たびびと

世界を楽しく旅しましょう!

世界遺産観光地から開発途上国まで、世界各地の心あたたまる、すてきな風をお届けします。

引き継ぎ ホンジュラスの風

2010年08月30日 | ホンジュラスの風
ホンジュラスに赴任してからの最初の3ヵ月間、前任者の方と行動を共にした。
業務だけでなく、旅行や買い物のことなど、とても親切、ていねいに教えていただいた。

赴任前、ホンジュラス人先生への研修会が主要業務の一つと聞いていた。
実際に仕事をする前、自分のスペイン語レベルから判断して、
「研修会を全てスペイン語でできるわけがない。きっと片言のスペイン語と身振り手振りでやっているのだろう」
と思いつつ、のんびり構えていた。

ところが、最初に研修会を見学したとき、この浅はかな考えは一掃された。
この女性の前任者は流暢なスペイン語でテキストを説明している。
次々とホンジュラス人の先生が質問をしてくる。当然、スペイン語。彼女は物おじすることなく、親切丁寧に回答をする。

専門用語は時折テキストを見て確認していたものの、基本的には日本語を話すのと同じレベルの流暢なスペイン語を話しているように見えた。

この前任者は研修会の後、教室を一人丁寧に掃除までしていた。
「研修会の後は掃除をするのよ」
との指導はなかったが、彼女の無言の行為からも多くのことを学ぶことができた。

ちなみに、この研修会が開催されている小学校への行き方は、前日の電話で教えてもらった。バスの乗り方、停留所の場所など。
家で翌日の準備をしているときにホームステイ先のお母さんにバスの乗り方などをたどたどしいスペイン語で確認する。

「行きは車で送ってあげるわよ。でもサービスは最初だけよ」
とのあたたかいオファーがあった。

「次回からどこかへの車の移動を頼むときは、きちんとお金を払ってね。タクシーの副業もしているのよ」
しっかりしているお母さんはこう付け加えた。
高騰する物価。ガソリン代もしかり。
政府の役人であるお父さんの稼ぎがあっても、日々節約して生活していかなければならないホンジュラスの現状がある。

時折、この家族の知り合いの人から送り迎えの依頼の電話がある。見ず知らずのタクシーに乗るのではなく、気心の知れた安全な知り合いの車を利用する人がたくさんいる。

このように、自分のできる副業を抱えているホンジュラス人はとても多い。
みんなこうしてたくましく生きているのだ。

次の日からスペイン語の猛勉強が始まった。
「先輩が帰国するのは二ヶ月後。それまでに同じ研修ができる語学レベルになっていなければならない」
そう思い込んだぼくは、出勤前の朝一時間はスペイン語のラジオを聞き、土日も、時折気分転換で散歩に出かける以外は、家でずっとスペイン語の勉強をしていた。
こんなに集中し、命懸けになって勉強したのは後にも先にもこれが最初で最後であった。

地方旅行でこの前任者と同じ部屋に宿泊していたときの翌朝、
「昨日何回もうなされていたわよ」
と言わることが何回かあった。

根がまじめなぼくには、スペイン語のマスターがプレッシャーになっていた。
スペイン語学習については、後日詳細を書いてみたい。

こうして、研修見学からスタートした首都での生活は順調に滑り出した。
多少不自由はあるものの、まあ日本にいたときの想像の範囲内での生活だ。

ところが、この前任者との一週間の地方研修で見事な洗礼を受けた。

「これぞ開発途上国」
という、生まれて初めての体験をしたのだ。

バス強盗との遭遇 グアテマラの風

2010年08月23日 | グアテマラの風
グアテマラは治安がよくない国だと言われている。
グアテマラ周辺国に勤務している日本人政府関係者は、業務目的でのみグアテマラを訪問できる。逆に言うと、治安レベルがよくないので、観光目的では入国できない。

確かに、バスターミナルで胸に刃物を数センチ刺された日本人女性がいた。
無期懲役レベルの多数の囚人が集団脱獄したニュースも聞いた。そのときは日本人だけでなく、グアテマラの全市民がふるえあがった。
道を歩いていても、
「どこかで脱獄囚とばったりと鉢合わせするのではないか」
とヒヤヒヤしていた。

それでも、
「危険な地域に危険な時間帯に近づかなければ日常生活で危険な目にあうことはない」
と思っていた。
「いわゆる危険と言われる地域でも、グアマテラ人は日常生活を営んでいる。要は意識の問題である」
そう思い、平穏無事な生活を日々送っていた。

そんなある日のバスでの出来事である。

スペイン語の家庭教師の先生はぼくの住む家から約30分のところに住んでいた。そのためも、毎回バスで移動していた。
家庭教師という言葉は自宅へ来てもらう場合に使用する言葉かもしれない…。
とりあえず、言葉の定義の問題はさておき、その日も国会議事堂前の中央公園の隅にあるバス停から「Periferico」と行き先の書いてあるバスに乗った。

中に入ると結構込んでいる。
旧式のバスで、トランスミッションのためのギアの機械部分が異常に大きい。そこには人が座れるようになっている。
通常座席は空いていない。そこで、ぼくはそのギア横のスペースに腰を下ろした。

綿入りの薄い赤色のゴムシートが敷いてあり、クッションがわりになっている。なかなか座り心地がよい。前方にはバスのシフトチェンジのためのギアがあるの。前に足を伸ばすことはできない。そのため、他の乗客を見るように後ろを向いて座る。
バス内部の熱が少しおしりに伝わり何となく快感だ。

することがないので、前回スペイン語の授業の復習をすべくかばんから教科書を取り出し読み始めた。時おり加速のための爆音が響く。後方の窓ガラスにはバスの排気ガスである黒煙がよく見える。

この国のバスには、ホンジュラスのような料金徴収係りはいない。ワンマンである。
バスに搭乗するときに運転手にバス料金を手渡す。すると領収書のような小さな紙を受け取る。これは客のためではなく、バスのオーナーがきちんとバス代を運転手から回収するために配られている。

目的地の停留所への道半ば、ある交差点に差し掛かかる。カーブのためバスがややゆっくり運転になった後、車内の雰囲気が何となくおかしくなったことに気がついた。

子どもが何やら騒ぎ出す。
泣き始める幼い子までいた。

「何か妙な雰囲気だな」
と思いつつも本の続きを読み始めた。

すると、肩越しに何か触ったような気がした。
振り返り、前方の運転手の方を見る。

すると、な、な、何とバス強盗が運転手に向かってマチェタと呼ばれる長剣を突き付けている。

「か、か、金を出せ」

「子どもが泣いていたのはこれだったのか」
感心する間もなく、ぼくにも恐怖の感情が芽生えてきた。

バス運転手はバス乗車賃をこの強盗に差し出す。
「そら持っていけ」

強盗がバスの中に移動し、乗客を襲うように思われた。
お金を持っていそうな外国人のぼくが真っ先に狙われるのではと焦った。

かばんの中の財布には数百ケツァル約100ドル相当のお金が入っていた。
しかし、恐れていたのは、かばんごと持っていかれることだ。関係者の連絡先が書いてある大切な手帳、ノート、仕事の書類等が入っている。控えのコピーはない。だから、このかばんを強盗に渡すわけにはいかなかった。

コスタリカに勤務していたとき、スペイン協力局のプロジェクトリーダーが新車強盗に狙われた。
ホールドアップをしているとき、スペイン人の彼は言った。
「どうかこのノートパソコンだけは置いていってくれ」
新車強盗は当然のごとくこの要求を無視して走り去った。

やはり現代人は情報を大切にしている。

強盗はバス運転手から小銭をつかみ取る。
そして、
「いよいよぼくの番だ」
と覚悟を決めたとき、何とその30代に見える着やせした強盗は、カーブで再びスピードを緩めたバスから飛び降りた。

「た、助かった」

死傷者はゼロ。
とにかくツイていた。

この日を境に、ぼくはバスでは真ん中、あるいは後方の扉前に座るようになった。

残念なことに? このような予防策をとってから強盗には遭遇していない。


プライドへの配慮 グアテマラの風

2010年08月16日 | グアテマラの風
グアテマラに赴任早々、グアテマラ人のプライドの高さを知らなかったために、大失敗をしたことがある。

政権交代直後のある日、大臣、局長、ぼくとその他数人のメンバーで会議があった。
いわゆる顔見せである。

自己紹介の後、近況について報告をした。
ぼくが外国人ということもあり、大臣は微笑んでぼくに次のように言った。
「何か困ったことはないですか」
そんな中、ぼくは大臣にひとつお願いをした。
「着任当時、ぼくには一緒に仕事をしていくグアテマラ人のパートナーが任命されていました。ところが、政権交代後、その人物が解雇され、今は一人で仕事をしています。いろいろとわからないこともあるので、新たに任命してくれると、とても助かるのですが」

すると、間髪をいれずに、(何となくあわてふためいた様子で)同席していた直属の上司でもある局長が言った。
「ああ、マガリをパートナーにしましょう。これで問題解決ね」

今までに何回か、この件を局長に依頼をしていた。しかし、非常に忙しい人なので、先送りになっていた。でも、この場でしっかりとパートナーを任命してもらい、とても嬉しかった。

ところが翌日、ぼくはちょっとした違和感を職場で覚えることになる。

局長は聡明な女性である。日本へ研修生として招待されたこともあってか大の日本ビイキ。
そしてパーティーが大好き。
仕事中、午後になるとみんなを会議室に集合させ、何らかの理由をつけてはパーティーをやった。父の日、母の日…。
もちろんアルコールはなしだった。

こんな気さくな局長は、毎朝、ぼくの席までやってきて声をかけてくれた。
「今日の調子はどう」
片言の日本語を交えて気を使ってくれていた。

ところが、この大臣との会合の日を境に、朝の挨拶がなくなったことに気がついた。

異変に気づいたのは3日後。その日の朝、何かがいつもと違うと感じた。
局長室から漏れる大きな笑い声を聞き、ぼくは思った。
「局長の日本語の挨拶が今日はないな」

そうして数日間それが続いた。
「一体原因は何だろう。機嫌を損ねる何かをしてしまったのだろうか」
と思っていたが、数日後ハッとひらめいた。

例の会議のときのことである。
大臣に対するぼくの一言は彼女のプライドを傷つけてしまったのである。
面子をつぶしてしまったのだ。

パートナーを指名するのは局長の役目。それを大臣に依頼したということは、局長に何らかの不満があるということを間接的に言っている。

ぼくの若さゆえの気配りの欠如であった。

この事件以来、どんな些細なことでも、どんな場所でも、グアマラ人を人の前では、たてる、ほめる、ということを欠かさなくなった。

相手にどんなに非がある場合でも、関係者の前では相手を持ち上げた。
「パートナーが非常によくやってくれるので助かります」
具体例な例をあげながら、よい面を評価したのだ。

これは今後のグアテマラの生活、いや中南米での生活で多いに役立つことになる。
皆がぼくの業務に率先して協力してくれるようになったのだ。

日本人は人にほめられると何となく照れくさい。ほめることもしかり。まして、上司の前で同僚をほめることなど一般的ではない。
夫婦間もそうだろう。

中南米では、第三者の前で相手を大いにほめたたえることが人間関係を良好にするためのコツである。

ちなみに、この局長は政権交代後の人事異動ですぐにぼくの職場からいなくなってしまった。

偉大なる教訓を残して。

局長は既に職場を去ることがわかっていて、モチベーションが落ちていたのかもしれない。それで挨拶がなくなったとも考えられる。

いずれにせよ、今となってはこの局長に大感謝である。


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名刺の肩書き グアテマラの風

2010年08月09日 | グアテマラの風
グアテマラ人のプライドの話に戻る。
職場の女性に誘われた場面である。

例のエバンヘリカという宗教に興味はなかったが、この誘いにはOKをした。
この誘ってくれた女性がとても素敵な人で、是非お近づきになりたかったからだ。
不純な動機である。

大臣秘書室の受付事務を担当していて、これまでに何回も挨拶や会話をしたことがある。落ち着いた清楚なしぐさにとても惹かれていた。そして内に秘められた強さにも。
そんな彼女が誘ってくれたので、とてもウキウキした。

「もしかしたらぼくに気があるのではないだろうか…」
都合のよい期待を抱きながら、待ち合わせ場所で彼女を待っていた。

ラテン人には珍しく、彼女は時間通りに到着。案内されてホテルの大会議室へ。
エバンヘリカは偶像崇拝ではない。決まった場所で集会をしなければならないという縛りがない。
もちろんエバンヘリカの教会は存在する。定期的に決まった集会が開かれているエバンヘリカもある。

会場に足を踏み入れるとびっくりした。1000人を超える人がいたからだ。場所は大規模なセミナーが行われることもある大ホール。会場料だけでもかなりの経費だろう。

歌、説教というお決まりの集会活動が終了し、彼女の属するグループの3人のメンバーを紹介してもらう。
エバンヘリカの信徒たちは、数人から構成される小グループに分かれ、勉強会や勧誘活動を行っているようだった。
1人の男性と2人の女性。3人とも20代の若者で、とてもすがすがしい。
ぼくは自己紹介をしながら、3人に名刺を差し出した。男性2人も名刺を持っていたのでそれを受け取った。

次週のことである。
凝りもせず、ぼくは彼女に誘われるまま、再度集会に参加する。

前回の会合終了後のこと。彼女の家に遊びに言った。同じグループの女性も一緒である。
スポーツ広場でバスケットも楽しんだ。
こうして多くの若者が、エバンヘリカに取り込まれていくのかもしれない…。

前回同様にグループでの会合がある。
1人の男性が再度ぼくに名刺を手渡そうとした。

「これ、名詞だよ」
「この前もうもらったから大丈夫だよ」
「いや、少し変わったんだ」

彼は半ば強引に、ぼくの手の中にその名刺を押し込んだ。
「2枚もいらないのに…」
と思いつつも、お礼を言って、グループの会話に耳を傾ける。

前回の名刺が手元にあった。古いものを処分しようと思って、今もらった名刺と見比べてみる。同じもののように思えた。

しかし、よく見ると新しい名詞の肩書きの欄に、
「gerente general」
という文字が追加されていることを発見した。
支配人という意味である。

なぜ彼はこの昇進した名刺をぼくに渡したかったのだろうか。
彼は他の仲間ではなく、ぼくだけに手渡した。

なぜだろうか。

少し考えると、思い当たる節があった。

実は、前回彼に手渡したぼくの名刺には肩書きがたくさん書いてある。
日本政府、公式ODA、学士…。
名刺だけを見ると、とっても偉い日本政府の役人のような印象がある。

もしかしたら、彼はこれらの肩書きに対抗するために、新たな名刺を手渡してくれのかもしれない。



エバンヘリカ グアテマラの風

2010年08月02日 | グアテマラの風
グアテマラ人のプライドの高さで忘れられない場面がある。

エバンヘリカというキリスト教の集会に、職場のグアテマラ人女性から誘われた。
エバンヘリカとはキリスト教のある宗派の名前だ。日本の新興宗教のような危ないグループではない。
仏教にも浄土真宗、日蓮宗などの宗派がある。同じように、キリスト教にもいくつかの宗派がある。

日本人になじみのあるキリスト教はカトリックと呼ばれている。イエスの像が飾られている教会に行き、神父さんの話を聞く。テレビや映画で敬虔な集会の場面がよく放映されているので簡単にイメージできると思う。

エバンヘリカは偶像崇拝をしない。
神父さんの呼び名もカトリックとは異なる。エバンヘリカではパストールと呼ばれている。説教があるのは同じだが、カトリックとは雰囲気が大分異なる。

テレビでおなじみの白い制服は着ていない。普通の背広だ。説教師は、神父というよりは講演家である。
片手をポケットに突っ込みながら、威厳を保つように、少し偉そうに話をする。
日本だと、謙虚さや聴衆の気持ちに共感することなどが立派な講演家としての大切な要素だろう。しかし、ラテンの国ではいささか様子が異なる。説教師には強烈なリーダーシップ、威厳が不可欠なのである。

これまで、いくつかのエバンヘリカの集会に招待されたことがある。どうみてもハッタリだけと思われる説教師も何人かいた。ところが、そんな説教でも、感極まり泣き崩れる聴衆がいる。

といっても、これらの説教師は、もしかしたら本当の立派な実践者であり、眼力が欠けているのはぼくの方かもしれない…

集会の前、途中、後と何回も歌を歌う。その曲がまた明るい。ステージ上の生演奏に合わせて歌う。ミニコンサートのようだ。
集会は厳かな雰囲気というよりは、とても明るい講演会だ。

エバンヘリカの巨大な組織になると、集会がケーブルテレビで放映されている。バス停から専用のシャトルバスも。
「一体どこからこの資金が…」
と思うことが何度もあった。

現在では、伝統的なカトリックよりもこちらのエバンヘリカが勢力を拡大してきている傾向がある。今まで伝統的な教会に通っていた人がエバンヘリカへ転身するケースに何回も遭遇した。

伝統的なカトリックでは慢性的な貧困が改善しないからだろうか。
あるいは、楽しく明るい雰囲気がラテン人の気質にあっているからだろうか。

ホンジュラスの首都にホームステイしていたとき、このホストファミリーは典型的なエバンヘリカだった。
グアテマラもしかり。
語学研修ホームステイ家族の場合、ステイしていた時期はカトリック。しかし、数年後の再訪問時は、エバンヘリカに転身していた。

エバンヘリカにとても熱心な人がいる。敬虔な信者は神を信じる力がとても強い。だが、あまりに度が過ぎると、いささか日常生活に困る。

何があっても、
「神のおかげ」
で、会話が進展しないことがある。

ホームステイ先での会話である。

「よかったね。娘さんが就職できて」
「神のおかげよ」
「…」

「今日の食事はおいしいね」
「神のご加護のおかげよ」
「…」

成功、失敗の背後には様々な要素がある。日々の努力、計画など。
これらを人生向上のために反省、修正、改善していくことが大切であることのように思う。
究極的には運命というか神の力をしっかり認識していることが大切なのは当然である。

ところが、強烈なエバンヘリカの人と会話をしていると、全ての会話の受け答えが、
「神のおかげよ」
となる。

会話が膨らんでいかない。
というか、その後、どう話を続けていいのかわからずとまどってしまう。

(前置きが長くなりましたが、次回はプライドの話にたどりつきます。お楽しみに。)


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