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長崎男児誘拐殺人事件
が起きたのは2003年夏。
そして
「他の誰かになりたかった」が出たのは2004年春。
「自分が住んでいる隣の県で事件が起きた。人々がアスペルガー障害について誤解している。その誤解を解くために原稿を書きました」
という売り込みを受けて、私が原稿を読む気になったのがまず
今と状況が違います。
今、そういう持ち込みがあっても私は相手にしない、と思う。
それくらい「社会の理解を」がイヤになっちまったんですね。
なんでかっていうと
社会の理解が、と言いながらそれが先送りのためだったり努力を惜しむためだったり
何よりも
正しい知識を!と言いながらむしろウソを広めたり正しい知識を隠したりするのが啓発活動になってるからです。
たとえば、豊川の「人を殺してみたかった」事件や長崎男児誘拐殺人事件でアスペルガーという診断名が取り沙汰されたとき
ギョーカイは「報道するな」とメディアに圧力をかけ、「正しい知識」、すなわち「加害少年にアスペルガーという診断がついた」ことを隠す方向に走りました。理由は「誤解されるから」。でも「加害少年にアスペルガー障害があった」という事実は事実。一般人にはそれを知る権利があります。要するにその頃からギョーカイの啓発は、「一般人の権利をないがしろにする」ことが前提になっていた。
その頃からこうしたやり方には疑問を持っていましたが、
一方で私も、アスペルガーの人たちが不用意に危険人物扱いされることには危機感を抱いていました。これをなんとかしたいという気持ちはありました。
本当ですよ。
それが後の活動につながっているのですよ。
まあともかく
そんなところに原稿を持ち込んできたのが藤家さんで
今になるとわかります。なぜこの本の「誤解を解きたい」には嫌悪感を抱かなかったのか。
なぜなら彼女はこの本の中で
私たちも人間です、と必死に訴えているからです。ただ、こういう風に世界が見えているんだ。と。それに私たちはびっくりしたのです。
報道するな!とメディアに圧力をかけ、現実から目を背けるやり方よりも
私たちも人間です、と訴える啓発の方が、私にはピンと来たのでした。だから2004年春、私はこの本を世に送り出しました。
ところが
同じ2004年の初夏
またもや藤家さんが住んでいる土地の隣県、長崎県の佐世保市で
アスペルガーの少女が事件を起こしたのでした。
佐世保小6女児同級生殺害事件
です。