治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

特別支援社会と名誉健常者

2012-07-04 07:17:38 | 日記
特別支援社会は、高い柵で囲まれていた。
外の社会の荒波から、中にいる人を守るためではない。
守られた世界から逃亡を図る人が後を絶たないから
その人たちが外に出るのを防ぐためにある高い柵。

鉄条網ではない。
そんなものを設置するのは、さすがに人権侵害だろう。
中にいるのは罪人ではなく、生まれつきの弱者とされる人々。
保護されるためにそこにいるはずなのだから。

地上の楽園だろうか。
けれども北の方にある地上の楽園同様
広大なその場所から、抜け出そうとして水辺で命を落とす人も多いという。
私のような方向音痴なら、この場所から抜け出すことはできない。
けれども方向感覚に優れている人ならば、できるのだろう。
おうちに帰りたいという気持ちが強ければなおさらのこと。
けれどもここから抜け出しても、その望みがかなえられる可能性は低い。
広大な敷地の外に出ても、そこは人里離れた山奥なのだから。

特別支援社会は、ある意味で特別ではない。
娑婆と同じように高齢化が進み
新入りを受け入れる余地はあまりないそうだ。
娑婆と同じように格差社会で
行動障害の重い人は築年数の古い建物、問題行動のない人は新しいきれいな建物が割り当てられるそうだ。
その人を人間として扱い、問題行動を治す気のある支援者にあった人は、いい環境を得られる。
死んだふり支援者に出会った人は、古い建物の中に拘束され一生を終わる。

私は実際に目にして
これが長続きするわけはないと思った。
こういう場所を見て「我が子を療育しなければならない」と目覚めたという方がいた。
職員と見まごうほどの高機能の入所者と会い、帰りの車中で泣いたという方がいた。
一般社会で生きようとする人が増えれば
それを目標に修行する人が増えれば
こういう場所ももっと人間的になるのかもしれない。

それでも入居志望者は、列を作っているそうだ。
それぞれの家族にそれぞれの事情があり
こういうところに家族を入れたいと願う人を私は一方的に非難することは避けたい。
選択は家族ごとに自由であるべきだ。

それでも

少なくとも、あの場所を目にしたあと
社会(みんな)の中で生きようと修行をする他人の子どもを揶揄できる人間がいたら
私は遠慮なく、鬼畜の中の鬼畜と呼ぶ。

特別支援社会を出て、地元の街に帰ってきた。
地域で暮らす障害者のいるこの街では
カラオケ屋さんの前に車椅子のグループが集っていた。
これからカラオケするのだろう。楽しそうだった。
特別支援社会よりずっと楽しそうだった。

大地君の「僕は、社会(みんな)の中で生きる。」より、一文公開します。
この話題のあとだからこそ、皆さんに読み返してほしいから。

=====

『名誉健常者』と、蔑んだ呼び方をしないでください。

 僕のように、「社会の中で働く大人になろう。友だちと一緒に勉強したり頑張れる人になろう」と、頑張っている人や応援している人を『名誉健常者』と、呼ぶ人たちがいます。この言葉を使っているのは、自閉症の子どもを育てているお父さんやお母さんたちです。その人たちが、僕たち自閉症の人たちを『名誉健常者』と呼んでいます。いつものことですが、ネットで特集を組んでいるそうです。そういうことが起きると、僕のところにメールが届きます。
「『名誉健常者』と、呼ばれて平気なのか!」
 平気なわけがありません。決して、良い意味で使われているわけじゃありません。障害があるけれど健常者の中で頑張ろうとしている人を馬鹿にしているのですから。僕の知っている人たちは、僕も含めて「健常者になりたい」という人はいませんし、「健常者を目指して!」と、言う人もいません。でも、「社会の中の一人になりたい」と、みんなが願っています。
 それって、普通のことのように思います。挨拶をすること。働きたいと願うこと。おむつではなくてトイレに行くこと。ご飯は箸やスプーンなどを使うこと。そういうことが出来るように努力することも『名誉健常者のロールモデル』とかいうそうです。
 どの国にも「自閉症の国」とか「障害者だけの世界」なんてありません。子どもも大人も、健常者も障害者もいろんな人がいるから社会です。得意もあれば、苦手もあります。助けが必要だったり、助けてあげたりするものです。助けてもらうばっかりで、挨拶もしないし、トイレにもいかない人はそれはそれでその人たちの生き方です。
 本山先生は「努力している人、頑張っている人を馬鹿にしてはいけない。応援してくれなくてもいいよ。でも、邪魔はするな」と、僕を笑う友だちに言ってくれました。それと同じだと思います。それと、「人間なんだから、人として幸せになろう」と、言ってくれました。
 僕たちは障害がありますけど、人間です。障害があるからこれくらいでいいとか、こういうことは無理とか、そういうことではない気がします。僕たちも友だちと一緒がいいんです。そのためには、挨拶くらいは出来たほうがいいし、食事のマナーくらいは守れたほうがいい。きっと、みんなも同じように考えていると思うんです。
 頑張って努力している人を馬鹿にして差別する『名誉健常者』という呼び方はやめてほしいです。