下宿先の親戚の女の子テレサが首都テグシガルパに住んでいる。
ある日、彼女がビカッチョ山を案内してくれることになった。
日本人から見ると、少々太めの大学生。だが、ホンジュラス人男性にはもてるタイプだ。
といのうも、この国では、男性も女性も太っている方がもてる傾向にある。美的感覚が日本人とは正反対。なぜそうなのかはよくわからない。
ホンジュラスでは、「太っているということは十分に食べていける経済力がある」ことの象徴である。それが美男子、美女の概念形成に関係しているのかもしれない。
首都テグシガルパには、ビカッチョと呼ばれる山がある。山というよりは高い丘である。その丘には高さ数十メートルの巨大なキリスト像が建設されていて、テグシガルパ市民を見守っている。
有名な巨大キリスト像がブラジルにもある。観光案内の写真によくのっている。その縮小版と思ってくれればいい。
ビカッチョは市民の憩いの場となっていて、休日には多くの人々が散歩に訪れる。
テレサとバス停で待ち合わせ。
彼女は時間には正確で、約束の時間5分前に停留所にやってきた。
首都のバス停留所からピカッチョ行きの市バスに乗る。
出発早々、くねくねと曲がった山道を登り始める。バスは古くレトロなタイプ。黒煙を吐き出しながら、ゆっくりと坂道を登っていく。道路は舗装されており二車線だ。
バスの料金を集める係りの子どもが近づいてきた。
「pasaje(乗車料金)」
と言いながらぼくたちの前に手を差し出す。
支払おうとすると、彼女は、
「私が払うからいいわよ」
のしぐさとともに、2レンピーラをその子に手渡す。
すぐに40センターボのお釣りをもらった。
バスの出入り口は二ヶ所。日本と同じ。客はどの出入り口からも自由に乗り降りできる。降車口を前方の一ヶ所にすればワンマン運行できるように思うが、ここはホンジュラス。経済効率重視ではなく、雇用を大切にしている。
次から次へと客が乗り降りするなか、例の子どもは料金徴収に余念がない。
客によっては
「小銭を探すから待っていてくれ」
と言う。
また逆に、子どもが釣り銭を持っていないこともある。
「後でお釣りを持ってくるからと待っていて」
との言葉が返り、お釣りの一部のみを受け取ることがある。
高額紙幣を渡すと、当然、とっても怪訝な顔をされる。
その日のバスは満員。たくさんの乗客がいる。それでも狭い車内を縦横無尽に駆け巡る子どもにはたくましさが感じられる。
「客が大勢いるので、料金収集や釣り銭の管理を忘れることがあるのでは」
と思ったことがある。
2年間頻繁にバスを利用した。
バス料金を一度払ったのに、再度請求されたことは2回。
「もう払ったよ」
と説明し納得してもらえた。
料金の請求に来なかったのは3回。
バス降車時に子どもが近くにいたときは自分から渡した。
釣り銭を忘れられたのは約10回。
このときは自分から取りに行った。とぼけられ、踏み倒されることはなかった。
子どもの年齢は小学生。
それでも、社会の一員として立派に仕事をしている。
多くの方に楽しい旅をしていただければと思います。
応援のクリックをどうもありがとうございます。
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ある日、彼女がビカッチョ山を案内してくれることになった。
日本人から見ると、少々太めの大学生。だが、ホンジュラス人男性にはもてるタイプだ。
といのうも、この国では、男性も女性も太っている方がもてる傾向にある。美的感覚が日本人とは正反対。なぜそうなのかはよくわからない。
ホンジュラスでは、「太っているということは十分に食べていける経済力がある」ことの象徴である。それが美男子、美女の概念形成に関係しているのかもしれない。
首都テグシガルパには、ビカッチョと呼ばれる山がある。山というよりは高い丘である。その丘には高さ数十メートルの巨大なキリスト像が建設されていて、テグシガルパ市民を見守っている。
有名な巨大キリスト像がブラジルにもある。観光案内の写真によくのっている。その縮小版と思ってくれればいい。
ビカッチョは市民の憩いの場となっていて、休日には多くの人々が散歩に訪れる。
テレサとバス停で待ち合わせ。
彼女は時間には正確で、約束の時間5分前に停留所にやってきた。
首都のバス停留所からピカッチョ行きの市バスに乗る。
出発早々、くねくねと曲がった山道を登り始める。バスは古くレトロなタイプ。黒煙を吐き出しながら、ゆっくりと坂道を登っていく。道路は舗装されており二車線だ。
バスの料金を集める係りの子どもが近づいてきた。
「pasaje(乗車料金)」
と言いながらぼくたちの前に手を差し出す。
支払おうとすると、彼女は、
「私が払うからいいわよ」
のしぐさとともに、2レンピーラをその子に手渡す。
すぐに40センターボのお釣りをもらった。
バスの出入り口は二ヶ所。日本と同じ。客はどの出入り口からも自由に乗り降りできる。降車口を前方の一ヶ所にすればワンマン運行できるように思うが、ここはホンジュラス。経済効率重視ではなく、雇用を大切にしている。
次から次へと客が乗り降りするなか、例の子どもは料金徴収に余念がない。
客によっては
「小銭を探すから待っていてくれ」
と言う。
また逆に、子どもが釣り銭を持っていないこともある。
「後でお釣りを持ってくるからと待っていて」
との言葉が返り、お釣りの一部のみを受け取ることがある。
高額紙幣を渡すと、当然、とっても怪訝な顔をされる。
その日のバスは満員。たくさんの乗客がいる。それでも狭い車内を縦横無尽に駆け巡る子どもにはたくましさが感じられる。
「客が大勢いるので、料金収集や釣り銭の管理を忘れることがあるのでは」
と思ったことがある。
2年間頻繁にバスを利用した。
バス料金を一度払ったのに、再度請求されたことは2回。
「もう払ったよ」
と説明し納得してもらえた。
料金の請求に来なかったのは3回。
バス降車時に子どもが近くにいたときは自分から渡した。
釣り銭を忘れられたのは約10回。
このときは自分から取りに行った。とぼけられ、踏み倒されることはなかった。
子どもの年齢は小学生。
それでも、社会の一員として立派に仕事をしている。
多くの方に楽しい旅をしていただければと思います。
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