくることはありません。

その日の僕は何となく機嫌がよくありませんでした。加えて、田舎者のおじさんの命令口調です。英語でいうと「すみませんが」を意味するPleaseが抜けているのです。
その新聞を、家に着いてからゆっくり読もうと思っていたこともあり、じっと聞こえないふりをしました。

「このchinitoは新聞を俺に貸さないのか」
男性がぼやきます。
しばらく何かをつぶやいていましたが、あきらめて、他の人と別のおしゃべりを始めました。

ちなみに、ホンジュラス人はアジア人のことを総称して「chinito(中国人)」と呼びます。
中国人と日本人の違いを見分けることができないばかりか、同じ国と思っている人も多数います。

返してもらうことを条件に貸してもよかったのですが、別の問題がありました。それは、彼らの手の汚れです。
バスターミナルで売られているタハーダというおいしい軽食があります。熱帯バナナを薄くスライスして揚げたものですが、それを手でつまんで食べます。
キャベツのスライス、トマトソース、チリソースが小さなビニール袋に一緒に入っているので、もちろん手は油と各種のソースでべっとりです。

彼らに新聞を貸すと、そのしみがついてしまいます。日本人のぼくには、その汚れにも抵抗がありました。

何となく自分の許容量の狭さに自己嫌悪に陥りながらも、窓から見える乾燥した野原とはるか先の地平線を見ながら、気分転換をすることにしました。

冷暖房装置は整備されていないため、バスの窓は全開。気持ちのよい、そして強い風が顔にあたります。

数分後、不思議と気分が落ち着いてきました。

ホンジュラスの風には人を癒す力があるのかもしれません。

2本の足

2010年05月17日 | こころの旅
ここ数年体調を崩していました。
下半身の疲労感、違和感が続いていました。

数多くの医療機関で改善を試みます。西洋医学、東洋医学、代替医療。
原因はわからず、治療効果も芳しくありません。
1年が過ぎ、2年が過ぎ…

これまで築いてきた社会的地位、肩書きが失われていきました。
そして、本当の自分、何もない自分と向き合うようになります。

今まで、これが自分だと思ってきた自分がありました。自分の定義です。
それは社会によって作られた幻想だと気がつきました。

自分だと思っていたものは、この世界での定義にすぎなかったのです。

では、本当の自分とは何者なのだろう。
意識なのだろうか。

人は何のために生きているのか。
なぜ病気が存在するのか。
苦しみの原因は何なのか。

改めて考えました。

多くの本を読みます。
講演会にも参加しました。
新しい発見、気づきはありましたが、根本的な解決には至りません。

ある日の晴れた昼下がり。
駅前のとあるホテルの前を歩いているとき、道路反対側の歩道を歩いている、一人の男性の姿が目に入ります。

彼は片足しかありませんでした。
しかし、松葉杖を使い、しっかりと一歩ずつ歩いています。
表情に悲壮感はありません。むしろ勇敢さ、力強さが感じられます。

少なくともぼくには足がある。
何とか歩くこともできる。

その日から、というよりも、その次の瞬間から、「今の状況のまま」どう生きるかを考えるようになりました。
そして今日、体調が少しずつ少しずつ変化していくのがわかるようになりました。

それまでは状況を改善しようと努力してきました。
しかし変化はなかったのです。

空港エトセトラ ホンジュラスの風

2010年05月10日 | ホンジュラスの風
米国を出国し、ホンジュラスのトンコンティン国際空港に無事着陸しました。
飛行機の出口横に移動階段が取り付けられ、ゆっくりとドアが開きます。外から生温かい風が機内に入ってきます。日本出国時の季節は冬。ホンジュラスの風は初夏のようです。

歩くこと数百メートル。入国審査のため小さな建物に入ります。
パスポートチェックのボックスが3つありました。一つはホンジュラス人専用。一つは外交官用。残りが一般人のためのものです。
一般人用のラインに長蛇の列。係員の指示で、空いている列に次々と移動させられていきます。
入国手続きはすべて手動で行われています。パソコンは置いてありません。一人の入国審査に結構時間がかかり、なかなか列が進みません。

のんびりと自分の番を待ちながら、ふと天井を見上げます。

びっくりしました。

天井は木造ですが、かなりの部分が腐っているのです。そして大きな穴を多数発見します。蛍光灯が取り付けられていますが、こちらも多くが点灯していません。
買い換える予算がないのでしょうか、あるいは単に無頓着なだけ。

「これが国際空港か。さすがに開発途上国だな」
驚きを通りすぎ、妙に感心してしまいます。

ホンジュラスでの地方空港では更なる驚きがありました。

休暇を利用して、パラシオスという「超」のつくど田舎に旅行をしたことがあります。
テグシガルパからラセイバまで小型旅客機で移動。そしてラセイバからパラシオスに向かうとき、小型プロペラ機に乗り込みました。

飛行機は海岸線上空を飛行します。
数人乗りの小型プロペラ機は機内まですごい音と振動が伝わります。会話はできません。それでも美しいカリブ海の景色が心を癒してくれます。
眼下には、真っ白な砂浜と青い海が広がっています。

飛行機に揺られること約1時間、アナウンスの後、飛行機が降下し始めました。着陸です。
ところが前方に空港は見えません。

「一体どこへ…」
一抹の不安がよぎります。

どんどん高度が下がっていく飛行機。まだ空港は現れません。

何と、飛行機は、目前に見えていた芝生が所々生い茂るグラウンドにそのまま着陸してしまいました。

飛行機が停止し、タラップを駆け下ります。静かな田舎の風景が周囲に広がっています。
着陸したその地は、一応空港と呼ばれているようですが、そんな代物ではありません。
舗装はされておらず、事務所もありません。柵もありません。古い民家が搭乗手続きの事務を代行しています。

僕の短い人生、後にも先にも野原に離着陸したのはこの時が最初で最後でした。

ホンジュラスの名誉回復のため、一言付け加えておきます。
数年後にホンジュラスを再訪問したとき、トンコンティン国際空港内の設備は一新されていました。天井はきれいに修復されていて、入国審査にはパソコンが導入されていました。
空港敷地の大きさはそのままでしたが…。

また、ホンジュラスにも立派な空港が一つあります。
サンペドロスーラという大都市の空港です。この地域は産業が活発で、首都よりも開発が進んでいます。
マヤ文明のコパンルイナス遺跡訪問時は、こちらの空港を利用することになります。

ホンジュラス訪問の機会があったら、是非、空港観察も楽しまれてください。

空港での危機一髪 ホンジュラスの風

2010年05月03日 | ホンジュラスの風
トンコンティン国際空港名物。
それは、飛行機離陸時のエンジン風体感です。

飛行機が離陸するとき、ブレーキをかけたままエンジンを高速回転させることを書きました。そのときの風を体感することができるのです。

今もできるのかどうかはわかりません…。

首都テグシガルパには小さな山がたくさんあります。平野ではありません。そのため、広大な空港を建設するための広い平坦地が不足しています。
地方に住んでいる多くの人々が、仕事を求めて首都に流入してきます。日本と同じです。首都は、平野部の良質な住宅地が不足しているため、山の斜面にもたくさんの家が建設されています。
お金持ちの人の住宅が多数建設されている山、貧しい人の住む住宅が広がる山、というように、山によって様相が随分と異なります。
貧富の差が激しく、各家庭の経済レベル応じて住む地域が分かれているからです。

このような土地事情が影響してか、空港の敷地はとても狭いのです。国際空港というのは名ばかりです。
滑走路端の先に空港と道路を隔てる金網がありますが、その距離は数十メートル。金網の横は一般道路で、自動車、歩行者が通ります。

この滑走路横の道路の金網が、風の体感のポイントです。
両手でしっかりと金網にへばりつきながら、離陸時のエンジン風を体感することができるのです。

ある日のこと。
空港に、帰国する友人たちを見送りに行きました。
彼らはチェックイン手続きをすばやく済ませ、涙のお別れをします。帰国時にはお決まりの光景です。
名残惜しく、搭乗時間ぎりぎりまでみんなとのおしゃべりが続きます。
そして最後のアナウンス。ボディーチェックのゲートをくぐり、搭乗待合室へと消えていきます。

勝負はここからです。
友人たちがいいました。
「爆風体験をしようよ」

ニコニコしながらぼくを誘います。

エンジン風の体験については噂で聞いていました。興味がありました。でも、これまでに何回もパスしていました。何かあったら大変だからです。

この日はなぜかいつもより肝が据わっていました。
ホンジュラスでの生活が慣れ、やっていけるという自信がついていたからかもしれません。

「よし、行こう」

出国する友人たちを見届けた後、有志6人は大急ぎで空港を抜け出します。
空港内待合室から例の金網までは、いくら狭い空港とはいえ数百メートルはあります。そこを大急ぎで走ります。

飛行機は中型機。旅客が少ないため、搭乗開始から離陸までの時間がわずかです。急いでポイントに到着しなければなりません。
滑走路の端まで全力疾走。全力で走るのは何年振りでしょうか。心臓の音が高鳴ります。ワクワクとした期待が鼓動をさらに加速させます。

走ること数分、ついに金網に到着します。

「しっかり金網をつかまないと、飛ばされるわよ」
経験者の方がぼくを含めた初心者数人にアドバイス。脅しではありません。

手にしっか力を入れます。

「まだ飛行機が来てないのだから、今はいいのよ」

金網をつかむのは、離陸準備の風が流れ始めてからで十分です。
飛行機は、まだ滑走路の端に到着もしていません。そんなに前から力を入れていると、本当に風がきたときに疲れてしまいます。

それでも、ぼくはしっかりと金網につかまりながら、飛行機が滑走路をゆっくりと移動し、近づいてくるのを見守っています。何でも全力で取り組む子どものように。

コンチネンタルの中型旅客機が滑走路の端に到着しました。向きを反転します。離陸ポジションで停止しました。
ついにエンジンを高速回転させ始めます。

砂吹雪が少しずつ舞い上がり、生温かい温風が全身に当たります。
心地よいと思ったのは最初の数秒だけ。急激に風が強くなりました。

握っている手の力を強くします。心臓の音が高鳴ります。

風はどんどんどんどん強くなります。エンジン音も高くなります。すごい騒音です。
砂、ほこりが大量に飛んできました。予想外です。目を開けていられません。

更に風は強くなります。手を放した途端、後方に飛ばされてしまうレベルにまで風が強まりました。

ワクワク感が恐怖感に変わります。

「これ以上強くなったら、もう耐えられないかも…」
弱気な考えが浮かんできます。

その瞬間、飛行機のブレーキが外れました。

「あー助かった」
安堵の気持ちとともに、飛行機は急激に離陸していきます。

「いやー、すごかったなー」

手は冷や汗でベトベトです。
友人たちと爆風体験の余韻を楽しみます。危機を共に乗り越えた戦友になった気分です。

後日、空港端の金網に面した道路に、信号機が取り付けられました。
離陸時の強い風が起きる間、車は通行止めになったのです。
もちろん人も。

一体誰の責任でしょうか…。