治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

「治る」と言われるとうれしい人とうれしくない人

2018-07-07 11:51:03 | 日記
まず最初に、西日本の皆様、大雨のお見舞いを申し上げます。
どうぞ安全確保に務められてください。
朝からリアルでもネットでもおつきあいのあるうめさんのツイートを心配して見ていましたが
ご子息のmaru君は最重度と診断されながら人の気持ちがわかる青年に成長し
今回の危機もよく対応なさっているようです。
こよりさんも非常時のことを考えながら育てられたそうですが
先般の近畿地方の震災の際も、身体アプローチに取り組んできた方は落ち着かれているようですね。
mizさんのコメントを引用させていただきます。

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Unknown (miz)
2018-06-21 11:50:20
体が楽になってきたら「治った!」と実感するのが当たり前で、
辛いことに気をとられててできなかったことが、辛さがなくなればできることも増えるでしょうに。
そんな声を聞くのが嫌で「治る」を封じ込めたい人たちは、
「治らない。障害は一生もの。」というのがアイデンティティになってるのかなと感じました。
アイデンティティをなくすことの怖さ?
体の不具合すらもアイデンティティなのかなと思うほど。

不具合のある姿が「その子らしさ」と決めてかかっていて、
不具合がなくなったら「その子らしさ」じゃなくなってしまうと恐れてるんじゃないかという気さえします。

またそれとは別に、諦め。
良くなるように努力するのに疲れて、
嫌気がさしてしまった人もいるでしょう。

そういった人たちが、いまさら「治る」と言わないでと炎上してるのかもしれません。

専門家は「治らない」を固定化してれば仕事は楽ですよね。
目の前で困ってる人の治す努力しなくていいんですから。
カウンセリングだけしてればいい。
なのに「治る」なんて余計なことをって感じでしょうか。
それと専門家としての面子もあるのでは。
出版社の社長に医学より先に「治る」本を出してほしくないんでしょう。

ツイッターでケチをつけてみたり質問を一方的にやっておきながら、
理解するつもりなんかなく、ただ貶めたいだけ。
社長をやり込めたいだけ。
もうこれ「治る」以前のよくあるネット上での怨恨ですね。
出しゃばってるから叩いとけみたいな。

・・・と考えてみました。

ネット上ではできるだけ我が子の情報は載せない私ですが、
花風社さんの本でコンディショニングをやってて効果を実感してます。
先月就職し、片道1時間以上かけて毎日出勤しています。
夜には金魚やっています。たまにホットタオルも。
子どもは自ら水収支にも気を付けてます。
先日の地震で、電車内に閉じ込められている間もパニックせず、
落ち着いていられたようです。
ありがたいです。

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mizさんちのお子さんが就職なさったのをこのコメントで初めて知りました。
おめでとうございます!
就職するだけでなく、それを継続するために日々コンディショニングを役立ててくださっているとのこと。うれしいです。

そしてこのコメントも心を打ちます。

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初めてコメントします (かめ315)
2018-06-30 10:11:24
グレーゾーンの18才の息子がいます。
二次障害で無気力なまま高校を中退しました。
子供の辛さが少しでもなくなって、幸せに生きられるには…ということを何年も何年も考えてきました。
だからこそ当時の発達障害のトレンドに乗ってしまった。
当時、佐々木先生の勉強会に何度か行きましたが、子供に対する愛情はよく分かりましたが、親はその為に何でも許さないといけないかのような発言に私は絶望し違和感を感じたものです。
その後、医療にかかること、薬を飲ませること、療育を受けることに疑問を持ちながらも他に手立てがなく、中途半端な気持ちでびょういを転々とし長年不安な日々を過ごしてきました。
その間、心無い医者の発言に何度か傷付きました。そして息子を見て発達障害だ、そうではない、と医者によって意見も違いました。
診断なんてそんなもんですよね。
幸いなことに薬は継続して飲ませたことはなく、療育経験もありません。
しかしありのままを認めても、子供も親も苦しさが根本的に解消されることはないです。
明るい未来など諦めた方がいいのかと思うと、私は絶望し鬱のような状態で、それでも何か手立てを探して本を読みまくっていました。
迷いの中、療育センターの順番を待ち、今度改めて検査を受けることになっています。
今回偶然こちらのブログを見つけ、その日のうちに本を大量に注文しました。
もう一度、チャンスをもらえたような気がしました。
本が届くのを待てず、Kindleでも一冊頼んで1日で読みきりました。
今日は届いた本を片っ端から読んでいこうと思います。
私は子供を学校に戻すことも出来なかったバカ親です。
バカ親ですが、洗脳はされてないと思います。
これからは発達障害は治ると断言し発信してくださる方を信じてもう一度頑張りたいと思います。

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私に「治る」という言葉をどうしても引っ込めさせたい人にしてみれば、なんで私がこれほど引っ込めないのかわからないでしょう。詳しくは『発達障害、治るが勝ち!』に書いてあります。なぜ治るという言葉を使い続けるか、四つ理由が書いてあります。
そして最近、その四つだけじゃないなと思うようになりました。
五つ目の理由は不定期連載の最後に書こうと思います。
かめ315さんのような方の存在も、私が絶対に「治る」という言葉を引っ込めない理由であります。

一方でこんなこと真顔で言う人もいます。





「あちら側」には大受けですけど、私は自分の良心として、こういう人に合わせた仕事はしたくないんです。
こういう層に合わせて本を出すこと。
それは一人の人間として絶対にやってはいけないことだと考えているんです。
そういう意味で私が一番大事にしているのは売り上げではないかもしれませんね、この発言を支持する人が多いのなら。

私に言わせるとこれは「犯罪の小さな小さな芽」です。
いくら事件報道があると抗議行動しても、発達障害者の保護者がこういう発言をし、それを多くの親が支持していると、犯罪の小さな小さな芽をそこに見いだす一般人は多いのではないかと思います。

なぜか?
このツイートを読む限り、「自分にとって都合が悪い事は黙れ」という身勝手さしか感じないからです。
「自分が傷つくから」「自分が悪く思われるから」→「黙れ」。
私の知る限り、発達障害者の当事者保護者ほど堂々とこの自分勝手な抗議行動をする人たちはいません。
一方で「治りたい」と率直に認める方が数は少ないのかもしれない。だから商売人ならその忌み嫌われる言葉を使うな、というのが8年前の炎上で吉川徹やなんかがねっとりと言ったことでした。
それが賢い商売なら、私は賢くなくて結構です。
こういう層に合わせた言論をすれば、私は棺の蓋が閉まるとき、自分の人生を後悔するでしょうから。
そして「あちら側」が知らないこと。
「治りたい」という人、堂々と治る道を進む人だって、きちんと売り上げられるくらいの層の厚さはあるのです。ただあんたたちが気にくわないだけですよ。つまり、「商売考えるのならその言葉を使うな」というのは一種の脅迫ですな。
そして私は愛着の土台があり身体頑健なので脅しには屈しないのです。

「治ると言われると自分たちがいやな事を言われる」とまったくの予期不安だけでみみっちくて自分勝手なことを堂々と言って他人の言論を封じようとする人と

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しかしありのままを認めても、子供も親も苦しさが根本的に解消されることはないです。
明るい未来など諦めた方がいいのかと思うと、私は絶望し鬱のような状態で、それでも何か手立てを探して本を読みまくっていました。
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末に私たちにたどりついてくれた人たち。

私は後者を応援します。

そして前者の人たちは「だいっきらい」なのです。

つきあう人を選び、選ばれる。それが民間人です。
私は民間人であることに誇りを持ち、ただの一円も社会保障に頼らずに売り上げています。

それにしても「誰かに治るという言葉を使われると自分たちがいやなこと言われて困る」ってなんて主体性を欠いた無駄な心配なのでしょうか。治りたくないのなら「よそは治ってもうちは治らないの。治す気もないし」と堂々としていればいいじゃないですか。

なんで支援者や当事者保護者の多くがこれほどつまんない悩みを抱えて人の目を気にするのか知りたい方はぜひ

『愛着障害は治りますか? 自分らしさの発達を促す』を読んでくださいね。
Kindle版もあります。
お子さんの発達障害を治したい人はまず、親御さんが愛着障害を治した方がいいし、支援者の愛着障害を「計算に入れた」方がいいです。


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4 コメント

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うれしくないのも自由だけど。 (Kei)
2018-07-07 13:48:23
「治る」という言葉に過剰に反応して攻撃してくる人を理解できないし(したくもないですが)、そう思うのは自由なので勝手に「治らない」と言っていればいいと思っています。

なのになぜか、「(治るから)大丈夫」という表現も気に触るらしく、責任取れるのか?みたいな事を言ってくる人がいます。

わたしからしたら「治りません」と宣言して親の心をズタズタにして、可愛い筈の幼児期の育児を台無しにするドクターの方が何十倍も残酷で無責任だと思います。

何を信じるかも治るのも自由なんだから、気に入らなければ(黙って)指をくわえて見ていればいいのです。

ただ、何年も苦しんでいる親がやっと想いで花風社の本を見つけて読んでホッとするのを邪魔しないで欲しいです。

わたしも何年も辛かったし苦しかったから、浅見さんが本にしてくれて神田橋先生、栗本先生に出会えた事は勿論ですが、何年も封じ込めていた主体性を持つこと、親として我が子の対する自分の勘を信じて育てる事を再開できて本当に良かったと思っています。
罪深さ (373)
2018-07-07 13:50:57
> もう一度、チャンスをもらえたような気がしました。

この希望の言葉の裏にあるそれまでの絶望と、それを与えたであろう者たちの罪深さ。
専門職の端くれとして、肝に銘じます。

息子さん、治るといいですね。
Unknown (cc)
2018-07-07 17:34:25
治ると思ったら、藁にもすがる思いであれこれ試すのが親心かと思います。

そこにつけ込む医療者や支援者がいるのも(例えば安易な投薬や、ライセンスビジネスの飯の種としての高額な療育などで)見苦しいです。
しかしそれよりも「治らない」という"診断"を錦の御旗にして、面倒なことをしたくないという、親としての何かを放棄している人々が、私にはとても残念です。

前者の金の亡者系「治るはずはない」(治ったらめんどりが巣立つので困る)と、後者の無為無策系「治るなんて言われたくない」(我が子を治せていない自分が親失格と非難されるのがイヤ)、どっちも酸っぱいブドウだと信じたい人たちですが、個人的には後者の方が、子供の成長を妨げる度合いが大きいのでは。

もっとも、個人差があると思いますが、それこそ彼らの信じるところの「治らない」=「生まれつき」であるならば〜
発達障害の子供を持った親にもそのきらいがあり、誤学習しやすいがゆえに、現実を歪めて受け止め続けて大人になった今もそのまま、という可能性もあるのではないでしょうか。

それって、もしかすると、世代間連鎖を生むことかもしれず、もっというと、そこに小さな犯罪の芽があったなら、それは次世代や孫の代まで連綿と続くおそれがあるのかも。

だからこそ、浅見社長は出版を通じて、そうでない人達を増やしていかれたいのかな、と理解しています。

次の展開も楽しみにしております。
2つの道を分けたもの (shihoko)
2018-07-25 07:30:54
私が初めて、自閉症に関する本を読んだのは、たしか「自閉っ子、こういう風にできてます!」だったと思います。いっこも治し方を教えてくれない病院の待合室に置いてあったのがきっかけでした。
次に読んだのが「発達障害は治りますか?」でした。
きっかけは、どこかのブログで批判記事を読んだことでした。
治る治らない論争のおかげで、うちの子ども達は治っていっていますので、論争があったことには、感謝しています。
ただ、自分にとって不思議だった事が一つ、ありました。
それは、花風社の本の「治る」という主張に、私自身、かけらも警戒心がおこらなかったことです。
私の心のどこかに、私は、あちら側でもおかしくなかったんじゃないか?という思いがあり、でもそうではなかった自分が少し不思議でした。
その理由が、「発達障害、治るが勝ち!」で、ああそうか、と納得したことを思い出します。
それは、花風社の書籍には、初めから「薬ベースではなく」「性格を治すのではない」ということがはっきりと書かれていたからでした。

と、ここまで書いて気づいたのですが、結局私は本を読むのが好きで、知る事が好きで、子どもの成長が好きで、自分の成長も好きなので、結局どういう経路でも、治し方を見つけたんだろうな、と思います。

本当の分かれ目はそこなのでしょう。