さて、半年。
3.11とそれに続く日々で私が知ったのは
恐怖の度合いって人によって違うっていうことですね。
ニキさんの訳したこの本によると
恐怖ってどうやら扁桃体と前頭前野の連携プレイで成り立っているようです。
長沼先生の本にも出てきたけど
扁桃体っていうのは「怖いよ怖いよ怖いよ」って騒ぎ立てるのですね。
それに前頭前野が「大丈夫だよ、そんなに怖くないよ」と突っ込みを入れて
恐怖がほどほどのところに収まるというわけ。
生体維持のためには、ほどほどの恐怖は必要。
でもありすぎると生活の邪魔ですからね。
そういえば昨日読み返していたこの本によると
失敗したとき「失敗したーああもうだめだ!」と絶望方面に向かう脳みそに
「大丈夫だよ、ほらこういう教訓もこの失敗から得られたし」って突っ込みを入れるのも前頭前野で
ここの機能アップにはジョギングみたいな有酸素運動がいいらしいので
「失敗が致命的だから失敗させまい」と発達凸凹のお子さんをシュールな世界で育てて
本物の社会に恐怖感持たせるより
ジョギングでも習慣にしたほうが早道かもしれませんね。
で、まあ前頭前野の働きが弱いと恐怖にとらわれやすいとすると
前頭葉にバグがありがちな発達凸凹の人たちが不合理に怖がりなのも説明がつくのですが
別に障害レベルじゃなくても
恐怖心の度合いには違いがあるだろうし
私は3.11後、
被災地からの距離感はあんまり自分と変わらないのに
恐怖心の強い人がすごくうっとうしかったです。
原発事故とか余震とか
いちいち怖がる人が面倒くさかった。
怖がってどうなるもんでもないでしょ。
ていうか今もそうかな。
怖がる人に知ってもらいたいのは
自分たちほど怖がらない人もいるっていうことですね。
それと怖がる自分は、前頭前野の働きが悪いかも、と自覚したほうがいいかも。
きいきい言っているヒマがあったら
ジョギングでもしたらいいんじゃないでしょうか。
ていうわけで私は今年も新米食べますよ。
そのほうがおいしいしね。
さて。
今日はもう一度、大地君が3月14日にここに掲載させてくれたブログを掲載させてもらいましょう。
怖がっている暇ないですよ、本当に。
=====
3月11日。学校からの帰り道、道が大きく揺れました。
東北を中心に日本列島太平洋側は地震とその後の津波で大きな被害が出ました。
テレビに映る仙台の街。これが現実なのか、映画なのか、ライブなのか、録画なのか…僕にはさっぱり判断できませんでした。
仙台はついこないだまでパパが住んでいた町です。津波にのみこまれた場所にはパパが寝泊まりしていたマンションがありました。妹の卒園式がなかったらパパはまだ仙台にいました。
テレビは一日中、地震の報道でした。そのころ、僕はインフルエンザで40度も熱でした。
「見ないほうがいい…」と、言われましたけど、僕には何が起きているのかをちゃんと確認する必要がありました。
北海道は電気や水道は止まっていませんでしたけど、電話が全く使えなくなりました。
いつものテレビ番組が見れないこともちゃんと確認する必要があったし。
熱が上がってくると、気になって気になって仕方がありませんでした。
宮城、岩手などは壊滅状態だとアナウンサーは言い、街があっただろう場所は瓦礫の山でした。
小学生くらいの女の子が瓦礫の山に向かって「お母さん!お母さん!」と泣き叫んでいました。
避難所にいる小さい子供がカメラに向かってピースサイン。横にいるおばあちゃんは「この子らの母親が見つからない。」と言いました。
市役所から、町民に向かって放送を流していたお姉さんは最後まで「津波が来ます。避難してください。」と、叫びながら津波にのまれたそうです。
町民を守るために会議を開こうとした市長さんは、会議室にいたばかりに津波にのみこまれました。
高田高校のお兄ちゃんは梯子を上って学校の屋上に上ったそうです。梯子につかまっていたお友達が次々と津波にさらわれたそうです。この高校の生徒の半分はまだ見つかっていません。
「嫁さんも子供も見つからない。」と、笑っていたお父さんは背中からは悲しい空気でした。
特別支援学校に通う生徒も見つからないままで、先生が涙を流して探していました。
あちこちの岸壁に200~300人分の死体が流れ着いたそうです。
死者は1万人以上になるとアナウンサーは言いました。
こんな日本は嫌だ。もう、日本はおしまいだと思いました。でも、パパは仙台の人が一日も早くネットを使えるように、仙台に向かう準備をしています。
僕の周りの友達のお父さんの中には、自衛隊でもう仙台や青森についた人もいます。
みんなは救助に向かったそうです。今日は、海に流されていた人、泥の中から、がれきの中から、たくさんの人が救助されました。
10万人の自衛隊、3000人以上の警察官、外国からのレスキュー部隊。
日本はこれで終わらないそうです。
戦争の時も、原爆の時も、神戸の地震の時も、何もない瓦礫の中から日本はちゃんと立ち上がったそうです。
「日本は終わっていない。誰もあきらめていない。」と、母は言いました。
「人間は弱い。地震にも津波にも勝てなかった。でも、勝負はこれからだよ。日本はちゃんと新しい明日のために頑張るんだよ。何年かかるかわからないけど、大地は仙台が復興する様子をよく見ていなさい。」と、言いました。
夕方から、僕はまた少し熱が出ています。でも、学校閉鎖になりました。
パパが言うには、今週はよいニュースもあるけど、悲しいニュースがいっぱいだよと言いました。
悲しくても、寒くても、家がなくても、生きている以上は立って歩きはじめないといけないそうです。
東北地方の人は、冬の寒さのように強くて、春の訪れのように優しい。厳しい気候の中で、我慢強い人が多いそうです。
僕にできることは何かわかりませんけど、仙台に出かけるパパを泣かないで見送ろうと思います。
3.11とそれに続く日々で私が知ったのは
恐怖の度合いって人によって違うっていうことですね。
ニキさんの訳したこの本によると
恐怖ってどうやら扁桃体と前頭前野の連携プレイで成り立っているようです。
長沼先生の本にも出てきたけど
扁桃体っていうのは「怖いよ怖いよ怖いよ」って騒ぎ立てるのですね。
それに前頭前野が「大丈夫だよ、そんなに怖くないよ」と突っ込みを入れて
恐怖がほどほどのところに収まるというわけ。
生体維持のためには、ほどほどの恐怖は必要。
でもありすぎると生活の邪魔ですからね。
そういえば昨日読み返していたこの本によると
失敗したとき「失敗したーああもうだめだ!」と絶望方面に向かう脳みそに
「大丈夫だよ、ほらこういう教訓もこの失敗から得られたし」って突っ込みを入れるのも前頭前野で
ここの機能アップにはジョギングみたいな有酸素運動がいいらしいので
「失敗が致命的だから失敗させまい」と発達凸凹のお子さんをシュールな世界で育てて
本物の社会に恐怖感持たせるより
ジョギングでも習慣にしたほうが早道かもしれませんね。
で、まあ前頭前野の働きが弱いと恐怖にとらわれやすいとすると
前頭葉にバグがありがちな発達凸凹の人たちが不合理に怖がりなのも説明がつくのですが
別に障害レベルじゃなくても
恐怖心の度合いには違いがあるだろうし
私は3.11後、
被災地からの距離感はあんまり自分と変わらないのに
恐怖心の強い人がすごくうっとうしかったです。
原発事故とか余震とか
いちいち怖がる人が面倒くさかった。
怖がってどうなるもんでもないでしょ。
ていうか今もそうかな。
怖がる人に知ってもらいたいのは
自分たちほど怖がらない人もいるっていうことですね。
それと怖がる自分は、前頭前野の働きが悪いかも、と自覚したほうがいいかも。
きいきい言っているヒマがあったら
ジョギングでもしたらいいんじゃないでしょうか。
ていうわけで私は今年も新米食べますよ。
そのほうがおいしいしね。
さて。
今日はもう一度、大地君が3月14日にここに掲載させてくれたブログを掲載させてもらいましょう。
怖がっている暇ないですよ、本当に。
=====
3月11日。学校からの帰り道、道が大きく揺れました。
東北を中心に日本列島太平洋側は地震とその後の津波で大きな被害が出ました。
テレビに映る仙台の街。これが現実なのか、映画なのか、ライブなのか、録画なのか…僕にはさっぱり判断できませんでした。
仙台はついこないだまでパパが住んでいた町です。津波にのみこまれた場所にはパパが寝泊まりしていたマンションがありました。妹の卒園式がなかったらパパはまだ仙台にいました。
テレビは一日中、地震の報道でした。そのころ、僕はインフルエンザで40度も熱でした。
「見ないほうがいい…」と、言われましたけど、僕には何が起きているのかをちゃんと確認する必要がありました。
北海道は電気や水道は止まっていませんでしたけど、電話が全く使えなくなりました。
いつものテレビ番組が見れないこともちゃんと確認する必要があったし。
熱が上がってくると、気になって気になって仕方がありませんでした。
宮城、岩手などは壊滅状態だとアナウンサーは言い、街があっただろう場所は瓦礫の山でした。
小学生くらいの女の子が瓦礫の山に向かって「お母さん!お母さん!」と泣き叫んでいました。
避難所にいる小さい子供がカメラに向かってピースサイン。横にいるおばあちゃんは「この子らの母親が見つからない。」と言いました。
市役所から、町民に向かって放送を流していたお姉さんは最後まで「津波が来ます。避難してください。」と、叫びながら津波にのまれたそうです。
町民を守るために会議を開こうとした市長さんは、会議室にいたばかりに津波にのみこまれました。
高田高校のお兄ちゃんは梯子を上って学校の屋上に上ったそうです。梯子につかまっていたお友達が次々と津波にさらわれたそうです。この高校の生徒の半分はまだ見つかっていません。
「嫁さんも子供も見つからない。」と、笑っていたお父さんは背中からは悲しい空気でした。
特別支援学校に通う生徒も見つからないままで、先生が涙を流して探していました。
あちこちの岸壁に200~300人分の死体が流れ着いたそうです。
死者は1万人以上になるとアナウンサーは言いました。
こんな日本は嫌だ。もう、日本はおしまいだと思いました。でも、パパは仙台の人が一日も早くネットを使えるように、仙台に向かう準備をしています。
僕の周りの友達のお父さんの中には、自衛隊でもう仙台や青森についた人もいます。
みんなは救助に向かったそうです。今日は、海に流されていた人、泥の中から、がれきの中から、たくさんの人が救助されました。
10万人の自衛隊、3000人以上の警察官、外国からのレスキュー部隊。
日本はこれで終わらないそうです。
戦争の時も、原爆の時も、神戸の地震の時も、何もない瓦礫の中から日本はちゃんと立ち上がったそうです。
「日本は終わっていない。誰もあきらめていない。」と、母は言いました。
「人間は弱い。地震にも津波にも勝てなかった。でも、勝負はこれからだよ。日本はちゃんと新しい明日のために頑張るんだよ。何年かかるかわからないけど、大地は仙台が復興する様子をよく見ていなさい。」と、言いました。
夕方から、僕はまた少し熱が出ています。でも、学校閉鎖になりました。
パパが言うには、今週はよいニュースもあるけど、悲しいニュースがいっぱいだよと言いました。
悲しくても、寒くても、家がなくても、生きている以上は立って歩きはじめないといけないそうです。
東北地方の人は、冬の寒さのように強くて、春の訪れのように優しい。厳しい気候の中で、我慢強い人が多いそうです。
僕にできることは何かわかりませんけど、仙台に出かけるパパを泣かないで見送ろうと思います。
なんともいえない漠然とした不安感が出ていらいらします。
きっと私の心身にはすごく必要なことなのだと思います。
本当にそうですね。自分が恐怖心を感じやすいと知っているだけでだいぶ違うと思います。
大地くんの文を読むと毎回泣いてしまいます。
大地くんは辛い事からも目をそらさずに生きていますね。
私も頑張ろうという気持ちになります。
辛い現実もきちんと正面から見据えて受け止めれば日差しが雪を溶かすように恐怖心は解けていくと思います。
頭の前の方って、よくADHDの症状(片付けられないとか衝動的とか)と語られることが多いのですが
行き過ぎた恐怖や不安に突っ込みを入れるのも「実行機能」ならば
ここの不具合が情緒的な不調を呼んでくるのもうなずけます。それに運動がいいということが、神経伝達物質の動きから解明されているのですね。
あと恐怖心を溶かすのは、現実を直視するのも近道ではありますが
実はそれほど致命的に怖いことはないんだって
そういう教育もされればいいのになあと思います。
またお越しくださいませ。
自分でコーピングして、社会に対応していくには◯◯◯が無いと無理ですね。恐怖心、緊張、ダメ!と思ってしまう苦手意識。そういう事の殆どは歪んだ自己評価が生み出すものだと思っています。
まだまだ大地は正しい自己評価ができていないし、周囲の大人に評価を求める傾向があります。それでも「こうなりたい」という想いだけで、彼は家でも学校でも上手にコーピング出来るようになりました。それだけで無駄な恐怖や緊張はずいぶん少なくなりました。
自己評価は下手くそでも、判断出来るだけの材料を集めれるようになったのも彼を随分と楽にしてくれているようです。
藤家さんは、自分で前頭葉をうまく支配していけるようになった気がします。彼女は失敗経験をポジティブに変換する能力を習得し始めているのかな…
そうそう。ASDの人とつきあうようになって最初に戸惑ったのは、評価をほしがるところです。ご存知のとおり、私は別に他人の評価を必要としていない。実はほめられるのも好きじゃない。某元横綱が「横綱、頑張ってください」といわれて「俺に頑張れとは何事だ」と相手を殴っちゃった気持ちがよくわかります。そら腹立つだろうと思いましたです。生意気に感じるでしょうね。
ああ、ダメだと思ってしまう心の動きはたしかに自己評価から来ている面もあるけど、「ダメ」と脊髄反射的に思ってしまう扁桃体に前頭前野が突っ込みできないからと考えると、もっと解決しやすいかも。外からの評価はバグってる前頭前野の代わりの外付け脳みそなのでしょう。
またお越しくださいませ。