たびびと

世界を楽しく旅しましょう!

世界遺産観光地から開発途上国まで、世界各地の心あたたまる、すてきな風をお届けします。

恋人時代の慣習 ホンジュラスの風

2011年01月30日 | ホンジュラスの風
夜の散歩のことを書きました。
のんびりと歩いていると、それぞれの家の前に椅子を出して、家族、近所の人が楽しそうに話しをしている光景を見かけます。

そんな中、よくカップルも見かけました。

実はこの国には恋人同士の面白い習慣があります。
男性がお相手の女性の家に行き、ひたすら話をするというものです。都市部や成人のカップルは勝手が違うのかもしれませんが、ここチョルテカでは、この習慣が大手をふっています。

基本的に、女性は男性の家には行きません。

ある晩のこと。ぼくはある家の前で夢中になっておしゃべりをしていました。
話し相手は、かつて高校で知り合った生徒です。今では二十歳の立派な女性。時間は夜の11時。鈴虫の音色が素敵でした。

すると、ナイトクラブで知り合った天然パーマの長髪の知人が、ぼくたちの前を自転車で通り過ぎます。
「ついに恋人ができたか。」
彼は、ボソッと、誰に向かって言うこともなく、このセリフをつぶやきなから、通り過ぎていきました。

恋人になってからしばらくの間、2人だけのデートはおあずけです。
では、どうするのでしょうか。決まって、女性の家族関係者、例えば、姉妹あるいは親戚の女性が一緒にデートについてきます。

デートといっても、ここは田舎なので、家から数分の喫茶店、あるいはレストランに出かけるだけです。
カップルによって時期はまちまちですが、1年、2年が経過して、女性側家族の信頼を獲得すると、あるいは女性がそれ相応の年齢に達すると、外でのカップル水入らずのデートが許されます。

厳しいですね。日本では考えられません。

こんな様子だと、このカップルは永遠に愛を分かち合うのではと思われるかもしれません。しかし、現実はそうではありません。

男性はすぐに他の女をみつけます。あるいは、このようにまじめに恋人の家に通い詰める男性は、複数の恋人を持っている場合があります。

つきあっている女性の数、あるいは持っている愛人の数で、男性としてのステータスが向上する文化なのです。

一方、お手伝いさんの女性を妊娠させてしまう男性、女生徒に手をだして厳重罰が下される前に学校をエスケープする先生もいます。

ホンジュラスに到着してすぐの語学訓練のとき、スペイン語の女性の先生が大変面白いことを教えてくれました。
彼女のお父さんはたいへんまじめ。多少気難しいくらいの人だったそうです。
そのお父さんが亡くなり葬儀がありました。そのときに、どこからともなく、たくさんの女性が現れてきたそうです。
先生がその女性たちに誰なのか質問すると、お父さんの子どももいる愛人であることがわかったそうで、大変驚いたとのこと。

このような話は日常茶飯事のホンジュラスです。

ぼくはタクシーの運転手さんとすぐに友達になることができます。
なぜかというと次のような質問をするからです。

「運転手さん、結婚してるの。」
「ああ。」
「子どもは何人。」
「3人だよ。」
「奥さんは何人。」

ニヤニヤしながら、こちらを見ます。
「妻は1人に決まっているだろ。」

「じゃあ、愛人は。」
「今は維持費が高いので1人だけだよ。静かなもんだ。
若い頃は3人いたよ。あの頃はよかったなー。」

延々と豪快なエピソードが続きます。
タクシー代はおまけしてくれませんが、
「また電話してくれ。」
と電話番号をよく教えてもらいます。

また、
「一人いい女を紹介してやろうか。」
と薦められること。

このような回答をする男性の割合は、女性の読者にショックを与えるといけないので、秘密にしておきます。





多くの方に楽しい旅をしていただければと思います。
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限界を超えた夜 ホンジュラスの風

2011年01月24日 | ホンジュラスの風
皆さんは暑いのが好きですか。
ぼくは大好きです。

中学2年生のときの担任の美術の先生が言いました。
「夏は気持ちがいいですね。まるでサウナにいるみたいで体の芯からジワッーきます。エアコン、扇風機をつけるのがもったいないですね。」

なるほどその通りとこの言葉が腑に落ちました。
それ以来、猛暑、熱帯夜が続く夜でも、エアコンをかけたいと思ったとはあまりありません。
部屋の中でもビショビショに汗をかきます。夜も扇風機を使いません。

もともと体がデリケートなので、エアコンや扇風機をつけて寝ると、翌朝のどが痛くなり、微熱が出たりします。

こんなぼくですが、このチョルテカに到着したとき、あまりの暑さに閉口してしまいました。

ホンジュラスでは4月のイースター前後に、学校、オフィスなどが一斉に休みになります。その頃が、1年で最も暑い時期。
そしてぼくはその時期に、首都テグシガルパからこのホンジュラスの暑さNO.1の地域に移動(左遷?)となりました。

首都で仕事をしているときに、何人かの学校の先生と話をします。数ヵ月後に、ここチョルテカに引っ越すことを言うと、
「Calor 暑い」
「お前は地獄に行くのか?」
と言われます。

最初は笑っていましたが、全員が同じことを言うのです。
中には、体調のことを心配してくれる先生までいます。

その言葉の意味を、引っ越したその日の夜に実感することになりました。

関東地方には熱帯夜が年に数日あります。常識を超えた暑さが毎日続きます。
チョルテカでは、それを超える暑さが連日続くのです。
湿気がないのでじめじめしていないのが救いですが、風がありません。
職場へ行っても頭がボーっとしてしまい思考がうつろになることがあります。食欲もありません。本来の半分程度しか食べることができません。

夜シャワーをあびます。厳密に言うと、シャワーではなく、水瓶にためてある水を風呂桶ですくって体にかけるだけ。当然髪も洗います。
慢性の水不足なので、十分な水がない日が多々あります。そのときは、タオルに水をつけて体と髪をふきます。

ぼくはやせていて脂肪がありません。だから、日本の真夏日でも水シャワーは冷たくて我慢ができません。
ところが、ここでは平気で水をかぶることができます。冷たいと感じないのです。

水浴びの後、タオルで体を拭きます。新しい下着を身に着け、さあ寝るかとベッドに横になります。
「熱いなー」
と思うこと数分。何と新しい下着が汗でべとべとになります。

扇風機をつけるとさすがに暑さは幾分やわらぎますが、サウナの中で扇風機をつけることを想像してみてください。
熱風が体にふきつけられる感じで、あまり涼しいという感覚がありません。
また、もともと扇風機負けする体質なので、長時間つけっ放しにしておくことはできません。

そういうわけで、赴任してからの数ヶ月、熟睡することができませんでした。
会議で首都に出張、宿泊することがあります。最も嬉しかったのは、涼しくて夜ぐっすり眠ることができることでした。

チョルテカは田舎。ほこりもすごく、衛生状態がよくありません。だから、食中毒に何回もかかりました。

ところが、不思議なことにゴキブリをみたことがないのです。
首都テグシガルパの住宅地では、家の外壁に何匹もたむろしているゴキブリを見ました。道でもよく見ます。
日本の2倍くらいの大きさがあるゴキブリです。動きはにぶいですが。

ところが、このチョルテカではゴキブリを見たことがありません。また、ここに住み始めてから、ノミやダニにさされたこともあません。

あまりの暑さで、これらの害虫が生きていけないのではと思いました。これは勝手な想像ですが。

また、暑さばかりでなく慢性的な水不足のため、ゴキブリも必要とする水分の確保に苦労するのかもしれません。

蚊はすごいです。
道で立ち止まり、友人、知り合いと立ち話をすると、たちどころに数か所、蚊にさされてしまいます。だから虫よけを常に肌にぬっています。
また、ときおり、塗り直しをしないと汗で効力がなくなります。

一方、夜は蚊帳の中なので安心です。
時折一匹、蚊が侵入することがあります。決まってお手伝いさんの掃除のあった日です。

一応、蚊が入らないように注意してもらっているのですが、彼女には蚊がぼくを悩ませている感覚が理解できないので、あまり真剣にとりあってくれないようです。

蚊帳の中に蚊がいるときは、電気をつけて蚊を探します。
静かに腕を伸ばして、蚊を呼び寄せます。かわいそうですが眠ることができないので仕方なく殺します。

自分の部屋は離れで、ドアを開けっ放しにしません。また、離れの入り口には普通の戸があり、更に蚊の侵入を防ぐ網戸の戸があります。二重です。
暑いときはこの網戸の戸のみを閉めます。それでも時々、蚊が入ってきます。

家の本棟には何匹も蚊がいます。食事のときは蚊取り線香を持参です。それでも風の流れによって刺されることがあります。

困るのは電話のときです。
「電話よ。」
と呼び出されると、蚊取り線香をつける時間がありません。
無防備で電話に出ると1分の短い電話でも、手元などの数か所を刺されます。
刺されるのが嫌なので、電話をしながら体を動かします。それも焼け石に水ですが。

こちらからかけるときは、もとろん、虫よけスプレーと蚊取り線香で万全の体制を整えておきます。

海辺の観光地ともなっているレストラン街では、地球の歩き方にも記述されている「ヘヘン」と呼ばれる虫が生息しています。

その虫かどうかはわかりませんが、海岸を歩くと、小さな黒い虫にさされます。この虫は虫よけスプレーを塗っていてもあまり効果がありません。

蚊の問題がなければ、ぼくはこの地に住むことを、案外とすんなり決めていたかもしれません。

人間とはすごい適応力があります。
2年たち、何とこの暑さに慣れてしまいました。

4月の最も暑い時期に道を歩いてもあまり汗をかきません。夜も結構眠れるようになりました。

人間のすごさには、ただただ畏れ入るばかりです。

100年前、日本で冷暖房設備はなかったですよね。
エネルギー危機がきても、案外すぐに適応できるのではと思う今日この頃です。

みんな家族の村 ホンジュラスの風

2011年01月17日 | ホンジュラスの風
自転車で市内を走っていました。
市内といっても、掘っ立て小屋が集まった市場、小さな商店が数件立ち並ぶ中心街、小学校のグランドの大きさの中央公園、市役所などが立ち並ぶ舗装された道路周辺を通り過ぎるだけのことですが。

市内には3人の日本人が住んでいます。そのうちの一つのホームステイ先の家族が経営する雑貨屋さんの前を通り過ぎようとすると、椅子に座っていたミリアンがぼくに気がつきました。
大声で名前を呼ばれます。両手を大きく広げます。
「お前はここで何をしているんだ。どこへ行くんだ。」
というジェスチャーです。

ぼくは
「Hola」
と笑顔で答え、小学校に向かいます。

すると、今度は学校内の軽食堂を営むセルジオが、ピックアップ(軽トラック車)の窓から手を出して、声をかけてきます。
車の窓は黒塗りで中は見えません。でも、彼の声と、窓先から出た彼の手で、セルジオとわかります。
プップーとクランクションを鳴らして、彼は勤務先の高校へと走っていきます。

このチョルテカは、小さくもなく大きくもない程よい大きさの地方都市。
市内を歩くと、あるいは自転車で走ると、多くの知り合い、友人に出会います。まるで自分の家の庭を散歩しているようです。みんなが家族のようなのです。

平日の日が暮れた後、そして土日に、ぼくはよく市内を歩きました。
日中は日が強いので、夕方から夜にかけてです。夕食後の腹ごなしの運動にもってこいでした。

市内のすべての学校の先生とは顔見知りです。
歩いていると、モラサン小学校教頭先生が、家先で近所の人とトランプをやっています。お金をかけているようです。お酒も入っています。
「こんな下町のようなところに住んでいるのか。」
という驚き。

「教頭先生がお酒をのみながら賭け事をしていていいのだろうか。」
と、少し心配になります。

更に歩いていると、家の中から女子生徒が飛び出してきます。
「私はここに住んでいるのよ。家にあがっていって。」

多くの生徒とも友達です。
このように、見知らぬ人に声をかけられることが日常茶飯事です。

田舎の地方都市ですが、やはり貧困地域というものが存在します。
旧塩田が広がる地域の周辺は特に貧しい人が多く住んでいて、下水が整備されていないため、周囲は生活排水の汚臭がただよいます。

そんな地区でも知り合いの顔を発見することが多く、立ち話をします。
先生方に言わせると、「危険なので近づかない方がよい」とのことですが、そのような目にあう雰囲気を感じないので、気にせず歩いています。

夕食後の散歩のため7時頃に家を出ます。
ぐるりと自宅周囲を30分ばかり一周しようと思うのですが、帰りは9時過ぎ。

夜になると、どの家族も家の玄関先にプラスチック製の大きな椅子を並べます。そして夜遅くまでおしゃべりをします。家族あるいは近所の人と話しをします。

夜散歩をすると、当然この光景を目にします。誰がどこに住んでいるのかよくわかります。道も狭いので、近くを通り過ぎると、「Buenas noches」と夜の挨拶をします。

この散歩の習慣のおかげで、多くの人と友達になりました。
仕事のこと、家族のこと、ホンジュラスのこと。おしゃべりがはずみます。

近所の人はもとより、近所ではなくてもこちらから話しかけると、快く会話を受け入れてもらえます。そして決まって出でくるのがコカコーラ。

たわいもないおしゃべりをしながら夜が更けていきます。

こんな毎日を過ごしている彼らに家庭崩壊という言葉はありません。また、老後の心配もありません。特に老人が大切にされているというわけではありませんが、たくさんの子どもたちと一緒に暮らしているので、生活は苦しいながらも、特に老人が孤独死するということがないのです。

パラシオス 史上最大の楽園 ホンジュラスの風

2011年01月10日 | ホンジュラスの風
これまでの人生で最も美しい訪問先はどこかと言われたら、ぼくはホンジュラスのパラシオスと答えるでしょう。

アルゼンチンから大河を渡ると、ウルグアイのある洗練された地方都市に到着します。そこはおとぎ話のような光景で、ユネスコの世界遺産にも登録されています。

この2か所が生涯忘れることのできない美しさを誇っています。

パラシオスは超のつくど田舎で、アスファルトで舗装された空港もありません。
ところどころに芝生の生えた大きなグラウンドの飛行機に着陸するのです。
ちなみにターミナルもなく、航空券の手配は民家というか掘っ立て小屋の事務所で行われます。

この地へ行くことになった経緯は、前任者が長期休暇の休みにぼくを誘ってくれたからでした。

旅行好きの前任者は、2年間にほとんどすべての観光地といわれる地域を旅行し、最後に残っていたのがこのパラシオスだったのです。

そしてぼくのホンジュラス最初の旅行はこのパラシオスとなりました。

首都からラセイバへ、そしてラセイバからバラシオスへ飛行機で移動します。
日本から支給される少ない生活費ではこの旅行費用を賄えません。着任早々、万が一のために持参してきた緊急用の現金に手をつけることになりました。

しかし、結論から言うと、行って大正解。
言葉にならない美しい光景が続く、まさに地上の楽園でした。

飛行場から歩くこと数分、2階建てのホテルにチェックインします。
ホテルといっても、建設途中。しかも部屋は8畳程度の部屋にトイレ、シャワーだけのシンプルな作りです。
トイレは下水設備がまだ完成していないようで、ホテル前の川に突き出た仮設トイレを常用します。
宿代はそれほど安くないのですが、まあ悪臭や汚れも特に目立たないのでよしとしました。

早速パンガと呼ばれる小船の手配に出かけます。この地域での移動はすべてこの小船を利用します。

半島が突き出ていて、半島と大陸の間には川が流れています。この川をこの小船で移動します。

前任者は川の上流にある、謎の遺跡がお目当てだったようです。しかし、現在は乾季のため、川の水量が上流に行くのに十分ではなく、泣く泣く断念することになりました。

そこで、川を下り、かつて日本人ボランティアが住んでいたという別の集落へ行くことになりました。

途中、白人男性とホンジュラス人女性のカップルに出会い、ともに小船で移動することになります。

途中でやしの実ジュースを飲みました。冷蔵庫はありません。もぎたてのヤシの実です。結構ヒンヤリしていてとてもおいしい。

下流に行くにつれて半島の範囲が狭まります。左手に海が見えました。漁の小船が何艘が運航しています。

右手には広がる放牧地。
空には青空と太陽が広がっています。
海は透明ではありませんが、エメラルドグリーンがかっており、とても魅惑的。
放牧地も手がかけられておらず、まるで天国の光景を見ているようでした。

こんなにのどかで、時間がとまったかのような景色を見たのは初めてでした。

川を下り、孤島を簡単に探索しました。

そして、小船に戻り出発しようとすると、何と野生のジュゴンを発見します。

しっぽを時折見せて、ぼくたちをからかっているようです。

その場にとどまり、ジュゴンとのコミュニケーションを楽しみます。
でも最後まで全身を見せてはくれませでした。

夕方近くになり、半島の空き家にお金を払い宿泊することを決めます。
2階建ての古びた民家でしたが、熱いのでふとんは必要ありません。
網戸などは当然ありませんでしたが、なぜか蚊はいませんでした。
家の持ち主は、首都テグシガルパに住んでいるとのこと。

荷物をおいてビーチに出ます。
観光客はぼくらだけ。見渡す限り広がるカリブの美。そして美しい砂浜。
じっと座りながら、遠くの景色を楽しみます。

すると、4、5歳の子ども2人が通りかかります。
外人観光客はめずらしいのか、ぼくの方を見てにこにこしています。
ぼくもにこにこと微笑み返して、少しおしゃべりをしました。記念撮影も忘れませんでした。

トイレに行くと、水洗ではなく、ボットン式トイレです。でも、コンクリートで清潔でした。匂いもありません。

手を洗おうと井戸に行くと、水が出ません。
近くにいた女の子が呼び水の方法を教えてくれます。

ぼくの失態を見かねたその女の子は、何もいわず、私に代わってと言わんばかりに井戸から水を汲み上げました。最初に水を逆流させないと水が出てこないのです。

夜は民家でお金を払い食事です。
質素なフリホーレス、白米、バナナでした。電気もないので、ろうそくがともっています。

しっかりと首都での高級レストラン並みの料金をとられてしまいましたが、それもまたよしでしょう。

ちなみに料金交渉は先輩がすべやってくれていました。百戦錬磨の旅行の達人で相場もよくご存知です。値切り交渉も天才的ですが、やはりこの地ではなかなか値切ることは難しいようでした。

夜になり、砂がざらざらしているベッドに横になりました。
波の音が聞こえてきます。海は数メートル横なのです。こんな環境は生まれて初めてでした。
こんな地で生きてみるのも素晴らしいなと思いました。

あるのはただ自然だけ。
テレビも娯楽も何もなく、毎日を自然と共に過ごすことがどんなに素晴らしいかを肌で感じることができました。

彼らの収入は少なく、おそらく生涯、この地域から外に出ることはありません。
それでも、今の日本の都会に住む人と比べると、ぼくはこの地域に住む彼らの方が幸せに思えてなりませんでした。

車の音、波の音、会社でのゲーム、自然との調和。

あなたならどちらを選択しますか。

民間療法 ホンジュラスの風

2011年01月03日 | ホンジュラスの風
チョルテカは暑い。暑いので食欲もいま一です。
少しでも食べ過ぎたり、あるいは飲みすぎたりすると、敏感に体が反応します。これも暑さのせいかもしれません。

もともと胃がそんなに丈夫な方ではありません。
ある日のこと、
「いやー、何となくここ数日胃がもとたれてしまっていてね。」
と事務所の同僚のホンジュラス女性に相談すると、彼女は真顔で質問してきました。

「熱はある。」
「何となく。」
「食事の前にたくさん水を飲んだ。」
「いやそれほどでも。」
「Esta empachado」
と言われました。

「何だこの単語は?」
初めて聞く言葉でした。

「医者はEmpachoを信じないよ。でも私たちは信じている。誰かにSobarしてもらわないといけないな。あそこのおばさんに頼んでみようか。」

知らない医学用語が続きます。
Sobarの意味について辞書で確認すると、どうやら胃をさすってもらうことらしいことがわかりました。
Empachoとは何かと聞くと、食べ物か何かが胃にへばりついて、それが消化できずに熱、食欲不振、疲れなどの症状を引き起こす病気のようでした。
急いで食事をしたり、噛まずに飲み込んだりするのが原因で、パン類は特にこの症状を引き起こすということを聞きました。

そういえば、数日前、市場の前で手作りパン(日本でいうとカステラに似ている)を2切れほど買い、あまりのおいしさに、あまり噛まずに飲み込んでしまった記憶がよみがえりました。
きな粉のようなものがまぶしてあり、それがまた美味でした。
甘さは控えめではありませんでしたが、この国では白砂糖ではなく粗糖が標準なので、こくのある甘さです。
工場ではなく家の窯で焼いたパン。午後の定刻に、市場で売りにくるおばさんがいます。すっかり顔見知りになり、最近は毎日欠かさず買っていて、少しお腹が膨れ気味でした。

確かに体調が今一なので、同僚が勧めるマッサージを頼んでみることにしました。
薬物を飲むわけではなく、注射をされるわけでもないので気楽です。

炎天下を歩くこと10分、町外れの民家にたどり着きました。
ちなみに彼女はいつも炎天下では傘をさします。こんなまめなホンジュラス人を見たことがありません。

「アナ、いる?」
彼女の呼び声に、奥から細めの婦人というかおばさんが出てきます。

「最近はどう」
世間話が始まりました。

そして待つこと数分。ようやくぼくのことを紹介してくれ、マッサージをする時間があるかを聞いてくれました。

「いいわよ。そこに横になって。」
固めのベッドに横になりました。

そしてお腹を出し、パンツも少し下げるよう指示がありました。
素直に従います。

アナさんは家の奥の部屋から油のような液体を持ってきて、お腹に垂らしました。
冷たくはありません。ドロッとしています。

そしてゆっくりと胃の上部をさすり始めました。
肋骨の下を押し、だんだん強くなっていきます。
胃の上部から下部へ半円を描くようにさすってきます。結構気持ちいいが、強めなので圧迫感を感じます。

「ここ見て。ほら、しこりがあるでしょ。」
彼女からある部分をさすりながら言いました。

確かに、彼女の指摘した部分には数センチのしこりのようなものがあります。
彼女はスペイン語でそれを「小石」と表現します。

彼女はそのしこりを下腹部に移動させるようにマッサージしていきます。
そしてそのしこりは腸の方へ下がり、最後には感じなくなりました。

「これで大丈夫よ。あとは家で下剤を飲んでこのしこりを出せば体調は回復するわ。」
「えっ?下剤を飲むの」
「そうよ。そうしないと効果は半減ね。」

知りませんでした。

でもとりあえずお腹は気持ちよくなったので、立ち上がりズボンをはいて、丁寧にお礼を言いました。

同僚のエディが、
「いくらかお金を払うのよ」
と目配せをします。

「いくら払えばいいですか?」
と聞くと、
「気持ちでいいのよ。」
の声。

とりあえず30レンピーラを差し出して、
「ジュースでも飲んでください。」
お礼を言うと、アナさんは嬉しそうに受け取り
「グラシアス」
と言いました。

自宅に着く前に薬局により、指定された下剤を購入しました。
マグネシウムが主成分で、そんなに毒性もなさそうです。
下宿先についてすぐに飲みました。

その日は食事をしてはいけないということで、そのまま部屋で休みます。
数時間後、すごい下痢。

何回かトイレで便を全て出し、その日はそのまま寝ることになりました。

翌日、胃の状態は回復し、いつものようにおいしく食事を食べることができました。
民間療法ですが、なかなか効力があります。

Empachoを辞書で探したところ、「消化不良」と書かれています。

この件以来、このEmpachoの症状が出るたびに、
「誰かこのへんでsobarできる人を知らないか。」
と尋ねるのが習慣になりました。

高校の守衛さん、お掃除のおばさん、事務所の秘書、とたくさんの人にマッサージをしてもらいました。

胃を直接マッサージするだけではありません。
マッサージにはいろいろな方法があることを知りました。

親指と人差し指の間の手の水かきの下の部分にしこりがあるかを調べる人がいます。腕の関節の側面部分のしこりをさする人もいます。
診断する方法も多種多様でした。

下剤は大変なので、症状が軽いときはマッサージだけにするようになりました。

誰に頼んでも症状が和らぎます。
「これは大変優れた民間療法だな」
と感心しています。

日本では誰にこのマッサージをしてもらえばいいのか少し心配になってきました。