治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

忖度SST

2017-10-30 10:36:33 | 日記
先日、母の家でテレビを見ていたら小池百合子氏が映りました。それを見て母が「排除発言で失速した。奢る者は久しからず」的なことを言ったのでびっくりしました。そしてそういえばこの人はこういう教訓的なことを言いながら私を育てたなあと思いました。そして皆さんもご存じのとおり、そういう教えは私の中で全く実を結んでいません。

希望の党が失速したのは排除発言ではなく、とにかく発表した施政方針のやっつけ仕事感と実現性の薄さが際立っていたから。つまり負けるのは「知ってた」。とにかく民進党を割ってくれたということで、私自身は小池氏を支持しませんが感謝するものであります。そして「排除」。あの発言でかちんときた人は多かったでしょうが、ほっとした人も多かったはずなのです。民進党を支持していながら左側の人に巻き込まれているのを歯がゆく思っていた人は「ああやっと分かれてくれた」と思ったでしょう。左右に割れて左側の方が勢いがあった、っていうのは最初から見えていたことだと思うのですね。もともとの民進党の支持層がそうだったのだから。

でもメディアは排除発言のせいにしておきたいでしょう。だって力を失いつつある中で自分たちの影響だとアピールしたいでしょうからね。そしてそれがワイドショーで流され、真に受けて「やはり口を慎まなければ」と誤学習してしまう情弱な人が一定数出るわけです。

育つ途上で何度もこういうこと言われたのに、一向に私が言うこと聞かなかったのはなぜかよく考えてみてわかったこと。

それは、実は「大して本気で言ってない」ことを見抜いてからだと思うのですね。

ワイドショーの受け売りにすぎないことを垂れ流しているだけ、というのが一つ。

そしてもう一つは、そういうことをしたり顔で説く本人も色々我慢している。そして若いもんにも自分と同じように我慢せよと説いている。
これ、私は社会人の初めのころからさんざん年上の女性にやられて、おかげですっかり女嫌いになりました。

どういうことか?

正しいことでも言うべきことは言う。でもそれをすると叩かれる、という世の中があった場合

「口をつぐんでいた方がいい」というのは「叩かれないための処世術」であって「正しい生き方」ではない。実はそういう世の中を自分でも憂いているけどそういう世の中を変えるよりは我慢する方を選び同じような我慢を教えているだけ。

それが説教される方には見えてしまっているのです。


だったら私は処世術より正しさを選ぶよ、という判断をしてきたんですね。

なぜなら私はあなた方ほど薄汚い生き方はしないから、と言ってきたんですね。
こうやって私は先輩たちに喧嘩を売ってきました。
でも心の広い先輩もいて、私はどちらかというと目上の人にかわいがられる方でしたよ。

心の狭い人たちには
「それだと損をする」とさんざん言われましたけど、その結果が今なら別に損はしていないと自分では思っています。

もともと茶色っぽい生徒の髪を黒く染めさせる。なんで? と思ったのですがどうやら当該の学校はいわゆる「底辺校」にちかい位置づけで、就職のためには黒髪でないと、という焦りが教師たちにあったらしい。そして管理教育が暴走して人権侵害状況に至った。

これなども実は教師たちもよくわかっていない企業社会を勝手に忖度して黒髪原理主義に走っているだけ。

そういう風に「大義」より「目先の損得」にとらわれてよく知らない世間を勝手に忖度してその忖度した奴隷道徳を教える。

これが巷のSSTのやり方にも通じます。

愛甲さんも言ってました。
子どものころ診断がついた子たち。遊んでいた子はなんだか治っていき、SSTをがっつり入れると思春期に崩れる。

当たり前の話だと思います。
忖度でこしらえた不安な世界観を植え付けているんですものね。



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2 コメント

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忖度の他に (miz)
2017-10-30 22:04:27
黒髪強要の学校の件、黒髪でなければという忖度は確かにあると思います。
学校というのは閉鎖的な体質なので全容はわかりませんが、進学校でなければ(偏差値的に低い学校であれば)、進学率アップは無理でも就職率を上げようとするもの。
しかしそれが行き過ぎた生徒指導になることがあります。
風紀や生徒指導に古い体質の信念を持ち込んで、
支配したがる勘違い体育会系的教師というのがたまたまいると、
職員室でもその空気感が伝わって、他の教師がやり過ぎと思ってても見て見ぬふりになりますし。
教師の転任によって学校の中が変わることがあるので、伝統的に厳しかったかどうかはわかりません。
企業への忖度もありますが、社会経験もろくにない教師が、
身勝手な正義感にかられて生徒を支配下に置きたがるのはありがちです。
自転車の二人乗り禁止の指導のために、生徒指導室の窓から双眼鏡で監視する先生とか、
生徒数人の愚行のためにクラス全体の連帯責任とか。

なぜ底辺校には生徒指導が行き過ぎがちになるかといえば、
問題のある生徒も何人かいて、教師への暴力に近い脅し行為や黒板にナイフを投げたりなどのふざけた行為があったり、
女子は今時の援交や不適切な異性との関係が心配されます。
もちろん真面目でおとなしい生徒もたくさんいるのですが、
そういった生徒をひとくくりに指導していくには、
「支配」する生徒指導になりやすいのです。そして教師が勘違いしていくんです。
件の学校がどうだったかご本人がどうだったか報道ベースではわかりませんが、おかしな勘違い教師がいたのではと思います。
そもそも黒髪にこだわるのはいいかげんやめたらいいし、
校則は生徒とともに作るなり変更するなり話し合う機会を与えれば教育として成り立つと思いますが。
ツイッターみていると (あかり)
2017-10-31 10:36:46
校則が馬鹿みたいに厳しい底辺校にしか行けなかった本人が悪いという意見も出ていますね。

日本の高校は義務教育ではないし、いまや、予備校で大検をとり、専門学校や大学に行く人達も珍しくない。通信制の高校もあります。校風を事前に調べて、校則ゆるいところに行けば良いのにという意見がありました。

私もこの高校生が早めに退学して通信制の高校や大検とる道を取らなかったのはどうしてだろうと思いました。貧しい母子家庭だからでしょうか?


無論、このいま訴えられている高校は絶対に学校としておかしいですが。