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セラピュア・セーラ スーパーX
ディズニーランドへは合計3回ほど行った。
最初は小学校6年生のとき。
東京ディズニーランドがオーブンした年だった。
九州に住んでいる親戚の小学生が、何と一人で神奈川県までやってきた。
当時、インターネットなどはない。自分で飛行機、電車の時刻表を調べて、単独でやってきた。
いわゆる、旅行マニアといわれる子どもだったのかもしれない。
「ディズニーランドに行きたい」
というので、ぼくが付き添うことになった。
付き添いといっても、彼は一人で九州から神奈川まで移動できるくらいの旅慣れた子ども。
ぼくはただ後ろからついていくだけだった。
生まれて初めて入る、うわさのディズニーランド。
圧倒されたのが、長ーい列。
一つのアトラクションにのるのに、1時間以上待つ。
オープン当初だから当たり前。
高所恐怖症なので、ジェットコースターは大嫌いだったが、スペースマウンテンに挑戦した。
室内コースターのなで、スピードはスリルがあったが、思ったよりは恐ろしくなかった。
トムソーヤの冒険をもとにしたのかどうかはわからないが、大きな丸太船にも乗った。
長い待ち時間ながらも、たくさんの楽しい思い出がのこっている。
二度目は、大学4年生のとき。
これは、日本ではなくロサンゼルスのディズニーランド。
生まれて初めての海外旅行。
東京ディズニーランドの方が、規模が大きい感じだ。
アトラクションよりも思い出に残っているもの、それは食べ物。
肉がでかい。量が多い。
お昼は、野外レストランで、スパゲッティミートソースを頼む。
どでかいハンバーグが上にのっている。半分以上残してしまった。
不思議に思ったのが、彼らが食べるサンドイッチの食パン部分。
白ではなく、茶色。色がついていた。
今思うと、全粒粉だったのだろう。
あまり食事に気をつけていなかった当時は、
「不思議な色の食パンがあるな」
と興味津々だった。
米国の会社の現地ツアーを利用した。
ツアーといっても、入場料と往復の送迎がついているだけのシンプルなもの。
現地ツアーなしの完全自由旅行だった。手配は、ぐうぜん日本から往復日が同じ日ということで知り合った日本人女性2人がやってくれた。
彼女たちは、山梨医科大学の優秀な学生。英語が話せたので、ホテルのポーターさんを通して依頼してくれた。
国公立大学の医学部は、みな秀才だ。
以前にも書いたが、私立大学医学部は、偏差値が低いが、学費がすごい。医者の子どもしか払えない。
一般的な家庭から医者になろうとする学生は、国公立を狙うしかない。必然的にどこの国公立も難関となる。
ぼくの英語力はというと、ディズニーランドまで送迎してくれた運転手さんの
「ここに6時30分にもどってきてください」
の一言のみ聞きとるのがやっとだった。
三回目のディズニーランド。これは、2年前。妻と行った。
「外国人なので、一度くらい行っておいた方が記念に残るな」
と思い連れて行った。
2月だったが、とにかく寒い。
東京ディズニーランドは海辺にある。風が強く、寒さに拍車をかけた。
南国出身の彼女。
もともと寒さに弱いぼく。
イッツアスモールワールドの曲をききながら、凍え死にそうになった。
最後の光のパレードは、あまりの寒さに、見ることなく、家に帰ることにした。
ああ、残念…
それでも、ほぼすべてのアトラクションに乗ることができた。
平日、しかも、朝一番で到着したからだ。
ファストパスをうまく活用して、人気のアトラクションも待つことなく楽しめた。
大の大人2人でもそれなりに楽しめる。
ぼくは遊園地がそんなに好きではない。
何かの機会で、つきあいで行く程度。
そんなぼくでも、3回も行ったディズニーランド。
なぜだろう ?
そんな答えを教えてくれたのが次の2冊。
「ディズニー そうじの神様が教えてくれたこと」( ソフトバンククリエイティブ )
「ディズニー サービスの神様が教えてくれたこと」(ソフトバンククリエイティブ)
どのエピソードも感動的。
「ディズニー サービスの神様が教えてくれたこと」の最後の話は圧巻だ。
脳腫瘍の子どもの親から、ディズニーランドに入場したいとの相談がある。
会議では、ノー。
話しだけは聞こうと思った鎌田氏は、母親からある事情をきいて即座に承諾する。
子どもが、ディズニーランドにいけば、手術を受ける決心ができるというからだった。
キャスト全員が一丸となり、この子を見守る。
そして、真のサービスについて目覚める鎌田氏。
今、目の前にいる人の笑顔に全力をつくすこと…
最後のイッツアスモールワールドの思い出が、この子の今後の人生を決定した。
想像もつかない、驚異の結末。
感動のラストシーン。
「こんな夢のようなことが本当にあるのか」
目から涙がこぼれおちる。
創始者ディズニーの思いと、その理念を継承するスタッフが、このような奇跡をおこす。
まさに、人の思いが奇跡の場をつくりあげている。
またディズニーランドを訪問したくなった。
今度は、今まで目を向けることのなかった、キャストの方のサービス、そして掃除の様子を見るのが楽しみだ。
多くの方に楽しい旅をしていただければと思います。
応援のクリックをどうもありがとうございます。
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2月だったが、とにかく寒い。
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もともと寒さに弱いぼく。
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そして、真のサービスについて目覚める鎌田氏。
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