治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

うれしいことがたくさんあった一日

2011-07-23 07:05:08 | 日記
さて、昨日は朝からうれしいことがありました。
愛甲修子さんからのメール

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先日、神田橋先生とお会いしてきました。
長沼先生の「活かそう!発達障害脳」が座右に置かれ、「この本はよかよ」と陪席されるお医者さんにすすめられていました。

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おおお、これはうれしい。
愛甲さんご自身も、さまざまな研修でご紹介くださっているようです。
早速長沼先生にもお知らせ。
喜んでおられました。
長沼先生のほうは、神田橋先生から贈られた「技を育む」をご紹介して歩いているそうです。
長沼先生はそういえば、お会いするたびに大きなかばんから手品のように色々な本を出して説明してくださいます。
お勉強熱心で、しかもそれを血肉にされて臨床に活かしていらっしゃる先生です。

それから都内某所に。
保護者の方と取材という名の楽しいおしゃべり。
私が「自閉っ子と未来への希望」に書いた
「未来ごとの受容」ということがここのおうちで実現しているのは
これまでの道のりが厳しかったこそ見えている希望の光があるからなのだとわかりました。

中学生の成長段階で、社会に出られる姿を呈している子はいません。
障害がなくたって。
でもこれまでの努力と伸びてきたスケールを考えると
ある年齢に達したとき、どれくらいになっているかはかなり夢が描ける。
真正面から取り組んできたからこそ、将来に希望が持てるのですね。

お話いただいたことをここでこれ以上詳しく書くことはしませんが
最後のほうで、私が自閉症の人にかかわるスタンスについてご説明しました。

我が家には、一般の日本人より知独系な人がいます。
そして私は一般の日本人より知自閉っ子系でしょう。
ドイツ人と自閉っ子。私たちにとってはどちらも異文化で、ときにはわけのわからないことを言ったりやったりする。
でもそれには彼らなりの理由がある。
それを面白がったり、理解しようと努めたり、ときにはケンカをして、ときには仲良くする。
そういう意味で我が家において「ドイツ人」と「自閉っ子」は同じカテゴリーです。
支援の対象ではない。
一緒に世界を構成している、一緒に生きていく、異文化の人たち。
対等だから、仲良くすることもあれば、売られた喧嘩も買うわけですし、権利を侵害されたらきっちり落とし前をつける。
同じようにドイツ人だったり自閉っ子だったりしても、気の合う人と合わない人がいるのは当たり前。人間なんだから。
それが私のスタンス。
だから私は自分のことを支援者と自認したことは生まれてから一秒もないのです。
だって支援者は選べないでしょう?
あ、選べるか。
だって人気の施設やサービスには定員以上の希望者がいますもんね。もちろん就労先にも。

まあそんなおしゃべりをしたりして、楽しく過ごしました。

で、帰ってきてお相撲。
テレビとついったー桟敷です。

稀勢の里給金相撲。
なでしこの決勝のときは、最後まで勝利を確信して(とくにPKになったあとは完全に勝利を確信し)
全部見届けた私ですが
このときだけよその部屋に逃亡しました。見てられなかった。
「勝ったのは稀勢の里!」というアナウンサーの声を聞いて、安心してVTRを見たという、ちきんです。

そして夜。

このブログに感激しました。

ブログ主の方とは親しくさせていただいているので、余計うれしかったのですが
報酬系を育てるためにも、社会の仕組みを教えるためにも
こういうことをやってくださいとニキさんと二人で言って歩いていたことは
「自閉っ子と未来への希望」にも書きましたしね。

お金の問題を学校現場で扱わないことが、いえ、ときにはお金を稼ぐことを罪悪視するような教育さえすることが
多くの混乱を招いています。
大人になった高機能ASDの人も、「稼ぐ」ということに植えつけられた罪悪感を持ちながら企業社会に生きるのですから
それはそれは不適応を起こしても仕方ない面があります。
お金を稼ぐことは悪いことではないと早めに教えておいてほしいですね。

「自閉っ子と未来への希望」にも書きましたが
ASDの人たちを傷つけているのは現実ではないのですよね。
現実のわからなさ、です。
現実を受け止める力は意外とある。
そう思って見てます。

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