やはり12時間の時差はきついですね。オリンピックをライブで見るのは限度があるな。気楽に見られると思ったんですけど。大相撲に比べて。
というわけで昨日も普段通りに寝て起きて、まず機嫌がよくなったのはオリンピックのせいではありません。FBで週末、灰谷さんの講演会での書籍販売、列ができていたのを知り、嬉しいなと思いました。
花風社クラスタ的には灰谷さんを初めて知った方も多いでしょう。逆に灰谷さんのお客さんで花風社にめざめた人も多いです。ウィンウィンですね。
そのうちのおひとりが昨日、ロンドンのときはしゃべれない自傷他害睡眠障害と問題てんこもりで疲れきっていたけれども、今ではぐんぐん発達している。いったい「発達障害は治らない」ってなんの話? と書いていらっしゃるのを見て
ロンドンは四年前。
そしてその二年くらい前から「治る」ということを猛攻撃されていたんだよなあと思い出しました。
そしてこの方のお子さんは、その頃生まれたのです。
新しいお客の皆さんは、その歴史を知らないだろうけど、ほんとひどかったんですよ。
かいつまんで振り返っておきますね。このブログの背景が読めるように。
私は自閉症者から法的被害を受け、そのときに医療も支援も役立たずだということを知り、これは「治す」方法を考えなきゃいけないと思った。
この考え方が差別だと言う人たちがいた。つまり、発達障害者の特性は「ありのままに受容すべき」で、迷惑な特性を迷惑と言うこと自体差別で、一般人が耐え忍ぶことこそ理解、という考え方です。これを主張する親が多かったんだろうし、支援者はその考えに寄り添っていた。つまり、社会の方を向いてはいなかった。だからこそ、支援者は昆虫図鑑でも作るような障害の分類と「社会の理解ガー」しかやってなかったんです。
そこに「当事者も修行が大事」という考えを持ってきたのが花風社。
その皮切りとして「ぼく、アスペルガーかもしれない」という本を出しました。
著者は八歳。「障害があっても自分でご飯を食べられる大人になる」を目標に特別支援クラスに学ぶ実在の少年です。
それに対してたいそうな騒ぎが起きました。
中心になったのは宮本晋ことベム。吉川徹(当時名大病院・今愛知コロニー)。そして「そらまめ式」とかいう本を書いたそらパパこと藤居学。
「修行は残酷!」キャンペーンが起きました。
彼らはその論陣を張り、「ぼく、アスペルガーかもしれない」の中田大地君の一家に嫌がらせメールを集団で送りました。器物損壊事件も起きました。「発達障害の子を持ったという不幸の前には他人に何をしても許される!」とカンチガイした鬼畜の群れです。
そこに発達障害の外の世界から神田橋先生が参入! という情報が。
治さなくても専門家としてふんぞり返っていた支援者たちは大騒ぎ。
「神田橋医師はトンデモ! オカルト!」と大騒ぎ。
花風社に対する誹謗中傷もますますすさまじくなりました。
その一方で私は、家族ともども被害を与えてきた自閉症者に民事で勝訴し、刑事告訴を進めていました。警察が私への威力業務妨害に関しては網を張ってくれていたおかげで、千葉で私が講演するとき、それを妨害しようと送ったメールを主催者サイドが任意で警察に提出。ベムの本名がわかりました。
ベムは今思えば「恐怖麻痺反射」の人だったのでしょう。本名をこっちがつかんだとたん、攻撃をぴたりとやめました。そして地下に引っ込みました。
このときにほんとしょうもないな、と思ったのは、善意で協力したセンターにベムが怒鳴り込んだこと。
「発達障害児保護者のためなら正義は貫くな」と堂々と主張する保護者。でもね、これは保護者活動には珍しくない。だからこそ社会に訴える力に限界があるんだと思う。だってまともな主張じゃないからね。
吉川徹も同様。その後も行政の主催の就労支援の会で「発達障害者の目標は家事のできるひきこもり」と発言したりしてひんしゅくを買っていますが、一部の「ありのまま系保護者」に支持されて今に至ります。きっと一生変わらないでしょう。いいの、こっちを邪魔しなければ。
一方、そらパパこと藤居学は相変わらず悔しさを持てあましていました。
本来物を書きたい人なのね。そして娘さんに障害があったことで著書が出てもてはやされ療育に一家言ある人みたいにみなされていたのに、見る人が見れば「あそこんち成果出ていない」。そのメールを私がここに載せたことでひどくプライドを傷つけられたようです。
そらパパのいう「差別」はね、「本当のことでも都合の悪いことを言ったら差別」なんです。だったら私は差別者でいいや。卑屈耳に触りのいいこと言うより真実を言う方が社会貢献だからね。
でもまあ成果の出せない親が本を出せたのも、成功例がなかった時代のこと。今は成果の上がっていない人が本を出しても誰も買いません。仕方なく自分の物書き欲求を自分のもてない体験に向けて恋愛指南の本など書きもともとのファン(いたら)さえもドン引きさせているようです。
そういえば私、神田橋先生の本に対する大バッシングが起きたとき
「この本をはなから拒絶した人と採り入れた人、五年後十年後はどうなっているか見物させてもらいますわ」と言ってたのですけど、十年は必要なかったみたいだな。
発達障害者は発達する
と神田橋先生が言い
今灰谷さんが
発達障害者が発達する理由
を明らかにしてくれて
その両方の本がたくさんの人を治しています。
でもね
吉川徹とかは「そらパパさんは影響力のあるレビュアーなのだから長いものに巻かれた方がいい」的なことをこそっと言っていました。
これをね「死んだふり」と呼ぶんです。
死んだふり支援者はこれを社会性のない保護者にもやるんです。
そして保護者は増長し、ますます社会で浮いていくんです。
成果もあげていない保護者が先生気取りで威張っている方がおかしいし
そもそもその支持者は大地君ちに迷惑行為するほど民度が低いんだから肯定してはダメ。
ちょっとだけ自慢させてもらうと
私が「逃げる」のではなく「戦う」ことを選んだから今があるんですよ。
そして
六年前には生まれていなかった人、生まれたばかりの人のためにも
私がやってきた活動は役に立っているんですよ。
今やっていることだって
これから生まれてくる人のためにもなるでしょう。
だからね
これからも口は悪いだろうけど大目に見てください。
私が戦わなきゃいけない理由はあったんだから。
なんで戦えたかというと
厳密に言うと
自分のための戦いではなかったから。
「治さない支援者」「無理無体を言う保護者」を見て
とことん義憤に駆られたからですよ。
そして
かわいがられてかわいがられて育てられた子は
戦いを恐れないからでしょうね。
一度目の東京オリンピックは家族ででかけました。
二度目の東京オリンピックのときには
もっともっと治った人が増えているといいな。
この写真を見ると、表情が今と全然変わんないなと思います。屈託のない笑顔も、なぜかのドヤ顔も。そしてこれほど安心しきって子ども時代を送ったのだなとよくわかります。
教育現場にいると、そうじゃないお子さんたちに出会うと思います。先生の力は大きいです。応援しています。
けいさん、大地君の本は私にとっても誇りです。あの本を読んで感動するのが一般的な反応だと思います。それをマイナスのメッセージに受け取る保護者や支援者がいること自体が、いかに発達障害の世界に異様な言論がまかり通ってきたかの証拠なのです。それは別エントリを立てて展開していくつもりです。
ビギナーさん、花風社の本にめざめてくださりありがとうございます。お役立てただけましたら幸いです。
差別的なのはどっちだとめまいがしました。
浅見さんのように、当事者ではないのに道無き道を切り拓き、人のためになるように尽くす生き方なんて万人ににできることではないのですから、とやかく言われる筋合いないです。
(先日はコメントが付いているのに気付いて読んで、こういうことがあるのかと驚きました。)
ご本を数冊読了し、とても希望の持てる内容に励まされ、気持ちが楽になっていることに気付きました。
本当にありがとうございます。
えげつない大人たちも居るものですね。有り得ない。
社会の為に、誰かの為に闘う姿は美しい。
私もそう在りたい。
心からそう思って涙したんですけど、、苦笑。
少数になりつつも程度の低い人たちは居るでしょうが
私は完無視で精進しようと思いました。
大きなお口を目一杯あけて、
「パパと一緒!うれしい!たのしい!」
って言っているみたいです(*^^*)
右の写真。
カッコいいお父様に抱かれ安心しきった様子で、そして、キリッとした力のある目で、もうすでに、自分の意思でしっかり人生を歩み始めているようです。
何度拝見してもとても暖かな素敵な写真です。思わずこちらも笑顔になります( ^ω^ )
さて私は、
親としてはもちろんですが、教育現場にいる者として、
花風社の多くの本や、社長や他の花風社クラスタの皆様との関わりの中で、本当に役に立つ知識を得て、私は私がすべきことを、学校という場で、自分に嘘をつくことなく、こつこつと真面目にやっていこうと思います。
東京オリンピックの年に、自分のしてきたことにそれなりの満足が得られるよう、頑張ろうと思います。