治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

炎上も発達する その14 (花風社クラスタ限定最終回)

2018-07-11 10:14:47 | 日記



さて、この記事は花風社クラスタ限定です。
だから、花風社クラスタかどうか判定するテストがあります。
このテストに答えられた人だけが先に進んでください。

テスト

発達障害は生まれつきです。
親のせいではありません。

といっても、
個性ではありませんね。

でも、
障害ではない、と言えないことはないです。


だったらなんでしょう?
現在花風社は、

発達障害って、発達の○○かも。

って考えています。

この○○に当てはまる言葉がわかる人だけ先に進んでください。

わからない人は『愛着障害は治りますか?』を読んで、なお読みたいと思ったら戻ってきてください。

わからないし読む気もない人は?

帰った帰った。




====き====り=====と=====り=====線======

さて、クラスタの皆さんだけになりましたね。
じゃあ本題。
今般の炎上の分析と、今後の炎上に備えるためのガイダンスです。
炎上は今後もあります。100パーセントあります。そしてそのたびに仲間は増えるでしょう。
私から炎上を起こすことはありません。ただこっちが起こさなくても炎上は今後も起こります。私は先日の榎本さんの講演会ではっきりとそれを理解しました。

榎本さんの講演会では、榎本さんが見つめてきた「負の感情」について詳しく語られました。
レジュメにこういうフレーズがありました。

敗者は復讐する。

今回はこれだな、と思いました。

じゃあ前回はなんだったのでしょう。
このそらパパのツイートが大きなヒントになりそうです。



彼は村社会から必死で逃げてきたのかもしれません。
そして東京で家族を持ったのかもしれません。
でも彼の行動は、残念ながら彼が必死で逃げてきたかもしれない村社会の一員そのものです。


8年前、私は猿烏賊とギョーカイという生涯初めての村社会に直面しました。
そもそも、どんな療育を各家庭で選ぼうと(そのエビデンスレベルも含めて)各家庭の自由であるはずです。
ところがよその家の方針に大いに口を出し、情弱呼ばわりし、やめさせようとする。
別に出身地に関係なく、村人は村人なのだと思います。現にベムは横浜で育ち神奈川県立高校を出ているようですし。
そして私がそれまで村社会と出会わずに済んだのも偶然とちょっとした選択の賜物だったのでしょう。
ともかく「なんでこんなによそんちの事に口を出したがるのだ」というのを不思議に思った8年前。そして「じゃあ五年後十年後を見ましょう」と言いました。

そしてわかってきたのです。
あの「エビデンスガー」はいかにも村人らしい「抜け駆け許すまじ」なんだと。

何らかの理由で彼らはやはりエビデンスが頼り。そらパパは上のお子さんより軽度な下のお子さんに関しては「治したい」という意欲を刺激されるようですが、あくまで標準医療の範囲内でそれができるに違いないと仮説を立ててそっちの道を進むようです。それは彼の自由。食育を含む身体方面をトンデモ扱いするのならそれも彼の自由でしょう。そして標準、と医者が認めたところから一歩も出ない人にとって、できることの範囲を広げて治った治ったと喜ぶ人の姿は抜け駆けしたように映るんでしょうね。

だから皆さん、今後も炎上は起こります。
敗者は復讐しますから。
復讐しようとしますから。
そして炎上は怖くありません。
そのたびに仲間が増えます。治る人が増えます。
だから皆さんは自分で集めた情報をもとにお子さんやご自分を観察し、結果を得ればいいのです。
そしてそれを喜べばいいのです。

そして今回の炎上のきっかけになったのは、榎本さんの観察によると新幹線事件に関しての私の発言でした。
主としてかみついてきたのは不登校クラスタのようでした。
学校に行けないのは社会が悪い、と思いたい人たち。
そしてご存じのとおり、私は登校原理主義者です。

不登校の親たちが、必死に子どもの不登校を正当化している姿は滑稽です。
行けない時期があっても仕方がない。でも行く努力はすべきでしょう、と私は思います。
親がそこで負け惜しみに走ってどうするんだろ。

8年前のベムと同じように、彼らの中で首謀者っぽい人は、まず花風社の与信管理に手を出してきました。誰の経費だろう? ベムの場合は勤務先の経費を使っていたようですね。当たり前のことなんですが、身辺探られるならこっちも探り返しますよね。
そしてなんとか私を法的に追い詰められないか人脈を駆使するとか息巻く。でも実行力が伴わない。何しろベム同様自分の健康状態も優れないし実行機能がない。そして最後は勝手に終戦を宣言する。ベム二世かよ、と思うほど行動が似てました。たぶん今後の炎上でもこの手のタイプの父親が出てくるのでしょう。おまけにベムと住所的にも近そう。っていうか、睡眠障害治してからじゃないと私に喧嘩売るのは無理だと思いますよ。黄色本読んだら、親も子も睡眠障害治って学校いけそうなもんですが。



そしてこんな生きづらそうなこと言ってるんだったら




治った方がいいじゃないですか。
なんでこんな状況にあって治るということをこれほどいやがるのか
私にはわからないしわかる気もありません。

3歳半まで言葉がなかったお子さんが超有名校に進学したママさんを情弱呼ばわりしている人の勝手に終戦宣言。





つまり彼らは、「100パーセント確実じゃないことには手を出せないほど不安が強く」「よその子が治ると自分が頑張っていないと思われるのがいや」なんですな。どなたかが指摘していました。「治ると思われると自分が頑張っていないと思われる」と堂々と言う人が考えているのは自分の保身だけ。子どもの未来はそこにないと。

そりゃそうだ。

治らない教信者の親たちを見てて思うのは、子どもに誰もきいてないですよね。
治りたいかどうか。

まあともかく

8年前より私が進歩したのは、脊髄反射的に売られた喧嘩を買うのではなく、結構こういう風に情報をためておいて脳みその中で構築して情報の出しどころをコントロールすること。

っていうかなんのことはない。これは私が仕事でやっていることです。
その能力を私は喧嘩にも適用できるようになった。
それがすなわち、私の発達ですね。

そして私の作る本は、これからも炎上します。

なぜなら、ファストフード的にはてきていない「こうやればこうなる」ではなく「人体はこうなっていてこことここがつながっているからここをこうすればこうなるのでは」という仮説を提示している。だからファストフードみたいなハウツー本しか読めない人はいつまでも「何を書いてあるかわからない」と言うでしょう。一方で「役に立った!」という人も多い。自分で考える習慣がある人にとってはハウツー本の方が役に立たないのです。最大公約数ばっかり書いてあるから。

私は法令を恐れて「こうなれば治ります!」っていう本を出していないのではありません。
発達は個々なのだから、そんな本ではウソしか伝えられないでしょう。
それぞれがやり方を考えられる本じゃないと、読んでも治らないでしょう。
花風社の本はそのようにできているから、これからも「治ると言ったのに治る方法が書いていない!」という人たちは出てきます。「チキンバーガー」と言えばまっずいチキンバーガーが出てくることになれていて、鶏肉からこね方からパンから野菜から自分で選んで作ったチキンバーガーのおいしさを知らない人たち、自分の手とアタマを使う習慣のない人たちですね。そしてその習慣がないからこそギョーカイの食い物にされ続ける人たちです。

私はファストフード系の読者に合わせるつもりはありません。彼らはどっちみち治らないからです。自分の頭で情報を分析して観察する気がある人じゃないと治らない。彼らはファストフード頭だからこそ、実は治りたくて清水の舞台から飛び降りるつもりで読んだあの『発達障害は治りますか?』からでさえウコンとエビオスしか拾えないんです。あの本を全編貫いている「人間にとって健康な生活とは何か」という提言が見えないんでしょうな。

というわけで

村社会は定期的に炎上を起こします。
自分のアタマを使う習慣のない人たちが定期的に炎上を起こします。
治らない教信者が時々発狂します。

まあそんなこんなでこれからも炎上は起こります。
そしてそのたびに「え、治るの?」と花風社の存在に気づき、治る人が増えます。
そしておそらく私はどんどん喧嘩が強くなります。
どうしてこんなに強いのかというと、もしかしたら栗本さんの最新理論のとおり☆☆が多いから打たれ強いのかもしれません。そしてこの夏も☆☆を鍛えているのです。とくに目的はないんですけど楽しいから。

というわけで

これを最後にしようと思ったのですが、予告。

9月29日に面白い身体系の講座やります。
助手が栗本さん。
メインの講師は別の人です。
共存のための身体作りが次のテーマです。
絶対いい講座になりますので、興味のある人は空けておいてください。

そして
ファストフード的な読み方以上の読み方ができる方
「人間にとって健康とは」「じゃあ発達障害者にとって健康とは」がよくわかる『発達障害は治りますか?』
電子化しましたので、よかったらスマホに入れておいてください。



どんどん治ってください。
そして、村社会に巻き込まれず、自分の生き方は自分で決めたい人
これからも花風社は
そういう人「に」情報を提供していきます。

(完)



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2 コメント

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もしかしたら (ねてまて)
2018-07-12 09:10:48
日本で、様々なことをマニュアル化すると異様に窮屈になって、効率化どころか縛り付け、抜け駆け許すまじ、になるのはムラシャカイだったから。
今、脳内で仕事に例えてみて、あまりに当てはまっていて、目から鱗。多くの会社はムラシャカイの典型ですから。

つまり、なんでもかんでもパターン化して、本質(ギョーカイだったら当事者その人)をみない。治るわけない。
そこを押さえて、修行ですね。
返信する
一冊本を読んだみたいに (いぬこ)
2018-07-12 12:47:39
興味深い連載でした。
最終回のこの記事、ちょうど治ってる界隈と食事中。顔突き合わせて見ました。

様々なツイートの程度が
「いーけないんだ!治るって言っちゃいけないんだー」って小学生グループの野次に見えるね。でも、不具合は辛いと泣くんだね。村社会ってその心理かも。出たらいいのにね。
と、
各々覚悟して向き合い、工夫し、子を、家族をよく見て、段々と、ドカンと、多くの治ってる人達と愚痴も辛さも無い会話ばかりの数年。。

子の診断から10年が過ぎ…。
社会で強く生きてきたと思ってたけど、診断をきっかけに、自分を見失った時期はあったことを思い出す。

自分の痛み、苦しみは経験と体感で対策ができる。子の苦しみは親であれ、想像。
激しい感覚過敏、2歳半初歩、先の想像など到底できず、自身の持病も炸裂し、懸命に毎日を送っていた様でも、きつかった時期はあった。

本をネットを開けば、暗い未来ばかり。
親の強さと本能を吹き飛ばす位、
子に診断がつく事は衝撃だ。…だった。

でも、見失った時、大切にして下さった方がいた。本当の正しい事を言った人達だ。

WISCの結果データを見て「こんなもの、俺に言わせればくだらない。ほら、見てみろ」と文書をぽいっと投げ、隣で笑う娘を抱えた父。

「嘆くことなかれ。まだ時間はたっぷりある、任せて」と娘と四足歩行やり切り雑巾がけをしながら背中を叩いたくれたお教室の先生。

娘にメロメロと頬ずりして「お前がまず笑え!楽しめ!」と私の尻を叩いて帰る友人達…。沢山の人が、みんな腕まくりして気づかせて下さた。人の子に、こんなに優しくて逞しい。

その頃、浅見社長が市の講演に登壇された。
それまでは、何者か解らない人の、ありのまま講演、悩み相談会連発にうんざり、もう聴講止めようと思った時だった。お悩みを聞きあって、子が、毎日が、一変する訳じゃない。

登壇瞬間「はっ!久しく見る、男前女性のちゃんとした社会人だ!」と思った。
発達障害の世界に入って、何故か、
社会人感を見失ってしまってたと気づく。

内容を一言も聞き漏らせない。
身体の不自由さ。そうか先ずそこだ!!今日から楽しく過ごすアイディアが止まらない、初めてウキウキした帰り道となった。花風社本を一気に買った。
診断されて初めて、道が明るく見えた。
あの日は絶対忘れない。

それでも晴れない日、浅見社長にメールした事もある。ただの一読者なのに、シャキッとするお返事を頂いた。
元々持ってる、自分の素地が戻ってきた。

娘が通級を開始し、3年目。
「親の会の代表になって。くだらない会なら潰してくれて構わない。責任は私が取る」と、先生に言われた。

潰してくれて構わない。
この言葉が無ければ、大規模親の会代表なんかしない。お世話になった素晴らしい先生達の、ある覚悟を見て受けた。
不明瞭な会費や行事を全部可視化し、愚痴より
周囲理解より、どう我が子を学級へ戻すか。それだけを先生も交え、本音で話す会にした。新しいお母さん達がイキイキと集まる。

元々の療育、セミナー繋がりの親が多い中、
知人もしがらみも全く無かったから、校内の代表はできたが、市の代表会議にはそれら繋がりの、今回のツイート人達みたいな人が沢山いた。

良くなったと言おうものならヒソヒソ。
オラが村から出たら大変あんだよ!
おんもは怖い所なんだがら!って雰囲気に驚く。

社会経験あんのか?と会議内容のずさんさに頭を抱える、勉強会中止せよ、虚偽のテロ文が届く。
一体この世界は何だ?呪いの村?
屈しなかったけど、大人として、社会人として到底相容れない。ギリ限だ。この労力が可能なら、任期満了で社会復帰して働いた方がよほど健康的と、パートを始めた。先生には変えてくれてありがとうと握手されたから、よかったのだろう。

と、働いた初日。
自分の目ではっきり判ったこと。

あれ?数年後の娘…きっと、この仕事できるよ。
あれ?呪いの村から散々、おんもは怖いと聞いたが、10年振りの社会とは色々便利で、実に色んな人が働いてるじゃない!

私自身も村空気を吸い込み過ぎた。
将来自営して、娘を働かすなどと夫と真剣に会話する事もあった。

そこから3年経て。
主体性を持ち、自ら進学し、家事までできる、
配慮も心配も要らない「ただのよく頑張ってる生徒」になった。娘を自営に囲う発想など、おこがましかったね、夫と反省の今だ。

10年。診断は何だったのだろうと思う。
来いと言われて行った相談、医療機関。
つけっぱなしの診断がつくから治る、治らないになる。
実際に幼い頃から私達親子を見てる多くの人達が、学校の先生までもがさらりと
「治ってますね、よかった!」級の成長を遂げても。医療側は治らない、治ったと言えるのは医師だけだと言う。誤診とまで言う?
他科に誤診なんてあるのかしら?

つけられた以上、治らないと言われる以上、
勝手に治っていくしか道が無い。物言う生徒達が社会に出て、互いに「あった、そんな時期!治ってよかったよねー」と働く姿も浮かぶ。

どのルートを辿っても、治す子は人は治る。
発達の○○と判れば治す手立ては沢山。

そして、あの見失った時、浅見社長をはじめ、正しい言葉を下さった方々の言うとおり、それを越える10年後が来た。

親だから見えてない事もあったのだ。
ただ、無駄な頑張りは一つも無い。
芋ずる。本当に芋ずるに治っていった。

感謝ばかりの10年。
一つ欲を言えば、10年前に全ての本に出会っていたかった。そう、もっとのびのびと育児をしてたろう。

同じ発達障害で、不健康で治らない人と嘆く者、健康で治ったと言う人が居て。私なら、直ぐに後者の知見を選ぶ。この先もだ。

この連載に、そういえばあの人もこの人にも応援して頂いたっけと思い出し、涙が出た。

治った界隈の、活きがいい話に昨日は湧いて笑って、改めて沢山の方々に深く感謝をしました。ありがとございました。
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