治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

佐々木正美vs杉山登志郎(敬称略)という構図

2014-10-19 10:55:46 | 日記
さて、二ヶ月発達障害の本を読まず、復帰は奥田先生の本あたりかなと思っていたのですが
ちょうど出た新刊を読み始めました。

「アスペルガー症候群の難題」井出草平著 (光文社新書)

です。
まだ「はじめに」と一章しか読んでいません。これは実況しながら読もうかな、と思って。
一章では、アスペルガー症候群の人の犯罪親和性が高いかどうか
つまり、アスペルガーじゃない人と比べて犯罪を犯す確率が高いかどうかを追求しているんですが

「はじめに」と第一章で、私がたびたび指摘しているあのことに著者も言及しています。
「専門家たちの変化」です。

引用しましょう。

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 ただ、専門家と呼ばれる人たちは、両者(浅見注:犯罪と障害)の関連には否定的だった。世間の注目を浴びた事件の加害者がたまたまアスペルガー症候群だったと主張したのである。アスペルガー症候群の入門書の中には、犯罪との関連性に言及しているものおあるが、決まって関係性は否定されている。たとえば次のような記述だ。

 アスペルガー症候群は非行の原因ではない。
 過去の事件報道などをもとに、アスペルガー症候群を非行、犯罪にむすびつけて考える人がいます。これは大きな間違いです。

 これは精神科医の佐々木正美が書いた文章である。

(前掲書 P9)

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ご存じ佐々木先生の論です。佐々木先生はこれをさらに発展させ、アスペルガーの人たちは心がきれいな人たちなのだから、何か問題行動を起こすのならそれは支援者が悪いとまでおっしゃっていました。ちなみに、よこはま発達クリニックの顧問なので、私はよこはま発達クリニックが診断治療していた加害者が起こした自分の事件の詳細は全部ご報告してあります。献本したときとかはていねいなお返事をくださるマメな先生が、事件の経過報告については一向にレスポンスがないのが不思議なところです。

 さて、では杉山先生に対し、著者の井出氏はどういう観察をしているでしょうか。(この本の中では、専門家の態度の変化は観察の対象になっています。)

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 ここが本書の出発地点である。アスペルガー症候群の特性と犯罪との関係性を偏見の一言で退けずに、今一度、考えてみたいのだ。
 なぜなら、アスペルガー症候群と犯罪を扱った論文や専門書を丁寧に読み込むと、その関連性を示唆するものが少なからず存在するからだ。専門書や論文の記述と、一般・入門書の記述は大きく違う。
 例えば早い時期からアスペルガー症候群の臨床に携わってきた精神科医の杉山登志郎は、次のように述べている。

 著者らはこれまで、先に述べたように、これらの重大事件は偶発的なものであり、アスペルガー症候群が犯罪と結びつきやすいわけではないと主張してきたが、これだけ連続して起きると説得力がない。このグループへのきちんとした医療的、教育的な対応がなされない場合には、極端な事件に結びつく場合があることを認めざるを得ない。

 杉山がいう「極端な事件」とは、殺人などの凶悪犯罪のことである。杉山は、アスペルガー症候群が凶悪犯罪に発展する可能性があることを指摘している。

(前掲書 P10~11)

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 始まりは佐々木先生も杉山先生も、「犯罪と障害は関係ない」だったのですよね。それは私も目撃してきたこと。私が杉山先生を医療者として素晴らしい方だと本を読みまくりながら人間的に尊敬してこなかったのは、YTの「偽アスペルガー論争」で専門家として卑怯な責任逃れをした(と私の目には映った)あの経験があるからです。私はあの事件、被害者でしたからね。一般人よりよけい腹が立ったわけです。
 このあたりの時代の、専門家の欺瞞的な態度について、私は自著「自閉っ子と未来への希望」にこう書いています。



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 もう一つ、今だから言えること。
 それは当時、触法事件の加害者となった少年や青年に、捜査段階で「アスペルガー」「広汎性発達障害」「高機能自閉症」などの診断名がつき、報道されていたことでした。
 元々藤家さんが花風社にアプローチしてきたのも、長崎のアスペルガーの少年が起こした事件がきっかけでしたが、この頃ますます報道される事件が増えていたのでした。
 それに対して支援者の人たちは「報道しないでほしい」という呼びかけをしていました。事件と障害名を結びつけることによって、地域で生きる自閉っ子たちが偏見の目で見られるというのです。
 私自身は、たとえある障害の人が事件を起こしても、だからといって同じ障害の人が全部事件を起こすとは思えません。ですから、率直に言って支援者の人たちの動きは過剰反応に思えました。
「自閉症について知ってもらいたい」というのなら、いいところも悪いところも含めて情報開示して支援を訴えるべきであり、ネガティブな情報だけを隠すのはフェアではない。そもそも自閉症支援の名のもとに「国民の知る権利」を侵害しているように思えました。本当に健常者と共存を望むのなら、一般人の権利を侵害してはいけないのではないか、という疑問を抱きました。
 それに、加害側に回ったケースもきちんと報道しないと、本当に役立つ支援策は出てこないのではないでしょうか。
 ただこれだけは理解しました。どうやら支援者の人たちは、事件について報道されたくないようです。どうしても。どうしても。

(「自閉っ子と未来への希望」 浅見淳子著 119~120)
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 でもどうやらその後、佐々木先生と杉山先生は分岐していったように私の目には映ります。そして井出氏の目にもそう移っているようです。
 井出氏は杉山先生の態度の変化にこう説明をつけています。

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 杉山は発達障害に早くから取り組み、2000年代初頭には、アスペルガー症候群に犯罪との関連性はないという啓蒙を続けていた。この時期、杉山らはアスペ・エルデの会という親の会に継続的に関わっていた。親の会に参加している親というのは、子育てに非常に熱心であり、我が子の教育に対しても積極的である。このような積極的な関わり合いをしている家庭では、それほど犯罪には遭遇しなかったのだろう。杉山らは「アスペルガー症候群が犯罪と結びつきやすいわけではない」と主張していた。
 しかし、あいち小児保健医療総合センターの開院によって、親の会だけではなく、様々なバックグラウンドを持つ多くの事例と関わるうちに、犯罪リスクを認識したという。
 そのような変化を見せたのは杉山だけではない。当初、アスペルガー症候群と犯罪は関係がないと言っていたが、2000年代半ばに立場を変更した専門家は少なくない。
 このように、専門家たちの立場の変更を迫ったものは何だったのか。

(井出氏著書 P51~52)

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 昨今、親の会の衰退、組織率の低下等が言われますが、特別支援教育がこれだけ行き渡った前と後とではニーズが違って当たり前。佐々木先生的な原理主義で運営している比較的高齢化した幹部がやっているところに、若いお母さんたちが魅力を感じないのは自然なことなんじゃないでしょうかね。
 時代は杉山先生の方にあるんじゃないの?
 一部親の会がその変化についていっていないだけじゃないの?

 でも井出氏と私は、「なぜ杉山先生が態度を変えたか」の意見は若干違いますけど。

 杉山先生は元々公的な機関で診察されてきたわけだから、機能不全家庭のケースや、一番難しい触法のケースとかもご存じだったのではないでしょうか。ご存じだったけど、隠してきた。「障害と犯罪は関係ない」という「啓蒙」を続けてきた。それは私の目から見ると、一種の「ごまかし」です。その一つがYTが暴れたときの「偽アスペルガー論争」であり、私は被害者としてないがしろにされたという経験を持っているわけです。「自閉っ子と未来への希望」に書いた違和感の元もそのあたり。ずいぶんやさしい書き方をしているなあ、と今では自分で読み返して思います。実際には、はらわた煮えくりかえっていた。

 そして寡聞にして、アスペ・エルデの会に品行方正な当事者と保護者のみが集まっているという話も聞かない。

 井出氏の著作はほんの読みかけですけど、私がたぶんこの本に満足しないであろう予感がするのは、小さい頃からの問題行動と犯罪の関連性についての言及が薄そうなところ。まだわかりませんよ、あとから出てくるかもしれない。でもそういう細かい人権侵害行動の「配慮という名の見逃し」を、私は支援者がむしろ積極的にやってきたと思っています。今もやっているでしょう。そこに被害者がいるという視点は一切なく。

 杉山先生が態度を変更された理由として、先生ご自身の記述

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 著者らはこれまで、先に述べたように、これらの重大事件は偶発的なものであり、アスペルガー症候群が犯罪と結びつきやすいわけではないと主張してきたが、これだけ連続して起きると説得力がない。

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 これは私の目には「もうごまかせないよ」という告白に見えます。

 なんらかの理由で、関連を隠してきた。おそらくそれは、ゆがんだ当事者保護でしょう。この国の宿痾ともいえる「身内だけよければいい」という態度。当事者の都合を優先させ、利権を発生させ、それを守るために社会に負担を強いるという日本人のお家芸を、ギョーカイもまたやっていただけでしょう。

 それでも事件がばんばん明るみに出たからこそ、第一線の医師が

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このグループへのきちんとした医療的、教育的な対応がなされない場合には、極端な事件に結びつく場合があることを認めざるを得ない。

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と社会的使命を果たすことを誓われているのは、一般人としてとても心強いことだと思います。

当事者が事件を起こすのなら悪いのは支援者だ、という佐々木先生の主張に従い、YTの件をつまびらかにご報告した私に佐々木先生はだんまりなわけですが、それは別に佐々木先生になんらかの悪意があると、私は受け取っていません。

このギョーカイのメジャーたちの悪口を私はいっぱい言いますが、彼らが悪い人間だと思っているのではありません。例外はありますが。吉川(敬称略してない)とか。

ただ彼らが決定的に欠いているものがあると思います。
ギョーカイメジャーにないもの。

それは

男気です。
受けて立つ強さ、と言い換えてもいい。
ごまかせるところまでごまかそうと思ってきた。それがギョーカイ。

「社会のために」という男気のある人はいない。
だからそういう人が説く「自閉症に優しい社会」なんてのはやってこないよ、それを前提に発達援助していこうよ、と私は呼びかけている。

そして「もうごまかしきれない」という動機であれ、問題行動に医療的な介入をするというギョーカイの先生方を私は一般市民として支持する者です。
それが本当の「共存」だと思うから。

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6 コメント

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親にとっての「受けて立つ強さ」 (おから)
2014-10-21 14:59:44
 >ごまかせるところまでごまかそうと思ってきた。それがギョーカイ
少し言葉は変わりますが、大意で私もそれに気づきました。長男が高校生くらいになった頃でしょうか。
 佐々木正美先生と杉山登志先生のお話し、お二人とも少しずつ言葉を換えてきたような印象がありました。それ以外にも16年あまりの間、多くの講演会やシンポジウムに足を運びました。子の成長とは別に親としての取捨選択を繰り返す中、佐々木正美先生を必要としなくなった、と言うのが近いかもしれません。そして反対に杉山先生の情報に耳を傾けた。我が子のこれからに必要なのは何かという事。佐々木正美先生のお話しは、自閉症児を育てていく上での覚悟以前にある、受容段階で必要だったと今も思います。佐々木先生は高機能の大学生活に関するアドバイスまでも説かれていますが、本人をどうするか何をさせるかではなく、周りがどう配慮すべきかという、親にはどうすることも出来ない部分を説いており、現実的で無いと思いました。ですから杉山先生の情報の方がその後の覚悟(遵法教育!)を含め現実的で必要と感じました。けれど当地の専門家は親の会で、佐々木先生を絶賛し続け杉山先生を「あの人はおかしいと思う、親の気持ちが分からないし自閉症に関しても考え方がおかしい」と言われていました。我が子をありのままにしている親御さんから強く賛同を得ていました。ごく最近の事です。
 ギョーカイは常に自閉症が本人ではなく周りの問題なので、行き詰まります。よくいわれる「過去と他人は変えられないが未来と自分は変えられる」の視点が、ギョーカイにはないのです。そして「見たい信じたいものだけ」をひたすら求めるのです。そこを上手にやり過ごすのが、ギョーカイスタンダード支援者なのでしょう。そう、ギョーカイには支援者も親も、「受けて立つ強さ」はありません。今までずっとそうでした。それこそがギョーカイの限界だと、思いました。
 せめて我が子の育ちに関してだけでも、受けて立つ強さを持ち続けたいと、常々我が身を振り返っております。
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必要なのは、「いい人」ではない (浅見淳子)
2014-10-22 09:26:55
おからさん、ようこそ。
佐々木先生を慕う方々は、だいたいくじけてますよね(いきなり暴言*個人の意見です)。当たりも柔らかいし、保護者や当事者ではなく社会に努力せよという主張もくじけている人の耳には優しいのでしょう。そして実際に、とてもいい方なのではないかと思います。杉山先生とどっちが「いい人」かときかれたら、佐々木先生なのではないでしょうか。杉山先生が弊社の本で発売を楽しみにされている本があるという情報が入ったことがあり、献本しましたが、もちろん礼状の一枚も来るわけではありません。どこに出しても恥ずかしくない立派な梨のつぶてです。その点佐々木先生の方が、お心遣いの方だと思います。
ただこうした触法の問題とか、発達障害の人の社会適応とかを考えた場合、いい人であることはあまり役に立たない段階にわれわれは今立っています。杉山先生が地元の親の会で嫌われているのなら、それこそ杉山先生が正しい道を歩んでいらっしゃる証拠なのでしょうね。
大学生のアスペルガーに関しては、山崎御大のご著書をおすすめいたします。先生本当にギョーカイ圧力団体のボスですか? というくらいギョーカイの主張とは正反対のことが書かれています。私が死んだふり祭り(自閉症協会全国大会ともいう)に行ったときにも、難癖つけてぴーぴー言う保護者に山崎先生は「おおよしよし」の対応をされていました。でも今必要なのは、猿烏賊スペクトラムに属する人たちにおおよしよしをしないでソリューションにまっすぐ突き進む支援者です。そういう人が出てきますかね?
件の井出さんの本を昨日読み終わりました。私にとってはギョーカイ告発の書で(これはまた記事にしますね)それだけでも意義深かったですが、井出さんの提案するソリューションは「ないわー」でした。井出さんはまだ私ほどギョーカイを見限っていないのだと思いました。途中までは主張が似ているのですが、自分が井出さんに比べて徹頭徹尾ギョーカイに期待していないので、私は本当に化外の民なんだなと改めて認識した次第です。私がどこにがっかりしたかを探しながら読んでいただくという読み方もあるなあと思います。
またお越しくださいませ。
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優しさはいらないかも (タラちゃん)
2014-10-22 10:24:42
家から離れて働いてみようと思った時に、病院の先生は「無理しないこと。出来ることを少しずつ。」と言いました。

でも支援センターの担当者は違ったよー。「働いてお金をもらうって簡単なことじゃない。ハンパな気持ちなら初めから外に出るなんて考えない方がいい。もう家に戻らないって覚悟がないなら帰りなさい。」って言われたよー。

コイツ、ヤバイって思ったけどね、心を決めてからはいろいろと相談を聞いてくれましたっし。
施設でボランティアするところから紹介してくれて、ヘルパーの勉強して、介護の仕事までほねおってくれたよ。

病院の先生は「そんなキツイ仕事はあんたにはムリ!」みたいな感じで、定時制が決まったときも「頑張りすぎ!今さら、なんで高校?」って言われたけど、担当者だけはいつも「なるほど」だけ。
せっかく前向きになったんだから実現させましょうって走り回ってくれました。
私はなるほどくんって呼んでんだけどね。

でも思ったんだけど、先生はどうしてわたしを箱の中にしまっておきたいのかなーってね。私はなんか特別なのかなって。

その前に学校は嫌になりませんか?とか、友達はどう?と聞かれたら、学校に行けなくなったり、友達が嫌いになった方がいいのかなって思ったりして。
先生に腹がたったっていったら、ツライよねとか言われて。あ、私は今はツライかわいそうな立場なんだって思ったりして。

なんだか話にまとまりがないけど、先生のところに行くとダメ人間になるなーと思って。マインドコントロールされてる気がして、病院はキライなの。
優しく慰めてくれる人はあんまり私のためにはならないなーって思うんだな。

先生は薬はだしてくれるけど、私のために職場や学校にまでいってはくれないしー。4週間に一回10分私の前に座っている人だけ?


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ギョーカイの面接 (やす)
2014-10-23 16:21:43
田舎の老舗社会福祉法人〈落選済み〉の、障害者就労施設長のご意見。〈なるべく聞いたまま〉

・就労なんて大変。落ちてばかりで、ただただ傷つく。利用者がへこむ姿は見たくない。〈自動車産業が盛んで単純労働がたくさんある地域であるにもかかわらず〉
・うちは障害の重い人、ご家庭が大切にしている方々の来る施設。仕事したい人は利用させない。

さらにひも解くと、
・仕事意欲のある人なんて、出て行ってしまうから、だったらずっとお客さんでいてくれそうな人に手厚くし、就労意欲満々で打たれ強い人なんて、そもそも福祉は必要ない。
とか、いいたげ、かな。

きっぱりとしたいい施設さんだと思いました。重い障害の人の介護もいいな、と思ったので受験しました。でも、チャレンジさせない、自己決定したり失敗する権利を主張する人はよそへ行きなさい、という施設で、それは違うかもしれない、とも思っていました。

治すこと、楽にすること、介護や障害度を下げることで評判をとり、利益を出そうとする、ほんの一つまみの企業もあるにはありますが、主に重い人や、中軽度でも仕事をするメンタルに達していない障害者を主要顧客とする企業が、多いと感じています。
身の置き場所は、考えなければ。

精神科医は「薬出し屋。文章屋」なのでは。
重本人の業績や意欲を無視する診断書を書いてくれる医者は、福祉系の支援を得るには、きっと良い医師だと思います。
真に受ける必要はないです。同程度の障害で、最もひどい状態の人を想定して、書いてくれているだけですから。
治したければ、あるいは就労可能と証明する医師と出会いたければ、情報を集めてよそに行けばいいと思います。〈鹿児島にいい医師いますよ〉
自分の人生は、自分で決めることだと、私は思います。

福祉系で、よい支援者と出会うことは、まさに川に出て砂金を探すような作業ですが、いるにはいるのですね。私もそんな人でありたいと思います。どうかそうなりますように。
普通の法人さんで仕事をしていては、ベクトルがほかの支援者とは異なるので、摩擦が起きるだけかな、とも感じています。

老舗施設での高給採用はかないませんでしたが、主義の合わない施設に雇われないでよかったと思いました。

精神病院もいろいろ、介護もいろいろ、福祉もいろいろと、たくさんの施設を営業や就職で見て回って感じています。一括りにはできないです。
アスペルガー障害の人には対人支援はできない、と断言される専門家の声もよく聞きますが、よい治療をする当事者医師、よい支援をする当事者支援者の顔を、私は何人も思い浮かべることができます。〈断言される専門家にそれを言っても時間と労力の無駄なので、私は距離を置くようにしています〉
介護福祉業界っていいな、と思っています。
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本人の中の生きる力 (浅見淳子)
2014-10-24 10:16:43
タラちゃん、ようこそ。
私の見るところ、発達凸凹の人の多くは、生きる力を自分の中に持っています。そりゃつらいところもある。でもそこをラクにしてあげたらあとは勝手に自分に合った発達援助を自分でやっていく。なのにそれに蓋をするような医療や支援が多いのね。タラちゃんは一カ所でもいい支援者に巡り会えて今があってよかったと思います。
どうして「つらいでしょ」とか「世間は冷たいでしょ」とか素直な人たちに吹き込むんだろうね。まるで当事者がつらくて不幸じゃないと自分たちが戸惑うっていう感じ。変なの。
タラちゃんのように立ち直った例は、広いギョーカイでは珍しいのかもしれないけど、花風社のまわりにはごろごろいます。タラちゃんもごろごろ仲間です。これからも花風社の本で興味があるものがあったら読んでくださいね。
またこちらにもお越しくださいませ。大事なお身体、季節の変わり目お大事に。
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ずっとお客さん (浅見淳子)
2014-10-24 10:24:07
やすさん、ようこそ。
ずっとお客さんでいてくれる事業体が多く、それの親玉がギョーカイなら、ギョーカイが治せないのは当たり前なのかもしれません。日本人の宿痾「身内の都合原理主義」です。ずっとなすがままに就労意欲のない利用者が利用し続けてくれて血税から自分たちの売上が上がればいいという事業体がほとんどなんでしょうね。でもそれは正しい道ではないですね。
私は日本全体のことを優先に考えますから、障害者は減らしたい。そして治ってほしい家族と治りたい健康で自立した生活をしたい当事者とのつきあいが多いものですから、そういうギョーカイに対しては化外の民でいようと決めたわけです。
またお越しくださいませ。
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