たびびと

世界を楽しく旅しましょう!

世界遺産観光地から開発途上国まで、世界各地の心あたたまる、すてきな風をお届けします。

ATMからお金が出てこない グアテマラの風

2011年03月14日 | グアテマラの風
グアテマラでの業務開始時、すぐに銀行口座を開設した。出張経費などの受け取りに必要だったからだ。

口座を開設すると、何と日本同様のキャッシュカードが添付されていた。
ホンジュラスにはなかったので大変驚いた。やはりグアテマラはホンジュラスよりかなり経済発展しているようだ。

そんなある日、中央公園横のATMにて現金を引き落とそうとした。
残高を確認し、引き出しのボタンを押し、500ケツァルの引き出し金額を入力。
そして紙幣が出てくるのを待った。

…。
しばらく待つ。ところが、紙幣が出でこない。

そして画面には、出金が終了しまたの表示。
「ん?」

どうしたものかと思い、再度手続きをしようと残高照会をしているときに、びっくり仰天した。何と残高から500ケツァルが引かれている。紙幣はもちろん受け取っていない。

「こんなバカな…。」
焦るが、何もできない。

機械の調子がよくないのだろうか。
新手の詐欺なのか。
理由はわからない。とりあえず、ATMの利用を中止した。

この日は日曜日だったので銀行窓口で相談することもできない。そこで翌日の月曜日に勇んで銀行へ行った。

まくしたてるのを我慢し、平静を装いながら淡々と経緯を説明する。
行員さんはいつものことでもあるかのように、
「この書類にサインを。」
と言いながら調査同意の書類にサインをさせられた。

ATMの中の現金の残りとコンピューター上の引き出しの額を比較して、ぼくの訴えが事実なら、後日講座に500ケツァルが払い戻されるとのこと。

「なるほど。そうすれば調べることは可能だな。」
などと感心した。

だがここはグアテマラ。開発途上国だ。
本当にきちんと調査してもらえるのか心配だった。

そして数週間後、きちんと口座に500ケツァルが振り込まれているのを確認できた。
やれやれである。

こんなことがあり、中央公園近くや他地域でも、やや廃れた旧市街地周辺に設置されているATMの使用を控えることにした。

そんなある日のこと。
出張前日ということもあり、生活費と高額の旅費を一気に引き出そうと事務所と同じビルにある、口座を開設した銀行に併設されているATMで引き出しを試みた。

そして5000ケツァル引き出し金額を入力する。
ところが、そのボタンを押したとたんに、画面が「終了」表示となり、キャッシュカードが出てこなかった。

「何だこれは。」
キャッシュカードが吸い込まれた。どうしよう。

だが、この日は平日。
隣の銀行にあわてて駆け込んだ。

そんなに込んでいなかったので、数十分ほど、ミスタービーンのお笑い映画を見ながら自分の順番を待った。
かなりエアコンが強く寒気がする。

そして素敵な行員のお姉さんがぼくのことを呼ぶ。
一連の経緯を話した。

「当たり前よ。引き出し限度額を超えて下ろそうとすると、カードは返ってこないのよ。」にこにことした愛嬌をふりまきながら教えてくれた。

知らなかった。
口座を開設したときにそのようなことは言われなかった。
事務所から、そのような注意事項の説明も受けていない。

日本のような、例のとても読めないような小さい字で書かれていて読んだことのない銀行規定集のようなものも受け取っていない。

だが、彼らにしてみれば当然のことらしい。

「一つかしこくなったなー。」
と思いながら、
「カードをすぐ返してもらえますか。」
と聞く。

「数週間かかるのよ。」
結構カードを使うのだが、仕方がない。
これにてぼくのカード災難事件は終了した。

ちなみにグアテマラの銀行には、日本のような銀行通帳というのは存在しない。
明細が月ごとに送付されてくる。

日本でネットバンクが導入されるずっと前から、グアテマラの一部の銀行では既にそれが導入されていた。
米国資本の影響なのかもしれない。

マクドナルドでの詐欺事件 グアテマラの風

2010年10月18日 | グアテマラの風
グアテマラ在住中、土曜午前中は英語の語学教室に通っていた。
スペイン語を母国語とする人の英語の発音は独特だが、それでも結構勉強になった。
授業中のことである。先生が簡単な単語の発音をする。ぼくは何のことか理解できない。しかし、他のグアテマラ人生徒は、みなきちんと聞き取れている。そんなことが何回かあった。

1年も通った頃、ぼくは上級クラスで学んでいた。
ある日、隣に座っていた女性に年齢を聞いた。

「きみ、歳いくつ」
「14歳よ」
「えっ…、中、中学生なの」
「そうよ」

何と中学生だった。
TOEFLEの模擬テストがある。何人かいた中学生、高校生の女性たちは、あっという間にテストを終えて、教室の外へ。取り残されたのは、ぼくと数人の大人たち。

彼女たちは何者なのかと思いきや、後日、インターナショナルスクールのような英語教育に力を入れている学校の生徒ということがわかった。
これらの学校では、授業が英語で行われている。多くの先生の母国語は英語。なるほど、子どもなのに英語を自由自在に話せるわけだ。

そんな土曜午後の日課は、マクドナルドでマックフライポテトをかじりながら、その日の英語の授業の復習をすることだった。

その日もいつものマクドナルドに入った。
そして注文をした。
「マックフライポテトのMサイズ一つね」

味は日本とまったく同じ。
店員さんの笑顔も日本と変わらない。ただ、メニューにスマイル0円の表示はない。

素早い動作。若い女性店員はトレーにマックフライポテトを用意する。
「10ケツァルです」
ぼくは100ケツァル札で支払いをした。

「これは50ケツァル紙幣よ」
というような、メキシコ、チリの返事は、当然かえってこない。

彼女はきちんとぼくの紙幣を受け取り、レジを開いた。

「お釣りです」
の言葉と同時に、彼女は10ケツァルの釣りを出した。

ん、これはおかしい。
支払は100ケツァル。ポテトは10ケツァルだ。

「釣りは90でしょ」
ぼくは確認した。

「あなたが払ったのは20ケツァルだから、釣りは10ケツァルで間違いないわ」
との返事。

「そんなことはないでしょ」

しばらくの間、大人の静かなやりとりが続いた。すると、後方から店長らしき人物がやってきて事情を聞かれた。

ぼくは説明する。
女性店員も説明する。
話はくいちがう。

店長は曰く。
「しばらく席でお待ちください。調査します」

待つこと10分。
ポテトを食べながら本を読んでいると、店長がやってきた。

「すいませんでした。店員の勘違いでした。これが正しいお釣りの90ケツァルです」
丁寧な謝罪を受けた。

最初は単純に店員が勘違いしたものかと思っていた。
しかし、後からの説明で、金に困っていたその店員が意図的にやった詐欺であるということがわかった。

監視カメラあるいはレジのシステムから、店長は真実を知ったのだろうか。
あるいは、マニュアルに、このような状況のときは客に謝罪を、とでも書かれているのだろうか。

実は、その女性店員とやりとりしていたときにも、あの例のイヤーな感覚があった。

家族がその日食べるにも困る生活をしている店員がいる。
家族の借金、病気でお金に困っているグアテマラ人も多数いる。だから、詐欺でもしないと暮らしていけないのかもしれない。

少し悲しくなるがこれが現実である。
しかし、それはそれ、これはこれ。こちらもたくましく生きていかねばならない。

皆さんも海外旅行の際は、防衛策をしっかりと立てておいてくださいね。

バス強盗との遭遇 グアテマラの風

2010年08月23日 | グアテマラの風
グアテマラは治安がよくない国だと言われている。
グアテマラ周辺国に勤務している日本人政府関係者は、業務目的でのみグアテマラを訪問できる。逆に言うと、治安レベルがよくないので、観光目的では入国できない。

確かに、バスターミナルで胸に刃物を数センチ刺された日本人女性がいた。
無期懲役レベルの多数の囚人が集団脱獄したニュースも聞いた。そのときは日本人だけでなく、グアテマラの全市民がふるえあがった。
道を歩いていても、
「どこかで脱獄囚とばったりと鉢合わせするのではないか」
とヒヤヒヤしていた。

それでも、
「危険な地域に危険な時間帯に近づかなければ日常生活で危険な目にあうことはない」
と思っていた。
「いわゆる危険と言われる地域でも、グアマテラ人は日常生活を営んでいる。要は意識の問題である」
そう思い、平穏無事な生活を日々送っていた。

そんなある日のバスでの出来事である。

スペイン語の家庭教師の先生はぼくの住む家から約30分のところに住んでいた。そのためも、毎回バスで移動していた。
家庭教師という言葉は自宅へ来てもらう場合に使用する言葉かもしれない…。
とりあえず、言葉の定義の問題はさておき、その日も国会議事堂前の中央公園の隅にあるバス停から「Periferico」と行き先の書いてあるバスに乗った。

中に入ると結構込んでいる。
旧式のバスで、トランスミッションのためのギアの機械部分が異常に大きい。そこには人が座れるようになっている。
通常座席は空いていない。そこで、ぼくはそのギア横のスペースに腰を下ろした。

綿入りの薄い赤色のゴムシートが敷いてあり、クッションがわりになっている。なかなか座り心地がよい。前方にはバスのシフトチェンジのためのギアがあるの。前に足を伸ばすことはできない。そのため、他の乗客を見るように後ろを向いて座る。
バス内部の熱が少しおしりに伝わり何となく快感だ。

することがないので、前回スペイン語の授業の復習をすべくかばんから教科書を取り出し読み始めた。時おり加速のための爆音が響く。後方の窓ガラスにはバスの排気ガスである黒煙がよく見える。

この国のバスには、ホンジュラスのような料金徴収係りはいない。ワンマンである。
バスに搭乗するときに運転手にバス料金を手渡す。すると領収書のような小さな紙を受け取る。これは客のためではなく、バスのオーナーがきちんとバス代を運転手から回収するために配られている。

目的地の停留所への道半ば、ある交差点に差し掛かかる。カーブのためバスがややゆっくり運転になった後、車内の雰囲気が何となくおかしくなったことに気がついた。

子どもが何やら騒ぎ出す。
泣き始める幼い子までいた。

「何か妙な雰囲気だな」
と思いつつも本の続きを読み始めた。

すると、肩越しに何か触ったような気がした。
振り返り、前方の運転手の方を見る。

すると、な、な、何とバス強盗が運転手に向かってマチェタと呼ばれる長剣を突き付けている。

「か、か、金を出せ」

「子どもが泣いていたのはこれだったのか」
感心する間もなく、ぼくにも恐怖の感情が芽生えてきた。

バス運転手はバス乗車賃をこの強盗に差し出す。
「そら持っていけ」

強盗がバスの中に移動し、乗客を襲うように思われた。
お金を持っていそうな外国人のぼくが真っ先に狙われるのではと焦った。

かばんの中の財布には数百ケツァル約100ドル相当のお金が入っていた。
しかし、恐れていたのは、かばんごと持っていかれることだ。関係者の連絡先が書いてある大切な手帳、ノート、仕事の書類等が入っている。控えのコピーはない。だから、このかばんを強盗に渡すわけにはいかなかった。

コスタリカに勤務していたとき、スペイン協力局のプロジェクトリーダーが新車強盗に狙われた。
ホールドアップをしているとき、スペイン人の彼は言った。
「どうかこのノートパソコンだけは置いていってくれ」
新車強盗は当然のごとくこの要求を無視して走り去った。

やはり現代人は情報を大切にしている。

強盗はバス運転手から小銭をつかみ取る。
そして、
「いよいよぼくの番だ」
と覚悟を決めたとき、何とその30代に見える着やせした強盗は、カーブで再びスピードを緩めたバスから飛び降りた。

「た、助かった」

死傷者はゼロ。
とにかくツイていた。

この日を境に、ぼくはバスでは真ん中、あるいは後方の扉前に座るようになった。

残念なことに? このような予防策をとってから強盗には遭遇していない。


プライドへの配慮 グアテマラの風

2010年08月16日 | グアテマラの風
グアテマラに赴任早々、グアテマラ人のプライドの高さを知らなかったために、大失敗をしたことがある。

政権交代直後のある日、大臣、局長、ぼくとその他数人のメンバーで会議があった。
いわゆる顔見せである。

自己紹介の後、近況について報告をした。
ぼくが外国人ということもあり、大臣は微笑んでぼくに次のように言った。
「何か困ったことはないですか」
そんな中、ぼくは大臣にひとつお願いをした。
「着任当時、ぼくには一緒に仕事をしていくグアテマラ人のパートナーが任命されていました。ところが、政権交代後、その人物が解雇され、今は一人で仕事をしています。いろいろとわからないこともあるので、新たに任命してくれると、とても助かるのですが」

すると、間髪をいれずに、(何となくあわてふためいた様子で)同席していた直属の上司でもある局長が言った。
「ああ、マガリをパートナーにしましょう。これで問題解決ね」

今までに何回か、この件を局長に依頼をしていた。しかし、非常に忙しい人なので、先送りになっていた。でも、この場でしっかりとパートナーを任命してもらい、とても嬉しかった。

ところが翌日、ぼくはちょっとした違和感を職場で覚えることになる。

局長は聡明な女性である。日本へ研修生として招待されたこともあってか大の日本ビイキ。
そしてパーティーが大好き。
仕事中、午後になるとみんなを会議室に集合させ、何らかの理由をつけてはパーティーをやった。父の日、母の日…。
もちろんアルコールはなしだった。

こんな気さくな局長は、毎朝、ぼくの席までやってきて声をかけてくれた。
「今日の調子はどう」
片言の日本語を交えて気を使ってくれていた。

ところが、この大臣との会合の日を境に、朝の挨拶がなくなったことに気がついた。

異変に気づいたのは3日後。その日の朝、何かがいつもと違うと感じた。
局長室から漏れる大きな笑い声を聞き、ぼくは思った。
「局長の日本語の挨拶が今日はないな」

そうして数日間それが続いた。
「一体原因は何だろう。機嫌を損ねる何かをしてしまったのだろうか」
と思っていたが、数日後ハッとひらめいた。

例の会議のときのことである。
大臣に対するぼくの一言は彼女のプライドを傷つけてしまったのである。
面子をつぶしてしまったのだ。

パートナーを指名するのは局長の役目。それを大臣に依頼したということは、局長に何らかの不満があるということを間接的に言っている。

ぼくの若さゆえの気配りの欠如であった。

この事件以来、どんな些細なことでも、どんな場所でも、グアマラ人を人の前では、たてる、ほめる、ということを欠かさなくなった。

相手にどんなに非がある場合でも、関係者の前では相手を持ち上げた。
「パートナーが非常によくやってくれるので助かります」
具体例な例をあげながら、よい面を評価したのだ。

これは今後のグアテマラの生活、いや中南米での生活で多いに役立つことになる。
皆がぼくの業務に率先して協力してくれるようになったのだ。

日本人は人にほめられると何となく照れくさい。ほめることもしかり。まして、上司の前で同僚をほめることなど一般的ではない。
夫婦間もそうだろう。

中南米では、第三者の前で相手を大いにほめたたえることが人間関係を良好にするためのコツである。

ちなみに、この局長は政権交代後の人事異動ですぐにぼくの職場からいなくなってしまった。

偉大なる教訓を残して。

局長は既に職場を去ることがわかっていて、モチベーションが落ちていたのかもしれない。それで挨拶がなくなったとも考えられる。

いずれにせよ、今となってはこの局長に大感謝である。


多くの方に楽しい旅をしていただければと思います。
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名刺の肩書き グアテマラの風

2010年08月09日 | グアテマラの風
グアテマラ人のプライドの話に戻る。
職場の女性に誘われた場面である。

例のエバンヘリカという宗教に興味はなかったが、この誘いにはOKをした。
この誘ってくれた女性がとても素敵な人で、是非お近づきになりたかったからだ。
不純な動機である。

大臣秘書室の受付事務を担当していて、これまでに何回も挨拶や会話をしたことがある。落ち着いた清楚なしぐさにとても惹かれていた。そして内に秘められた強さにも。
そんな彼女が誘ってくれたので、とてもウキウキした。

「もしかしたらぼくに気があるのではないだろうか…」
都合のよい期待を抱きながら、待ち合わせ場所で彼女を待っていた。

ラテン人には珍しく、彼女は時間通りに到着。案内されてホテルの大会議室へ。
エバンヘリカは偶像崇拝ではない。決まった場所で集会をしなければならないという縛りがない。
もちろんエバンヘリカの教会は存在する。定期的に決まった集会が開かれているエバンヘリカもある。

会場に足を踏み入れるとびっくりした。1000人を超える人がいたからだ。場所は大規模なセミナーが行われることもある大ホール。会場料だけでもかなりの経費だろう。

歌、説教というお決まりの集会活動が終了し、彼女の属するグループの3人のメンバーを紹介してもらう。
エバンヘリカの信徒たちは、数人から構成される小グループに分かれ、勉強会や勧誘活動を行っているようだった。
1人の男性と2人の女性。3人とも20代の若者で、とてもすがすがしい。
ぼくは自己紹介をしながら、3人に名刺を差し出した。男性2人も名刺を持っていたのでそれを受け取った。

次週のことである。
凝りもせず、ぼくは彼女に誘われるまま、再度集会に参加する。

前回の会合終了後のこと。彼女の家に遊びに言った。同じグループの女性も一緒である。
スポーツ広場でバスケットも楽しんだ。
こうして多くの若者が、エバンヘリカに取り込まれていくのかもしれない…。

前回同様にグループでの会合がある。
1人の男性が再度ぼくに名刺を手渡そうとした。

「これ、名詞だよ」
「この前もうもらったから大丈夫だよ」
「いや、少し変わったんだ」

彼は半ば強引に、ぼくの手の中にその名刺を押し込んだ。
「2枚もいらないのに…」
と思いつつも、お礼を言って、グループの会話に耳を傾ける。

前回の名刺が手元にあった。古いものを処分しようと思って、今もらった名刺と見比べてみる。同じもののように思えた。

しかし、よく見ると新しい名詞の肩書きの欄に、
「gerente general」
という文字が追加されていることを発見した。
支配人という意味である。

なぜ彼はこの昇進した名刺をぼくに渡したかったのだろうか。
彼は他の仲間ではなく、ぼくだけに手渡した。

なぜだろうか。

少し考えると、思い当たる節があった。

実は、前回彼に手渡したぼくの名刺には肩書きがたくさん書いてある。
日本政府、公式ODA、学士…。
名刺だけを見ると、とっても偉い日本政府の役人のような印象がある。

もしかしたら、彼はこれらの肩書きに対抗するために、新たな名刺を手渡してくれのかもしれない。