治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

昨日ニキさんから学んだこと(京都府NPO法人ぶどうの木様10周年記念イベント)

2019-02-12 08:32:02 | 日記



昨日は日帰りで京都出張でした。ニキさんと、京都府南丹市で活動しているNPO法人ぶどうの木さんの10周年記念の会に呼んでいただいたのです。

実は数年前にもニキさんと二人で呼んでいただいたことがある主催者様です。HPを見るとその後事業を広げられ、10周年はめでたいイベントなので、お声がけいただいた以上お祝いにかけつけなければと思いました。が、何しろ先方は放課後等デイとか就労支援とか手広くやっていらっしゃるギョーカイです。でも活動内容を見ると結構言葉以前のアプローチっぽいことをやっていらして好感が持てたのですが、ギョーカイはギョーカイ。私は口を慎んだ方がいいな、と思いました。それに何より今皆さんが知りたいのはニキさんの現況です。ていうか私も知りたい。というわけでニキさんと事前に打ち合わせたら、ニキさんは「年取ったからこそラクになったことがあった」というのでそれはいいねということになりそのネタを話してもらうことにしました。

講演時間は90分ですが、私はニキさんに85分上げると言いました。あとの5分で私が伝えたかったことは、赤本読者が多いと思われる会場の皆さんに今の藤家さんのことを伝えておきたかったのと、この10年で花風社が挙げた成果です。それもくどくど言わなくていい。

京都駅で会ったニキさんは「やっぱり15分はしゃべってくださいよ~。それと突っ込み入れてくださいね」と言ってましたのでわかりましたと言いました。

私はマイブーム?のDSM5の話から始めました。というのは、DSM5における自閉症の予後は決して悪くないのです。「生涯にわたる支援」が必要だとも思えない予後。そして老年期については「ほとんど知られていない」でまとめられています。なぜほとんど知られていないのかずっと考えているんですけど、そのヒントも今日ニキさんの話からヒントがもらえるかもしれないと思ってやってきました、と話しました。

もしかして若い頃の私たちの講演のように、自閉っ子の面白いネタが出て、会場が笑って、みたいな講演を期待した方には肩すかしだったかもしれません。それでも貴重な講演でした。ニキさんは赤本以降、いや10年目以降人として学んだことを話してくれたからです。それはニキさん流修行であり、ちゅん平さんとは違う方角からの頑張りであり、それでいて神田橋先生や愛甲さんのいう「ワクワク」だったからです。

私は話を聴きながら、やはり自閉っ子にとって「人に好かれる」というのは決定的なサバイバルスキルなのだな、と思いました。なぜなら好かれないと嫌われるから。そして嫌われると生きづらい。でも嫌われないようにするのはスキルじゃないんですよね。SSTじゃないんですよね。


ニキさんは講演内容が漏れるのをあまり好まないので詳しくは書きませんが、私が拾ったヒントは二つ。

1 小さながっかりは大事
2 自分で選んだ苦労は耐えられる

そして昨今の花風社らしさは抑えた講演会でしたが、一つだけ言ってしまいました。
特別支援教育が始まる前、ニキさん(と私)に「特別支援教育に何を求めますか?」という講演オファーがたくさんきました。だけど始まって十数年経った今、誰もききに来ないですね。実際にはグレーを黒にするみたいなことがたくさん起きてますよね。それは小さながっかりからも自分で選んだ苦労からも遠ざけたからじゃないですかね、凸凹キッズたちを、みたいな。

あと、ちゅん平さんの現況は沖縄旅行を題材に話しました。
今や感覚過敏はなく、風邪でジムを休むと(ていうかジム行ってる)何も知らないトレーナーからは「珍しいね見るからに健康なのに」と言われるほど見た目にも元気で、仕事も頑張っていて、という話をしました。もう雨も痛くないから沖縄で雨が降ってきても平気だし、超偏食で食に対して怖がりだったのにサロンパスの味の飲み物を飲みたいと言うし、豚の耳も食べます。要するに、別人です。

そして最後にこんな話をしました。

「私は最初に出会った自閉っ子がいい子たちだったので、自閉症の人に悪印象を抱きませんでした。最初に誰と会うかはとても大事だと思います。そしてだからこそ、自閉症が治ってほしいとは思っていなかった。ただ、この人たちの身体のつらさはどうにかしてあげたいと思った。どうにかしてあげたいと思った身体のつらさは主に四つ。すなわち
1 感覚過敏
2 ボディーイメージが曖昧(コタツの中の脚)
3 睡眠障害とか体温調節とかが自然にできないこと
4 季節に翻弄されること

そしてこの四つは全部治るようになりました。
今日は書籍もニキさんのものを中心に持ってきましたが、この10年の花風社の成果として『感覚過敏は治りますか?』という本だけは持ってきました。花風社としては、感覚過敏は100%治るという実感を得ています。よかったら読んでみてください」

これで講演は終わりました。
私がぐっと言うのを我慢したのは、この四つが治るとあとは芋づる式に治っていくという部分です。そしてそれでも残る文化的なものはニキさんにもちゅん平さんにもある。それは個性の範疇だと思っているということ。

ニキさんにはいずれ中年期の気づきをまとめてほしいと言っておきました。
どのような枚数になるかわかりませんし、どのような媒体で発表するかはわかりませんが。
ニキさんは今翻訳のお仕事を抱えているのと、私と違ってニキさんの資質は有閑マダム方面で開花するようなので、いつになるかわかりませんが、中年以降の自閉おばさんからの情報も貴重だと思いました。

ニキさんの話を聴けば聴くほど、私には有閑マダムの資質がないなあ、と思いました。
もしかしたら有閑マダムの才能は、自閉の人の方があるかもしれませんね。

私は赤本当時「生まれつきの脳機能障害で一生治らない」を信じていました。
でも四つの苦しさ

1 感覚過敏
2 ボディーイメージが曖昧(コタツの中の脚)
3 睡眠障害とか体温調節とかが自然にできないこと
4 季節に翻弄されること

だけはどうにかしてあげたかった。
そこから「治る」路線は始まったのです。
この四つが治ると知的面でも情緒面でも学習面でも伸びるからです。


そして今思うと、この四つを目撃していながらなぜ専門家と言われた人たちがこれをどうにかしてあげたいと思わなかったのか、そっちの方が不思議ですね。
いったいなぜ? と思います。
本当にいったいなぜなんだろう?
放っておけたのは。
私は放っておけませんでした。
それが私の「治そうよ」路線の原点です。
善意しかなかったのです。
そして善意しかなかったのは、最初に出会った自閉っ子たちが大好きだったからです。


お越しいただいた皆様、ありがとうございました。
ネットでの広報はしないで満員御礼の会でしたが、たまたまこのブログもご存じで浅見節を期待していただいていた方がいたとしたら、昨日は申し訳ありませんでした。あくまでニキさんを前面に立てた構成としました。

そしてぶどうの木さん、貴重な機会をありがとうございました。
10周年おめでとうございます。
地域でのますますのご活躍をお祈りいたします。

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