たびびと

世界を楽しく旅しましょう!

世界遺産観光地から開発途上国まで、世界各地の心あたたまる、すてきな風をお届けします。

立派に働く子どもたち ホンジュラスの風

2010年06月28日 | ホンジュラスの風
下宿先の親戚の女の子テレサが首都テグシガルパに住んでいる。
ある日、彼女がビカッチョ山を案内してくれることになった。

日本人から見ると、少々太めの大学生。だが、ホンジュラス人男性にはもてるタイプだ。
といのうも、この国では、男性も女性も太っている方がもてる傾向にある。美的感覚が日本人とは正反対。なぜそうなのかはよくわからない。
ホンジュラスでは、「太っているということは十分に食べていける経済力がある」ことの象徴である。それが美男子、美女の概念形成に関係しているのかもしれない。

首都テグシガルパには、ビカッチョと呼ばれる山がある。山というよりは高い丘である。その丘には高さ数十メートルの巨大なキリスト像が建設されていて、テグシガルパ市民を見守っている。
有名な巨大キリスト像がブラジルにもある。観光案内の写真によくのっている。その縮小版と思ってくれればいい。

ビカッチョは市民の憩いの場となっていて、休日には多くの人々が散歩に訪れる。

テレサとバス停で待ち合わせ。
彼女は時間には正確で、約束の時間5分前に停留所にやってきた。

首都のバス停留所からピカッチョ行きの市バスに乗る。
出発早々、くねくねと曲がった山道を登り始める。バスは古くレトロなタイプ。黒煙を吐き出しながら、ゆっくりと坂道を登っていく。道路は舗装されており二車線だ。

バスの料金を集める係りの子どもが近づいてきた。
「pasaje(乗車料金)」
と言いながらぼくたちの前に手を差し出す。

支払おうとすると、彼女は、
「私が払うからいいわよ」
のしぐさとともに、2レンピーラをその子に手渡す。
すぐに40センターボのお釣りをもらった。

バスの出入り口は二ヶ所。日本と同じ。客はどの出入り口からも自由に乗り降りできる。降車口を前方の一ヶ所にすればワンマン運行できるように思うが、ここはホンジュラス。経済効率重視ではなく、雇用を大切にしている。

次から次へと客が乗り降りするなか、例の子どもは料金徴収に余念がない。
客によっては
「小銭を探すから待っていてくれ」
と言う。

また逆に、子どもが釣り銭を持っていないこともある。
「後でお釣りを持ってくるからと待っていて」
との言葉が返り、お釣りの一部のみを受け取ることがある。

高額紙幣を渡すと、当然、とっても怪訝な顔をされる。

その日のバスは満員。たくさんの乗客がいる。それでも狭い車内を縦横無尽に駆け巡る子どもにはたくましさが感じられる。

「客が大勢いるので、料金収集や釣り銭の管理を忘れることがあるのでは」
と思ったことがある。

2年間頻繁にバスを利用した。
バス料金を一度払ったのに、再度請求されたことは2回。
「もう払ったよ」
と説明し納得してもらえた。

料金の請求に来なかったのは3回。
バス降車時に子どもが近くにいたときは自分から渡した。

釣り銭を忘れられたのは約10回。
このときは自分から取りに行った。とぼけられ、踏み倒されることはなかった。

子どもの年齢は小学生。
それでも、社会の一員として立派に仕事をしている。




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何のために ホンジュラスの風

2010年06月21日 | こころの旅
ホンジュラスでの生活が1年を経過した頃のこと。
活動に対する情熱がなくなってきた。
何のために国際協力をしているのかがわかなくなり、悩んだ。

自分ひとりが一生懸命やったところで、先進国が、コングロマリットが、一部の支配階級が貧しい人々から搾取する社会構造は何も変えられない…。
仕事をしないで毎週首都に行き遊びほうけている人もいる…。

スランプである。

仕事も順調、人間関係も順調。スペイン語も上達。
でも、赴任当初のようなエネルギーが、日ごとに失われていく。

そんなある日のことだった。

隣の市への出張帰り、自分の住む町の公園前で路線バスを降りた。下宿先まではそこから約500メートル歩かなければならない。
そのままバスに乗って、家の近くの電力公社事務所入口前で降ろしてもらうのが常だったが、その日は少し歩きたかったこともあり、手間の大勢が降車する停留所で降りた。

田舎の路線バスには決まった停留所がなく、運転手に場所を指定すると停車してくれる。乗車するときは、バスルートで待っていて手をあげる。シンプルかつとても便利な路線バスである。

下宿先までには2つのルートがあった。パンアメリカハイウェイの車道横、あるいは街中に一本入った民家の小道。どちらを歩くか迷ったが、その日はなぜかパンアメリカハイウェイを選択した。

時間はちょうどお昼前。炎天下でアスファルトの道路が焼けている。気温は40度を超えているだろう。空気が乾燥しているため、不快感はない。カラッとしているが、歩きながら少しばかりの汗をかく。

背中にデイパック、右手に教材、画用紙が入った紙袋を持つ。時折、バス、大型トラックが左手を通り過ぎる中、蜃気楼が表れそうなハイウェイをゆっくりと歩いていく。あまりの暑さに、
「バスで行けばよかったかな」
と思いつつも、疲れは心地よかった。

後方からカンペシーノ(直訳すると田舎者)のおじさんが、古びた自転車で僕の横を通り過ぎる。カンペシーノの象徴であるマチェタと呼ばれる長剣を脇にさし、彼もお昼のため自宅に帰るところだ。

彼がぼくを通り越した瞬間、突然自転車が止まる。
おじさんが僕の方を振り向いた。
「どこまでだ」
「この先の工場前まで」

彼は顔を斜め上に動かし
「乗っていきな」
と合図した。

僕は
「Gracias」
と言って彼の自転車の後方席に座る。

彼は再びゆっくりとこぎ始めた。

おしゃべり好きなラテン人であるが、彼は何も語りかけてこなかった。白い薄汚れたワイシャツの背中から少しばかり汗の匂いが漂っていたが、臭くはなかった。
空には雲ひとつなく、灼熱の太陽が僕ら二人を照りつける。車の通りもなく、周囲は静寂に包まれていた。

「着いたよ」
自転車が止まった。

「Muchas gracias」
彼は振り返りニッコリと笑うと再び自転車をこぎだした。

下宿先は住宅街の中でも外れに位置している。彼はその先の貧困レベルが最も高い集落へと向かっていく。

彼の後ろ姿を見送りながら、僕は国際協力業務の意義について考えていた。

ボランティア活動は何のためだろう。
ホンジュラスの経済協力のためだろうか。GNP向上のためだろうか。

このおじさんは、日々を素朴ながらも幸せに生活している。
ぼくにできること何だろう。

難しいことは考えなくていい。
このおじさんのような貧困層の人々が、より人生を楽しんでもらえるための選択肢を広げること。
生活の質の向上に貢献すること。
それだけで十分なのではないだろうか。

彼が100メートルほど先へ進んだとき、ぼくは視線を下宿先の方向へと移す。

時間が止まるようなひと時を、このおじさんと共に過ごすことができたことを神に感謝した。

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文化的背景 ホンジュラスの風

2010年06月14日 | こころの旅
基本的にラテン人は時間に対してストレスを感じない。のんびりしている。
日本人の視点からの話であり、彼らの間ではそれが標準だ。
逆に、ラテン人から見ると、日本人社会は時間に厳しく、ストレスで一杯だろう。

ホンジュラスでのんびりと生活をしているとストレスはない。経済的な利害関係などがないからだ。ところが、仕事で公式書簡を取り付ける必要があるときなどは非常に焦る。締め切りがあるからだ。

では、なぜホンジュラス人は時間を守ることに対してのんびりと構えているのだろう。
約束を守ることに対しても。

レンピーラ酋長の逸話について書いたことがある。
とても素晴らしい話で反響もあったので、再掲載してみる。

ホンジュラスの通貨単位はレンピーラ。歴史のヒーロー。
そのレンピーラ酋長の有名な逸話がある。
レンピーラ酋長の歴史的事件が逸話となり、それが文化的背景となり、現在のような民族性が形成された。
どんな事件だったのだろう。

かつて、スペイン人が現在の中米地域を侵略していた。
そのとき、レンピーラ酋長率いる一団が強い抵抗を示す。
勇敢、有能なレンピーラ酋長の部隊を、スペイン軍はなかなか思うように進撃できずにいた。
そこで、スペイン侵略軍は、和解案をレンピーラ側に提案。中間地帯で和解会議を開く書簡を送る。
レンピーラ酋長はそれ以上に見方に血が流れるのを見たくなかった。そこでその会議に参加することを承諾。

会議の日。
和解案に書かれていた通り、数人の仲間とともにその指定された場所へ赴く。
会議が開始。
和解案に署名し、一時の平和が訪れるはずだった。

ところが、この会議場にはスペイン暗殺部隊が潜んでいた。
レンピーラ酋長とわずかな護衛は、命を一瞬のうちに奪われてしまうのだ。

和平会議はスペイン軍の策略だったのである。

レンピーラの死の知らせは、レンピーラ軍に多大な精神的打撃を与えることになる。あれほど強固であったレンピーラの部隊は、瞬く間にスペイン軍に滅ぼされることになった。

これ以降、
「約束を守り、相手を信用することにはメリットはない。ただ自分が損をするだけだ」
という社会通念のようなものが、この地域に広がった。

あくまで逸話であり、どこまで信頼できるものかはわからない。
ただ、こういう歴史的な背景を聞いてしまうと、何となく彼らが約束時間に来なかったりしてもあまりイライラとはならない。

ただ、これが免罪符になってはいけない。
この事件を教訓として、約束を守ることの大切さを感じ取ることもできる。
一つの現象から何を学び取るかは、各個人の視点に任されている。

アメリカの情報公開制度で、パールハーバー襲撃について、事前に攻撃情報が確認されていたことがわかっている。
つまりアメリカ人も日本人も当時のアメリカ政府の策略により日米開戦に火蓋が切られた。
時間が経過しているためか、誰もそのことについて言及したり、教科書に掲載されたりということはない。
それでもこの事件から、だまされたのだから、もう何も信じないで、いいかげんな人生を送っていこうという人は皆無だろう。

社会的背景はあくまで背景であり、上記の逸話を知るホンジュラス人もそれほど多くない。けれども、彼らと話していると、何でも許せてしまう。子どもがそのまま大人になってしまったような無邪気さを彼らは持ち合わせているのだ。

車を見せびらかしたり、新製品にすぐに夢中になったり、貯金をしなかったり、すぐにムキになって言い訳をしたり、それでも彼らの表情にはストレスによる緊張は見られない。

自由に、彼らなりの社会観で楽しく生きている。

まるでグローバリゼーションに抵抗するかのように。

地球規模の経済発展には参加しないとの意思表示をするかのように。

ホンジュラス人は今日もマイペースで生きていく。

本当の集合時間 ホンジュラスの風

2010年06月07日 | ホンジュラスの風
開校式から数日後が経過した。
この小学校の定期巡回時、再度催しの招待があった。

「生徒会による特別な催しが来週あるので、参観してもらえますか。10時開始の予定です」
校長先生が言った。

「わかりました。楽しみにしています」
「10時ですね」
「10時です」

しっかりと約束の時間を確認する。
ぼくは思った。
「これは、前回の教訓を生かす格好の機会だな」

当日、意気揚々と、11時に到着した。
門をくぐると、教室横の廊下の脇に臨時の演説コーナーが設置されていた。生徒会役員の女の子が何らかの演説をしている。周囲は先生、生徒が取り囲んでいる。立会演説会のようだった。

静かに最後尾に近づき演説に耳を傾ける。

近くにいた先生がぼくの到着に気づいた。
「遅かったわね。もう数分で終わりよ」
「えっ…」

遅刻どころの話ではない。招待された特別行事の終了間際に到着してしまったのだ。
それでも先生はニコニコしている。なぜならここはホンジュラス。遅刻についてのお咎めはない。

ぼくには理解できなかった。
「なぜ今日はきちんと時間通りに開始、終了するのだろう」

疑問に思いつつも、楽しく先生がたと談話をして帰路についた。

開校式、生徒会活動とぼくは集合時間に翻弄された。

そして3度目の招待がある。今度は卒業式だった。
迷った挙句、これまでの経験を冷静に分析し、時間通りに行くことにした。
「早めに到着しても待っていればいい。日本人として約束の時間はしっかり守ろう」
こんなことを考えて、卒業式の会場へ。

式場後方で多数の保護者が参観しているなか、式は数十分ほどの遅れで開始。今回は見事に行事に参加することができた。

日本の卒業式同様、壇上で校長先生と担任の先生が卒業証書を子ども一人ひとりに手渡していく。なぜかぼくもこの大役の一部を任され、恥ずかしながらも卒業証書を手渡すお手伝いをした。

日本と違い、すべての子どもが小学校を卒業するわけではない。経済的困窮、学力不振などの理由で中退してしまう子どもが少なくない。
帰り際、卒業証書を手にする子どもと付き添いの家族の表情には、無事に卒業できたという安堵感と達成感のようなものが感じられた。

開発途上国で生活すること10年。集合時間一つとっても楽しい経験を積み重ねることができた。日本では考えられないことだけに、新鮮な体験だった。

学校での約束の時刻。児童は時間割で動いている。そのため、授業時間内に設定されている行事は比較的時間通りに開始、終了することが多い。
が、完全にそういともいいきれない場面にも何回か遭遇した。

一般的な会議はどうだろう。こちらも約束の時間通り開始されることは少ない。だからといってアポの時間に遅れることはできない。遅刻して相手を待たせてしまう場合が稀にあるからだ。
時間通りに到着することがベスト。相手の信頼を損なわなくてすむ。
開始が遅れる場合は、誰かと話したり、本を読んだりなどして適当に時間をつぶす。それが最善の方法であるとの結論に達した。

研修会を開催すると、参加者が子どもを指導する教員であっても、なかなか時間通りに開始することができない。遅刻に対する厳しいペナルティーを課すと、日ごとに少しずつよくなってく。
時間に対する大切な話、エピソードを研修初日にしっかり話しをしておくと効果がある。

ホンジュラス人は時間に関する概念が日本人とは異なる。しかし、きちんとこちらの意図を伝えれば改善は可能だ。彼らの時間に対する認識をどこまで高められるかがポイントである。

多数のファーストフード店がホンジュラスにもある。ピザハット、マクドナルドなどでは、日本、アメリカ同様の手際よいサービスが受けられる。そしてトイレの掃除も比較的よくなされている。
ファーストフードの利用には賛否両論があるが、従業員に対する立派な教育システムが確立されているようだ。

そう、やればできるのだ。

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