治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

「いじめる子は悪くない、いじめられる方が悪い」

2012-07-20 06:25:26 | 日記
「いじめる子は悪くない。いじめられる方が悪い。その常識に苦しめられた」

これは、「変光星」を花風社で出したときに私が考えた帯のコピーです。
著者の森口奈緒美さんにも一発で気に入っていただけました。

私が学校という場所、教師という人種に基本的に信用を置いていない理由が、ここに凝縮されています。

つまりね

「正義」より「身内のノリ」を重んじて
そこに沿った振舞いを「よし」とする場ですよね、学校。
そしてその倫理観を社会性と称して子どもたちに教える場。

だからこそ、いじめられる方にも問題があるのだとか真顔で言う。
森口さんの場合だと、性格変えろとか言われたらしい。
でもね、たとえきもくてもとろくても、いじめることは絶対に悪ですよ。
この絶対に正義とか悪とかを、学校は教えない。
周りの顔色伺って行動することが社会性だと思っている。

そこで行われるSSTっていうのは私も何度か立ち会ったことありますが
これが社会だと思ってしまったら、人にへりくだることばかり覚えて
かえって世の中が怖くなったり、自分にこれほどのガマンを強いる社会を恨むようになったりするのでは? と思った。

実はね、私は数日引きこもろうと思っていました。
いや、家事はしますよ(笑)。ていうか仕事もしてるけど、ブログ的に。
取り掛かってることがあるから。

でも昨日画伯ブログでこの話題が取り上げられたのをみて
そろそろ書くときかな、と思ったんです。

画伯は刑事事件化を勧めているし
私も基本的にはそれに賛成。学校にはもっと司法と資本の論理が入ってほしいと思いますね。

でも落合弁護士のブログには
この事件を立件することの難しさも書かれていて、なるほどなあと思いました。

刑事事件化するっていうことはどういうことかというと
身内のノリに、メタな裁きを持ち込むっていうことでしょ。

これを日ごろから倫理的に行わない。
それがいじめの温床だと私は思っています。

でもね

ギョーカイがそれを責められるかなあ?

「自分たちの」都合が悪いから自閉症者の犯罪を報道するなとか
「自分たちが」世間からうるさく言われるから自閉症の研究途上をマスメディアで取り上げるなとか
四歳女児に大の大人が股間を触らせようと、成人の障害者が子どもを放り投げて内臓破裂に至らせようと
障害者だから法的措置を採るな、報道するな、偏見につながる、という一般人の知る権利を無視した主張を真顔でする人々が
大津の事件の加害者をしたり顔で非難できるもんでしょうかね?

八歳の子が本を書き、心ない人に傷ついたとき
「本を書いた以上は当たり前」「周囲が言って聞かせるべき」と真顔で語り
司法の介入を不当だと集団で騒いだ人たちが
大津の事件に関しては、完全に被害者に肩入れできるんですかね?

ていうか「性格変えろ」って私もさんざん言われたような気がするな~。
変わんないって、性格は。
ただ社会的に使える方向に磨くだけ。
ケンカ上等な性格なら、それを社会正義実現のほうに使いましょ。
私だから神田橋先生の発達障害の本を出せたんでしょうよ。
性格変えろって言われてびびるような人なら、怖くて出せなかったよん。
そうしたら引きこもり→就労への豪華オプションライフを歩み始めた方からの
こういううれしい話も聞けなかったでしょうよ。



自分たちの都合では身内のノリを社会正義に優先させている人が、この問題をしたり顔で語るのは片腹痛いですわ。

そういえば札幌行ったとき、栗林先生とお酒を飲んで
栗林先生のいじめ対策を聞きました。
特別支援教育において死んだふりしない人はね
いじめにも死んだふりしませんわ。
こういう教師が増えれば、私も教師を見直すよ。
逆にどっちも死んだふりの人は死んだふりなんだろうな。

私はね、守るべきものを持たない都会人なので
今後も利権を考えて投票行動に出ることはしません。

よく、自閉症の人の生涯を消化試合みたいに見なす福祉関係者のことを
「食い扶持を失いたくないんだ」と評する人がいますが
私はそれが信じられないんですよ。その小ささがね。

その人が今目の前にある問題を真摯に解決していく態度を身につけている限り
それは一生の財産となり
たとえ障害者がこの世に一人もいなくなっても、次の役目が用意されていますよ。
そういうもんです。

私は私の作った本を読んで、苦しむ自閉っ子が一人もいなくなっても構わない。
そのときには、きっとまた別の課題が出てくるでしょうから
それに一生懸命取り組んでいるうちに、時期がきてお迎えが来るでしょう。

私は死んだふり祭りに行って、はっきりとわかりました。
なぜギョーカイは、真顔でこういう声明を出すか。

死んだふりは死んでも治りません。
崩していける人がいるとするなら、ローカルギョーカイでしょう。
今度の全国大会だって、ローカルな人が金太郎飴化を避けたのだし。
だから長沼先生をゲストに呼ぶことになったのだろうし。

ただ長沼先生の発表に対して飛んだ卑屈頭質問と、それを幼稚園児のようにあやすギョーカイメジャーを見て
ああ、だめだなあと思ったけど。

卑屈頭もスペクトラムです。
そしてもっとも卑屈度が高い人が傷つかないように、ギョーカイは事を進めるし
それは社会正義と両立しない。

だけじゃないです。

もっとも卑屈度が高い人に合わせることによって
同じ障害児の保護者・支援者も
大事な情報から遠ざけられています。

それがわかった。

そのこと今、自閉っ子通信に書こうと思っています。
とりあえず構想は練った。
あとは一気に書くと思います。

自閉っ子通信は、一般に流通するものではないから
かなり思い切ったこと書くと思います。

日曜日、名古屋に行くまでに書き上げるつもりです。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆

お相撲が終わったころに神田橋先生からお電話があって

2012-07-18 19:30:00 | 日記
さて、さっき結びの一番が終わったころ、神田橋先生からお電話がありましたよ。
(偶然だろうか? それとも私はカリスマにまで気を遣わせてしまっているのだろうか?)
いや、昨日、自閉症協会の全国大会についてお手紙でご報告したんですけどね

「治る病気はないのよ」とおっしゃる。

ははあ。

「風邪が治ったって、免疫系には風邪を引いた前とは違う変化が起きている。だから治る病気はない。ただ未来があるだけ。ラクになる未来と苦しいままの未来と」とのこと。

ははあ。

「ラクになる未来を選ぶ人もいるよね。そうじゃない未来を選ぶ人もいる。そして発達障害の子は、どんどんラクになっていくよ」

ですよね~。でもそれを信用しない人がいて。どうもお祭りに行ったら、信用しないことが共同利益になっていて
それが言葉尻症候群に結びついているんだな、っていうことがわかって。

「そう思い込むことで心を安定させているのよ。そういう人もいるね」

なるほど。
でも、だったら人を巻き込まないでほしいですね。ラクになる未来を選ぶ人を。
だから私は、もう住み分ければいいと思うんですけどね。

「あと藤家さんの本ね、主治医から必ず一文もらってね」

いやあ、お忙しいと思いますし。

「藤家さんの回復を見てね、あれはただの適応障害だったんじゃないか、発達障害じゃないんじゃないかという突っ込みを入れる人もいるかもしれないからね」

いやあ、そういう突っ込みはもう盛んに入ってますけどね。まあ一時支援に入ったそれいゆさんから見ても主治医の先生から見ても周囲の私たちから見ても自閉っ子だし今も自閉っ子のままラクになったわけですけど。
でも、それこそ自分の心の安定のためにそうじゃないと思いたい人は仕方ないんじゃないの?
YTみたいに犯罪行為にいかない限りは。

と思ったけど

「きちんと残る本にしないとね。藤家さんの回復の記録は」

と言われて、素直にちゅん平に電話をしました。そしてするすると主治医の先生に伝わって、お忙しいにもかかわらず講演会に間に合うように書いていただけるようになった。ありがたい。
そういう運命の本なんだね、この子は。

診断書も載せていいそうです。

ここまで決まったのが結びの一番後30分くらいの間かな。

どうして神田橋先生がここまでアドバイスをくださったかというと、きっと

「ラクになる未来のほうがいいよね。そして発達障害の子は、どんどんラクになっていくよ」

っていうことを、やっぱり伝えたかったからでしょうね。

親のせいではない

2012-07-18 08:36:12 | 日記
お相撲終わってメールチェックしたら
朝のブログを読んだという方からメールが届いていた。
同じ医療のセッションに出ていたらしい。

「このメールがお相撲の邪魔にならないといいんですけど」

大丈夫です。終わってからメールチェックしたから。

メールの内容に「はげどう」です。

なぜ医療の話を聞きに行って
いきなり親学批判を聞かされなきゃいけないのか
それがわかんなかったんですよね。

言葉尻症候群の質問が出た意味もわかんないし
それにまともに取り合うギョーカイメジャーを見て
ああこういう仕事を余儀なくされているから世間から見ると不可思議な要求をいっぱい出すんだろうなと思いましたです。
それを肌身で感じるだけでも、お祭りに行ってよかったよ。

ギョーカイのご本尊はこれです。

「親のせいではない」

これを死守するために
多くのものを犠牲にしていますわね。

なぜなら
「親のせいだ」って言っていない言葉をひとつひとつ言葉尻でいちゃもんつけて(ていうか本当にそう思っちゃうんだろうね。脳汁的に)
親のせいではない、というマントラを唱えないと気がすまない人を「支援」しなきゃいけない立場だと
とにかく人の口をふさぐことになる。
発達援助に関する知識も含めてね。
それがおかしい、っていう感覚をなくしていくんでしょう。

私から見ると「それ、言葉尻だよ」って教えてあげるほうが支援だと思うんだけどね。
「それ言葉尻だよ」って教えることより「なだめる」ことを選ぶ。
それが「死んだふり」の正体なのかもしれない。

だって、人の口ふさいで一番犠牲になるのは、お子さんじゃないのかしら。

さて

昨日別件で神田橋先生に手紙を書いたので
医療セッションに出たこと
具体的にどう患者さんの苦しみを取り除いていくかをしゃべったのは長沼先生お一人でしたとご報告しておきましたよ。



先日の「こころの科学」7月号(買ってね)に神田橋先生はこう書いていらっしゃいましたね。

=====

診断と治療・援助との互助関係が廃れ、一方向の流れ作業と化したために生み出された「マニュアル難民」がボクらの領域に氾濫している。発達障碍については殊に顕著である。専門家は分類作業の精緻化に専念し、現場医師の多くは二次障碍に対する薬物使用だけで、障碍は放置である。援助者は生活の場での不器用を克服するための訓練に工夫を凝らすが、サーカスの犬の曲芸訓練との異同に注目していないようにも見える。

=====

うん。めった斬り。

これ以外にもね、この書評にはなぜ「みんなみんな発達障害なのか」とかが説明されていますので
買う価値ありますよ。
もちろん他の記事も読み応えありますしね。

でもギョーカイメジャーが神田橋療法を取り入れ始めたように

なんとか苦しみを取り除きたい、っていう方向に向かっている心あるお医者さんもたくさんいるはず。

きっとね。



☆☆☆☆☆☆☆☆

気がつけば給金相撲。
心労続きなつもりでいたけど
強くなってるなあ。

あと五日間。
思いっきり、稀勢の里の相撲を取ってほしいです。
なんかいけるような気がするよ。

「自閉っ子のための努力と手抜き入門」目次

2012-07-17 07:44:55 | 日記
そして、花風社としては全く消化試合だとは考えていないわけで
自閉っ子も人の道を覚えられるということで「自閉っ子のための道徳入門」を出したし

今度は、自閉っ子も努力できるよということで
「自閉っ子のための努力と手抜き入門」を出しますよ。


目次発表です。

=====


第一部

長い前座
特別支援教育に携わる先生たちへの、一民間人からのお願い。

「障害児の未来は、消化試合ではない」

浅見淳子


第二部

第二部 第一章
努力と手抜き その大前提――脳みそに、違いがあるのは当たり前

 ところで老眼始まった?
 社会がいくら理解しても
 体感と世界観のずれ
 名前がついてた
 おばさん的対応とおねえさん的対応
 手抜きのための努力をしよう
「初期投資」という考え方
 鍛えるというより老化を遅らせる
 仕事と趣味の両立にも体力は必要
 趣味の見つけ方
 自閉おばあさんになる準備
 女優ごっこと大リーグ養成ギブス(古っ!)
 認知方面のモンダイ
 俺ルールがもたらすキョーフ
 スルーするのも支援
 学校よ、ネタバレしておくれ
 社会とネタバレ
 なまはげ
 コネ入社は悪くない
 現実を教えることは残酷なことではない
 学校にどうあってほしいか
「もう一度自閉っ子に生まれたい」という言葉の真意
 自分オタクになろう
 ナルシストと呼ばないで
「私は世界の中心ではない」と知ってほっとする
 支援されているんだよ
 
第二部 第二章
努力と手抜きの現場報告

 自閉症オタクでないからアセスメントが上手
 不適切な対応と無駄な争いを避けるためのアセスメント
 定型発達者が有利なのは
 自分の好き嫌い、得意不得意を知る
 運動・身体づくりへのモチベーションを育てる
 得意なことをやめるのには大変な努力が必要
 苦しまないと効果がない?
 誤学習を防ぐために
「やったら楽しいよ」とは言わないで
「気が変わる」が難しい
 世の中への恨みの解き方
 独裁者になりたいけど、独裁者はしんどい
 努力が報われないとき
 陰謀論に陥らないために
 努力の必要性 まとめ
 
☆☆☆☆☆☆☆

昨日は結局一日お相撲を見ていた。
午前中は録画相撲部。
七日目の敗戦について、八日目の解説秀ノ山親方がこう言っていた。
「張られてかっとなって攻め急いだ」

他人とは思えない。
息子だけど。

今場所は二敗しちゃったけど
最初の三日とか、勝っている取組を見ると
今は亡き先代鳴戸親方の言葉がよみがえる。

「稀勢の里の相撲に自信を持て」

それでいいんだなと思いました。

私も花風社の本に自信を持ちます。
ギョーカイのお祭りに行って、むしろ自信を深めてきた。
誰と戦う必要もない。
うちはうちでいいんだと(専守防衛はするけどね)。

「自閉っ子の未来は消化試合ではない」
こう伝えるために
今度の「自閉っ子のための努力と手抜き入門」も
自信を持って出しますよ。

消化試合だと思う人がいるのはなぜ?

2012-07-17 07:27:11 | 日記
さて、出稽古先で言葉尻症候群の場面を目撃したと書いたけれど
どういうことかというと、
どうも重度の自分の子どもには、心理治療の対象となる心などないと思っているらしき協会員からの質問があったわけです。

その質問に対する長沼先生のお言葉を、ここにはっきり書くのは避けるけど

でも、岩永先生のやっていらっしゃるお仕事は
「もっと笑顔が見たいから」でしょ。



重度の自閉症のお子さん、自分のお母さんを後追いしないお子さんに
お母さんを後追いしてもらいたい。
それを目標に岩永先生は臨床に取り組まれてきたわけですね。

そこに心があるから。

ああいう質問が飛び出してくる人が
世間に向かって「自閉症を差別しないで、理解して」っていうのは
私には矛盾に見えるんですけどね。

まずは自分が理解し、差別しないことを始めればいいのではないかしら。

どうして消化試合だと思う人がいるんだろうなあと思っていたら
やすさんがいいエントリを書いてくれてました。
大地君と「家事をする引きこもり」を治療目的とする医者と、conventional

なるほどなあ。
conventionalだわね。
一つは、自分が成功例を出したことがないから。
そしてもう一つは、医療業界の利益を考えてのことなのかもしれないね。

一般人だよ

2012-07-16 08:19:15 | 日記
さて、閉会式はもちろん出ずに、外に出た。
ずっとついったーでつながっていたけれども、今度初めてお会いした方の、自慢の(今我々の間で配偶者につけるのに流行っている枕詞)だんなさまと自閉っ子の坊ちゃんとご挨拶。
ママがお勉強している間、パパと動物園に行ったそうだ。
円山動物園。私も行ったことあるよ。狼がいるね。
広い北海道。これから長いドライブをして帰るのね。

この方とは、今回お会いできると思っていましたが
長年ついったーでつながっているのに、そして別にいぢめてないのに(いや、誰もいぢめてませんけどね私は)
声を掛けるのに勇気がいったそうです。私に。
どうしてだろ、と言ったら、それが普通の感覚だと別の人に言われました。
私たちは一般人だから、と。

へ?
一般人と言えば、私だって一般人だよ。
一昔前の出版人と違って、出版幻想も持ってないし。
焼き鳥やさんが焼き鳥を焼くように、お団子やさんがお団子を作るように、本を作って売っている小商人。
一般人以外の何者でもありません。

でも一般人だと思わない人が一部にいて
その人たちは、一方的に攻撃して許されると思っていて
専守防衛されるとびっくりするのかもね。
対等な関係だからこそ、専守防衛しているんだけど。

なんていうことを思いました。

今回はとくに、一般人であることを痛感したし。
ギョーカイ人じゃなくて。

何人かのギョーカイ内部の人に
「名簿に名前が載っていて浅見さん来るんだなとびっくりした」と言われました。
「あ」だからね。上の方に載っていたらしい。

来年からはどうしよう。
う~ん。プログラム次第だな。
金太郎飴と合わないことははっきりしたので
金太郎飴を避けて時間が埋まるようなプログラムの会だったら
そして好きな街だったら、行くかもしれない。

涼しい札幌の街を、二日間つきあってくれた当事者のお友だちとホテルまでてくてく歩き
そこでお別れしました。

預けていた荷物を引き取って、札幌駅に行き
ソフトクリームを食べながらワンセグをつけました。

きせの取組はエアポートライナーの中で見ました。
そのあとばるとが敗れた一番は、ワンセグが途切れていて見られなかった。
さっきテレビで見ました。
妙義龍、すごい。
いいお相撲さんですよ。
面構えがいい。

鳴戸部屋のお相撲さんたちはストイックだし
境川部屋のお相撲さんたちは面構えがいいです。

狭いお相撲の世界でも
それぞれの部屋に特色がある。

それでいいと思うんです。

っていうわけで
私の出稽古終わり。

☆☆☆☆☆☆


見直した

2012-07-16 07:53:45 | 日記
さて、ランチのあとはお待ちかねの医療。三人の講師のうちお一人が長沼先生だ。
私たちは早めに行って桟敷席を取ることにした。
長沼先生の真ん前の席が取れたのでそこに陣取る。
やがて先生が入ってきて、「わ~遅刻しなかった」と感動。
一緒にいた人がチョコレートを差し入れしたら早速召し上がっていた。
そんな感じで、わきあいあいと講演前の時間を過ごす。

お知り合いの地元の支援校の先生が「浅見さん」と声をかけてくださる。
きっと桟敷席にいると思ったそうです。ビンゴです。先生。

さてセッションが始まる。
またもや親学批判。いやいいんですけどね、
そのほかにも「ハイハイギョーカイメジャーギョーカイメジャー」という話が続く。
え~とわかったのは、やはりギョーカイは研究の途上がメディアに出ることがいやみたいですね。
人心が安定しないから。
そしてその場合の人心っていうのは、自閉症者の保護者だけみたい。
いや、自閉症者の保護者っていうより、自閉症協会の会員だけみたい。
だって自閉症協会の会員以外にも自閉症者の保護者も当事者もいるし、その人たちは研究の途上でも知りたいでしょ。
っていうか自閉症者の保護者以外の人間もこの世には存在していて、その人たちにも知る権利はあるんだけど。
自閉症の治療の研究の進捗とか、自閉症者の犯罪とか。
でもそれがメディアに出ることには激しく反応なさるので、結論としては

うちが頑張んなきゃいけないってことですね。

って思いながら聞いていました。

地元の先生による強度行動障害の入院治療のお話に続き
長沼先生の発達障害の人に向けた入院させての心理治療の話。
長沼先生はいつも、とんでもない時間帯にメールをくださるけど
こういう風なお仕事もあるんだ、と思いました。
長沼先生らしいですよ。

フロアから質問。
言葉尻症候群の人もいたし、医者の指摘を超えるくらいの親ならではのセンスを発揮して、子どもの特性をつかんでいる方もいた。
親デバイドを目の当たりにしました。

そんなこんなで終わった医療のセッション。
最後に長沼先生がレジュメをくださった。
ごっちゃんです先生。お勉強させていただきます。
それにしても、ギョーカイメジャーの先生方を差し置いて
桟敷席にファンが陣取ったのは長沼先生お一人でした。
今度はジャニーズファンみたいなハート型のうちわでも作っていきましょうかね。

医療といえば、今回非公式な場で仕入れた話(要するにゴシップね)で面白かったのは
北海道の誇るギョーカイメジャーが神田橋療法の一部を取り入れているという話。
自分の身で体験して、効果を実感したんだそうです。
そのギョーカイメジャーに勧めたのは、愛甲さんなんだけどね。

いや、私は見直しましたよ。
子どもたちをラクにしたいと思う気持ちがあるからこそ、採り入れたんでしょ。
ギョーカイより子どもたち。そういう先生が増えてほしいもん。

卒業していくところ

2012-07-16 07:33:46 | 日記
さて、二日目。
午前中は、就労。
出席者の皆さんに、講師が声をかけ、支援者か学校関係者か保護者かきく。
教員少ない。保護者多い。
これはまあ、予測できたこと。
その子の人生に、最後までかかわるのは保護者だから。教員じゃなく。

現場のお話は、やはり現実的で面白い。
それにしても
「親はいつかいなくなる」とか
そういうことをギョーカイの人たちが遠慮がちに言うのが興味深かった。
私の周囲の人たちは、別に遠慮がちに言わない。
だって本当のことだし
だからこそ修行があるんでしょ。
こういうのを遠慮がちに言うのが、まだギョーカイではお約束なのかな?
だとしたら、空気読めてないな私。読む気もないけど。

数字ではっきり示されるとわかりやすいが
福祉的就労も就労と換算した場合、
実は重度の人のほうがアスペルガーの人より就職している率が高い。
これは国の調査でわかったこと。
それだけ居場所のない大人のアスペルガーの人がいる。それが現実。

だから、幼稚園のような居場所を作り
隷属しているかのようなスタッフを配置して
生活習慣のできていない当事者が好きな時間にやってきて
働きたい人は働く、おしゃべりしたい人はおしゃべりするみたいな居場所作りの報告もあった。

それは効果ないだろう、と私は思った。
っていうか、カンチガイ当事者を増やすだけじゃないの?
でも終わったあと話し合ったASDの当事者の人が
ああいうものが必要な時期もあるかもしれない、と言った。
なるほど。
支援者の人の意見を聴いたら
そういうところを卒業していく人はいいんだけどね、という話だった。
そうかも。
ていうか考えてみたら、就労継続支援を初めはありがたく利用していたが、やがてそこのぬるま湯っぷりにガマンできなくなり、一般就労に向けて動いた人がいる。
ちゅん平だ。
そのあたりの経緯、今度出る本にはばっちり書いてあるよ。

雇用者の方が講師陣に加わっていて、そのお話に私は感動した。
重度の人が戦力になっていることがわかった。
社会福祉法人を用意して、出口のことまで考えている。
けれども元々は、やはり障害者を「売り込み」されて雇用したのが初めだったらしい。
大山会長のときにも思ったけど
そこで一生懸命障害者雇用を営業した無名の人々にも私は喝采を送りたい。

素晴らしいセッションでした。
座長はギョーカイメジャーだったのでなんとなく今まで敬遠していた。
ギョーカイ感覚で就労支援なんてできないだろうと思ったのだ。
実際そういう講演会も行ったことあるし。ていうか自分も講師の一人としてしゃべったこともある。
ギョーカイメジャーの就労支援は使えない。それが私の経験に基づく先入観だった。

でも座長の先生は、企業に対してもフェアな感覚を持っておられることを発見した。
これだったらまたお話を聞きに行こう。
近くにいる方なので、機会はいくらでもあるだろう。

終わったあとは、自然に拍手が湧いた、そんな雰囲気の会でした。
そのあとご一緒した当事者で保護者の方も、本当にいいセッションだったと語っていた。
来てよかったなと思いました。

一人の教師が歴史を変える

2012-07-16 00:52:46 | 日記
大山会長の講演は、二度目だった。
ご著書も読んでいる。
前回の講演で、あまりの素晴らしさに、終わってすぐに名刺交換をお願いしたが
そのとき間近に拝見したお顔が、まるで仏様のように慈悲深かったのに驚いた。

でもお話を伺うと、闘ってきた方なのだな、と思う。
そして今も闘っている。
既得権益を崩すような提言も。
でもそれは、障害のある人全体のことを考えての長期的視点だと私には思えた。
従来企業の中で戦力と見なされてこなかった重度の人たちにも仕事を与え
「皆働社会」を実現する。
そのためには、ギョーカイが必ずしも歓迎しない提案もなさるのかもしれない。

二度目だけど、新しい気づきがいっぱいあった。
もったいなくて、ここには書けない。
自分のかなり深くに落とし込まないともったいないような
そういう講演だった。

それにしても、最初、雇用を渋っていた若き日の大山会長に
「せめて実習だけでも」と売り込んだ青鳥養護学校の先生はすごいと思う。
死んだふりしなかったんだ。
数週間でも、はたらく喜びを味わわせたいという気持ちをまっすぐ大山氏にぶつけた。
そして歴史を変えた。

仕事してますよ

2012-07-16 00:18:55 | 日記
さて、次なる儀式は厚生労働省と文部科学省による行政報告。
さすがお役人。紙使い放題の分厚い資料。
参加費たったの6000円だから(二日間)、本部のやりくり大変そうである(←おせっかい)。
これってきっと、こまめにHPを見てたりしてたら手に入る情報なのかもしれないけど
こういう風に渡されると実に便利。
出るのやめてこれ読むだけでいいかも、と一瞬思った。
会場の外でワンセグでお相撲を見たほうが(←はい。往生際悪いです)。

でも講演を聴くことにした。
お役人の観察も楽しそうじゃないか。
そして圧力団体と行政の間に働く微妙な作用を観察するまたとない機会ではないか。
で、講演聴いたんですけど、面白かったです。

お役人の言いたいことは
・予算が何にいくらついて
・どこまでが国の役割で
・どこからが自治体の役割か

基本的にこれの繰り返し。

逆に言うと、国として自閉症者にどういう役割を持ってほしいかとか
そういうことは出てこないのね。
たぶんそれが行政ってやつなのね。

そういう意味で、保護者が聴いたら、なんか大事なことに言及されてない感がして、すっきりしない人が多いと思う。
でもあの場では、正しいのですよ。
圧力団体が招聘し「君たち仕事してるの? 経過報告してよ」という場なのだから
「ほらほらこれだけお金つけましたよ。国はここまでやり、自治体はここからやってますよ」っていう説明は正しいのよ。

私の受けた印象では
今は相談支援事業のR&D時代なのだと思いました。
でもどういう相談支援事業が始まるのかははっきりしていません。
ただ始まることだけははっきりしている。
その質の担保がこれから重要になりますね。
私としては、教育相談で大地君の本を勧めた方のように
「社会(みんな)の中で生きる子に育てる」という意識を持った人が増えてほしいですが
予算と国と自治体の役割に終始した説明からは、もちろんそういう情報は得られないのでした。

これが儀式の儀式たるゆえんです。
脳みそと現場はこのあとのことね。
感覚統合学会は
こういう儀式が一切なかったからすっきりしてたのよ。
でも前エントリでも見たように
それは「支援(もしくは圧力活動)」がメインか「発達援助」がメインかで
大きく変わっていくのね。プログラムの成り立ちが。

でも文部科学省は
「伸ばす」方向に向かっているような気がしたな。
じゃないと困るんだけどね。
病弱児として支援校に来る子どもの中にASDが多い。
これも納得できることね。

そしてこのパートが終わったころ
どんどんどんどん人が増えてきたのでした。
次は日本理化学工業、大山会長の記念講演ですからね。
皆さんよくわかっていらっしゃる。
儀式はパスしても、現場の話は聞きたいよね。
でもね、子ども達の獅子舞はかわいかったよ。