治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

SSTと奴隷道徳

2017-08-07 09:18:40 | 日記
ちゅん平さんは岩永先生が昔の話ばかりしているのにかなり怒っている様子です。
悲しんでもいます。涙が出たそうです。そりゃそうだよね。
ある当事者の方からの感想メール。

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これがギョーカイの支援者だと、「岩永先生の講演会のは〇〇という意味で言ったんだと思うよ」とSST・認知行動療法もどきが始まっていた所ですが、全く失礼ですよね。怒るのは当然だと思います。

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そうそう。ここでちゃんと怒れるのが自己肯定感の証ですよね。

一方でここでSSTという言葉がでてきたのでこの話書いてしまいますが
私はかねてより、発達障害の分野、特別支援教育の分野で行われているSST(とくに市販の教科書使ったもの)って奴隷道徳教えているなあ、と思って「奴隷道徳」という言葉を使ってきました。
私が何の気なしに使う言葉は当たっていることが多いので平気で使っていました。
そうしたら愛甲さんから先日こういうメールが来て

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かつての日本の大家族制度や米国の奴隷制度に代表されるような縦社会では、従順さが尊ばれていました。家長や雇用主など身分が上の
者に対して、女性や子どもや奴隷は自己主張せずに従順に従っていさえすれば身の安全が保障されていたからです。
戦後民主主義の時代に入り、身分の上下があいまいになって、
情報が氾濫し、個性が尊重され、子どもにも女性にも障害者にも高齢者にも人権が認められる社会へと変わりました。
そのため現代社会においては、自分で選んで決める主体性の獲得が最重要課題となっっています。

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自分が「奴隷道徳」という言葉を使ってきた真意を逆に知りました。

巷のSST(市販の教科書を使ったもの)は「縦社会」を前提としているのです。
そしてその縦社会の一番底辺に仲間入りさせてもらおう、という小手先のテクニックを教える。
だからSSTで二次障害を負ってしまう人、ルサンチマンを醸成してしまう人がいるのは当たり前なのです。

私にとっては当然のことなのですが、「治る」とは「他の誰かになる」というより「自分になる」ことです。
そして「社会に適応する」とは「自分を抑えつける」のではなく「自分が好きなように生き、その個性を他者に還元する」ことです。
私が市販のSSTを評価できないのは当たり前でした。

けれども「好きなように生きる」ときにはルールがあります。
そのルールとは何か。
何を守らなくてはいけないか。
そこで秘密の恩人の登場となります。

お楽しみに。

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2 コメント

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話が脱線して申し訳ないのですが (とと)
2017-08-09 13:56:43
エビデンス的には発達障害者に効果がある療育と言われているけれど、かんばしい効果が出ていない療育といえばSTTもそうですが、ABAもですね。

私の飼い猫がお世話になっている動物病院のお医者さんは
「オヤツでわんこをしつけているけれど、全然いうことを聞きません。
オヤツをもらえる時だけ従う。オヤツをもらえないのなら言うことをきかない
みたいに育ってしまって困っています」
ということを相談した犬の飼い主に
「わんこをごほうびでしつける方法(ABAと同じ)
最初のうちは『オヤツをくれるから飼い主に従う』でもいいけれど
ずっとそのままではダメなんです。
わんこの心が
『飼い主が大好き。飼い主と一緒になにかすることが嬉しい』みたいに
愛情や楽しさ嬉しさでつながるように切り替えていかないと。
そのためにはパターンや機械みたいにしつけたらダメで
わんこのしぐさや表情をよく見ることが大切ですよ」
と答えていました。

犬がそうなのだから、人間でだって同じですよね
自閉症者にも気持ちや心はあるのに、パターンや機械みたいに療育したら、そりゃあ効果が出ないでしょうね
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作業所でのSST経験から思うこと。 (のんの)
2017-08-12 22:37:10
日記を読み、就労継続支援B型作業所でのSST経験を思いだしました。

その作業所は、就労サポートよりも、日中の居場所として運営されているところでした。
毎月様々なイベントや学習会があり、中でもSSTの学習会に力を入れているようでした。

私は夕方からの食事支援を受けていたので、その後のSSTに参加していました。外部の人も参加する集団のSSTなので、毎回メンバーは違います。
メンバーは何かしら課題を考えて参加しますが、全部の課題が採用される訳ではありません。
課題が出ると、メンバーで知恵や対処方法を出しあうのですが、自分は想定の範囲内でしか意見を言えなかったと思います。

私は作業所以前、非正規で販売員をやった時期がありました。研修で接客のルールを教わりましたが、現場では想定外の場面に出くわすことは少なくなかったです。
そんな時、アドリブも使い切り抜ける訳ですが、SSTにはそういう側面がないような気がします。
作業所に個人でSSTを受け、それなりに成果を出している利用者の人もいましたし、SSTを全面否定する気はないのです。
ただ、個人のニーズを無視して標準的な枠にはめるのは、何か違うんじゃないか。
言葉が足りないかもしれませんが、人間てそんなに薄っぺらい存在じゃないだろうと思ってしまうのです。
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