たびびと

世界を楽しく旅しましょう!

世界遺産観光地から開発途上国まで、世界各地の心あたたまる、すてきな風をお届けします。

紙幣詐欺 メキシコの風

2010年10月04日 | メキシコの風
メキシコの旧市街地区のガリバルディ広場。
夜の10時であるにもかかわらず、広場はマリアッチを聞きに来る人でごったがえしている。
周辺には出店が立ち並び、鶏の足をゆでたものも売っている。

その一角にある怪しげなバーにぼくは入った。
休暇にメキシコ旅行を楽しんでいたときのことである。

店内は薄暗く、客はまばら。
メキシコの夜の生活はこれからである。

1500ペソの飲み物を注文し、5000ペソを支払う。
すると、店員は支払ったばかりの紙幣をぼくに見せた。
「これは500ペソだ。足りないぞ」
紙幣をつき返してきた。

「ごめんごめん」
今度は2000ペソ紙幣を出した。

すると、今度は
「これは1000ペソだ」
と、再度紙幣をぼくにつき返してくる。

紙幣を確認すると、確かに1000ペソ。

飲み物を注文する度に、同様のやりとりが繰り返された。
何となく盛り上がりに欠ける店内。美女もいない。とりあえず店をかえることにする。

そして次のバーへ。
何とそこでも、支払う紙幣を何回か突き返された。
注文するのはビール。しかし、一口、二口しか飲んでおらず、意識はしっかりしていた。

ホテルへの帰り道、何かがおかしいことに気がついた。
「詐欺だ」

夜道を歩く足取りはしっかりしていた。酔いもすっかりさめていた。

店員は紙幣を受け取ると、一瞬後ろを向いた。そして振り返る。
その後ろを向いた一瞬の隙に紙幣をすりかえていたのだ!

そればかりではない。
最初のバーでは、高額紙幣を支払った後、お釣りを持ってこない。
レジまで行き、店員に突き詰めた。

「どの店員に支払ったんだ」
ジロリとぼくを睨みながら、一人の店員が質問をした。

返答できなかった。
暗くて店内では人の表情がよく見えない。また、日本人にとって外国人の顔は皆同じに見える。
更にいうと、勘定をするときに、いちいち店員の顔を覚える習慣はなかった。

「忘れたよ。でも、確かに5000ペソ払ったんだ。店員全員に確認してよ」
「誰か知ってるか」
彼はぶっきらぼうな声で仲間に質問をした。
「みろ、誰も知らないってよ」

この手の詐欺がメキシコでは横行していた。はっきりいってとても不快だ。
当初は気づかない。まるで手品のように人を騙す。
しかし、紙幣をつき返されたとき、何となくイヤーな気分になる。第六感だろう。

これらの詐欺に気がついてからは、毅然と対応するようなった。

支払いはどうしたか。自分でレジまで行くことにした。
それができないときは、紙幣の額を手渡す前に明かりの下ではっきりと確認してから手渡した。
「これ1000ペソ紙幣ね」
店員が同意してから渡す。そして相手の目をしっかりと見て顔も確認する。
対策をとるようになってからは、二度と詐欺には遭わなくなった。

メキシコの紙幣の色、大きさはどの額も似ている。外国人に対してのこの手の詐欺が彼らの間には定着しているのだろう。

他のまともなレストランではこのようなことは起こらない。

冒険のため、日中開いていた怪しげなバーにも入ってみた。
この店では、きちんとお釣りを持ってきた。この店は旧市街地ではなく、新市街地にあった。幾分雰囲気も現代的。しかし、値段も少々割高。
しかし、この店ではしつこくチップを要求された。だから、お釣りの小銭が自分の財布に入ることはなかった。

教訓は唯一つ。
「君子危うきに近寄らず」である。

公衆トイレはどこ? メキシコの風

2010年02月21日 | メキシコの風
中南米の開発途上国に、公衆トイレはほとんどありません。
理由はよくわかりません。文化の違いでしょうか。

そもそも、あちらの人は日本人のようにあまりトイレに行かないのです。ですから公衆トイレを設置する必要があまりないのかもしれません。
膀胱の大きさが違うこと、あるいは水分をあまりとらない食習慣が、トイレに行く回数が少ない理由の一つかと思われます。そちらの方が何かと便利ですね。

ごくごくまれに公衆トイレを見ることがあります。
喜んで入ろうとすると、入口に鍵がかかっていたりします。何のためにあるのでしょうか…?

ただ、最近は大都市にショッピングモールができ始め、そこにはトイレが整備されています。

さて、メキシコを旅行していたときのことです。

本屋さん巡りをしていました。
「メキシコでなぜ本屋さん?」
と思われるかもしれません。

メキシコでは海賊版の本が流通しているようで、スペイン語の本がとても安かったのです。書店の大きさも、それまでに滞在していたホンジュラスなどとは比較にならない大きさでした。当然本の種類も豊富です。

当時はインターネットが発達しておらず、アマゾンで外国の書籍を気軽に購入できる時代ではありませでした。

J・クリシュナムルティという人の本を探していました。
本屋さんに行っては、
「J・クリシュナムルティの本がありますか」
と尋ねます。

在庫がある、ないにかかわらず、そこで、更に近くの本屋さんを紹介してもらうことを繰り返していました。
住所と行き方を聞いて、公共バスで移動します。それがまたまた楽しいのです。公共バスとして小さなマイクロバスが小都市を移動していて、それを利用しました。

そしてある地方の本屋さんに寄った日のことです。本屋さん探索を満喫した後、中央公園のベンチで休んでいました。お昼前の時間です。
中南米のどこの都市もそうですが、中央公園の向かいには立派なカトリックの教会があります。

公園には幼稚園の子どもがたくさんいます。薄いブルーの制服を着ています。先生と一緒に遊んでいます。おしゃべりも楽しんでいます。どこの世界でも、子どもは無邪気です。

「メキシコシティは治安が良くない」
と言われており、それを肌で感じていましたが、こうして公園でのんびりできる雰囲気はまだ維持できていました。

休憩してしばらく経つと、トイレに行きたくなりました。早朝にホテルを出発してから数時間が経過しています。

近くにマクドナルドがあると、そこのトイレを利用します。お客さんがたくさんいるので、どさくさにまぎれて、何も買わなくても利用できるからです。もちろん、客がいないときは何かを買わねばなりません。

ところが、僕がいた場所は地方都市。マクドナルドのようなファーストフードのお店はありません。時間も午前中ということで人もまばらです。

教会近くを歩きますが、もちろん公衆トイレはありません。少し焦ってきました。
「どうしよう。結構おしゃれな地方都市で、路地もないな。こんなところで立ち小便をするわけにもいかないし」

当たり前ですが、道は舗装されています。地方都市ではありますが、都会化されているのです。その辺で用をたすと、警察に連れて行かれそうな危険を感じます。

道を歩きながら
「どうしたものか」
と考えていると、商店が少し立ち並ぶ通りにレストランがありました。その前で、ウェイターさんが一生懸命掃除をしています。
スーパーマリオのマリオのような顔をした背の高い中年の男性です。

「すいません。トイレを使わせてらってもいいですか」
我慢の限界に近かったので、この質問をする以外に選択の余地はありませんでした。

「ああいいよ。中に入っていくと、奥にあるよ」
快諾してもらえました。

小走りに奥に進んで、無事にトイレで用をたしました。
レストランではなく、そこはバーでした。

九死に一生を得てすっきりです。
外に出てお礼を言うと、彼は手を差し出します。
そう、チップを要求しているのです。
「お金を払うのは当然」
という表情です。

もちろん小銭をいくらかわたし、再度お礼を言いました。

その日以降、ホテルを出る前から水分摂取を控えるようになりました。


多くの方に楽しい旅をしていただければと思っています。
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