治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

「治りますように」と神仏に祈っていい

2016-11-17 07:54:00 | 日記



ちょっと前に、便せん七枚でいただいたお手紙のご紹介です。
一ページ目だけ、写真で載せさせていただきます。
なぜこういうことをするかというと、「治りますよ。治っている人いますよ」と主張する中で花風社は「治っている人をでっちあげている」という疑いをかけられてきたからです。よく考えるとトンデモないでしょ? でもね、治っている人を一人も見たことがない人も多いんです。逆に言うと「治っているひとなんか見たことない」っていう支援者がいたら、「その程度の腕なのだ」と見極めてさっさと離れた方がいいです。あと保護者方面。発達障害界隈は本当に悔しがり屋が多く、悔しがり屋の皆さんにおかれましては自閉症者は横並びで全員地に沈まないといけないみたいなんで(自分の子がうまくいっていない場合)とにかく名誉棄損の範疇に入るような「治ったというのはウソ」をさんざんやられてきたんです。

この方は10月16日の田原市の講演にご参加。それから数週間で劇的にお子さんは良くなったそうです。
・寝つき、寝起きが良くなった
・姿勢が良くなった
・苦手なものをがんばって食べるようになった
・アイコンタクトがしっかりできるようになった
・気持ちの切り替えが早くなった
・絵と字が上手になった
・友達の輪に自然に入って仲良く遊べる
・初対面の子どもとすぐに打ち解けられる
・ピアノが片手で歌いながらひけるようになった

いずれも以前は見られなかったこと。それを栗本さんや灰谷さんの本で学んだことを日常生活に採り入れることだけでここまできたということ。

これまでも行き詰まると神社やお墓詣りに行っていたそうです。
そしてそこで「自閉症が治りますように」という願いを心に浮かべてしまい、あわてて
「ありのままの子どもが受け入れられますように」と言い直していたそうです。
神仏の前でさえ正直でなかった、ということ。

でも「ありのままを受け入れないことによって親子関係は劇的によくなりました」とのこと。
言い方面白いですけどわかります。
そして「治ってほしいと願っていいんだ」と背中を押したのが、「治ってほしいと思うのは親として自然な感情でしょ」という私の言葉だったようでした。
だからこその感謝のお手紙です。

自閉症があるがゆえに、この先様々な苦労をするのは本人。
ならば「普通に生んでやりたかった」と思うのは自然な親心でしょ。
ところがそういう親としての自然な気持ちをいけないもののように扱う支援が行き渡っているのが私は切ないんです。

という話をしましたね。
それに反応してくださったんですね。

この方の場合には、妊娠中不安定だったことと息子さんの障害に何か関係があるのではないか、と罪の意識に苛まれてきたそうです。

でも愛甲さんの本を私が先行蔵出しする中で「おなかの中のことも、おなかの外でやり直せるんだ」と知ってほっとしたとのこと。
そして「発達障害は脳の障害だと思っていたけれども、社長は身体の障害だと言ってくれた。身体なら治せると思った」とのこと。

ここは若干訂正が必要ですね。
発達障害は脳の障害です。
そして発達はピラミッドになっています。
なんとかセンターに行って行われる療育のうち、たとえばSSTとかは、そのいちばんてっぺん、「人間脳」だけに働きかけています。なぜなら「人間脳の不備」が発達障害の症状だから、そこをいじればいい、と単純に考える。そして効果がないと「治らない」ということになる。
でもこの子たちの「人間脳のバグ」は、下位の脳の発達がヌケているから起きていること。そしてそこに働きかけるのはアプローチが必要なんです。それには身体が速い。
だって私たちがより原始的な生物と共有しているもの、それは人間脳より下位の脳と身体が一個ずつあるという事実でしょ。

いずれにせよ今も出勤途中、スマホでこのブログを読んでいる支援者側の人がいるかもしれない。
職場につくと今日も不安を抱えた人たちがきて、診断がつくかもしれない。あるいは診断がついたばかりで何か手だてを求めてくるかもしれない。
そこで自分たちが治せなかった場合の自己保身のためかなんか知りませんが「発達障害は治りません。ありのままを受け入れましょう」という宣告をするかもしれない。
その結果一人の母親が、母としての親心を放棄せよと迫られるような思いになること
「普通に生んでやりたかった」という親心を否定されたような気持になること
神仏にさえ自分の願いを正直に打ち明けられなくなること
せめてそれには自覚的になってほしいと思います。「治るなんて言いやがって」とこっちを責めるのならね。君たちがやっていることも相当罪深いよ。「治りません」と宣言することが職業的なお約束になっているのかもしれない。ならばせめて、自分の罪深さに自覚的になりたまへ。

そしてね、凸凹のお子さんを授かったお父さんお母さんは
どうぞどうぞ心おきなく
「治りますように」と神仏に祈ってください。
祈ることに悪いことなんてひとつもありません。
神様も仏さまも力を持っています。願いは聞き届けられるかもしれません。


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4 コメント

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治る・治らない SSTという他人軸 (豆柿)
2016-11-17 16:11:19
いつも、ブログと書籍、読ませて頂いています。
私はASD当事者で、子供の頃から親の会で、SSTをしてきました。
今思うと、SSTをやってきた理由に親を納得させる為、喜ばせる為という事があったように思います。と言うよりも、親の会でお母さん同士が、「うちの子は○○ができない、最近うちの子は○○が出来るようになった」と話しているのを見ていたり、まわりの支援者たちが「今日は○○君こんな事が出来た」と親と話をして、お母さん達が嬉しそうにしているのを見て、ハイパー律儀に自分のあるべき姿のようなものを感じ取っていたのかも知れません。また、そこから私の行く末の案じる親を安心させる為にしている所もあった様に思います。
ですが、身体アプローチを重視するようになって、SSTで身につけたものが崩壊していく様な感じがます。親や支援者たちは気に食わないようです。でも、こちらのブログで、「親の期待を裏切ることが親を幸せにする」と教えて頂いて、身体アプローチ以外に社会性を育てる方法はないと思いながら日々暮らしている所です。
愛着障害は治りますか?、予約しました。楽しみにしてます。
長文、失礼しました。
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ありがとうございます (浅見淳子)
2016-11-18 08:17:26
豆柿さん、コメントありがとうございます。
そしてもちろん予約もありがとうございます。
このコメントは、多くの方に気づきを与えてくれました。もちろん私もです。最初、背筋が凍りました。そして貴重な情報だと思いました。あまりに貴重な情報なので、コメントを引用させていただきながら別の記事にしようと思います。
よろしくお願いいたします。
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Unknown (KO)
2016-11-18 08:48:21
ある方とのやりとりで多分SSTをしたりして、
いまそのお仕事についているはずなのに
「このふるまいは何だ?」と思うことが最近ありました。コメントを読ませていただいて、
成るほどなと思うところがありました。
浅見さんの記事も楽しみにしています。
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読んでみてください (浅見淳子)
2016-11-18 09:49:52
KOさん
ブログ更新しました。
こんな感じです。読んでみてください。
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