昨日、Chris Gould氏からの「大関(涙)稀勢の里関へのお手紙」を和訳してのっけましたが
さっそくChrisさん自身が翻訳を見たということで
「absolutely fantastic」とうれしいメール。
原文にこちらのブログをリンクしてくれたそうです。
日本語がある程度できる人の文章を訳すって緊張するんですけど、よかった。
相撲部でも評判になったし
画伯も今日のブログにリンクしてくれてるみたいです。
Chrisさんは、自分のtextだけではなくその裏にあるemotionまで理解して訳してくれたとメールをくれましたが
翻訳ってそういうものだと思ってやってきたんです、私は。
でも私が翻訳出版業界の一人として活動していたころは
必ずしもそういう人ばかりではなかった。
文章の裏にあるemotionをなんとか言語体系の違う言語で表現するというより
「こう書いておけば同業者に批判されないで済む」みたいな無難な表現を選ぶ人も多く
その結果文章に力がなくなるんですね。
私はこの方針が嫌いでした。
なぜなら、「読者不在」だから。
今も私はうちに原稿持ち込みしてくる人たちにまず
「本は著者のために出すんじゃない。読者のために出すんだ」って切り出しますが
それはこういう経験を経て、体得してきた哲学なんですね。
心構えだけの問題じゃないんです。
本作りという仕事の根幹がそこにあるんです。
最終的に出版というビジネスを支えているのは同業者でも編集者でもなく読者なわけで
同業者の目を気にして
あるいは直訳しか理解できない未熟な編集者に突っ込まれないように
その読者に作品の味わいが伝わらない翻訳を作るのは本末転倒だと思っていました。
だから翻訳講座を自分で開いたんです。既存の翻訳家がなかなか気に入らなくてね。
そこにニキさんがきて~みたいな流れでイマココ、です。
でもね
当時私が翻訳出版業界に感じていたダメダメ感と発達障害支援の世界(の一部)に感じているのってわりと(以下略)。
~~~~~~
さて、昨日は一年近く先の講演会のオファーもいただいて
それがあまりに遠慮がちのオファーだったものだから、思わず
「つつしんでお受けします」と返事しそうになりました。
一日中伝達式の報道を追いかけてチャンネルからチャンネルへと旅をしていた日に来たオファーだったので。
先方遠慮がちな理由は
小規模な会だからということのようです。通級の先生たちと保護者の小さな勉強会だから。
小さいも大きいも関係ないよね~と私は思っています。
数ある発達障害関係の本の中から、花風社の本を気に入ってくださり
うちがいつも主張しているように「異文化としての理解」に興味を持ってくださっているのなら、喜んで伺います。
教育現場に興味を持っていただけるって、とてもうれしいです。
「発達障害児の未来は、消化試合ではない」って、現場の先生たちにこそ、知っていただきたいです。
それにしても、一年近く先の講演会とかのオファーを受けるといつも思うのは
「私、そのころまで発達障害やってるかしら?」っていう疑問。
でも考えてみれば、いつしか翻訳出版を離れたように
すべては流れなのでしょう。
翻訳の世界。発達障害の世界。
どっちでも私は暴れん坊をやってきたというわけで
まあ考えてみればカンタンな話ですね。
どっちでも眉をひそめた人はいましたけど
どっちでも応援してくれる人もいるので
だから専守防衛になったんですけどね。
まあ、今は発達障害やってるけど
他にやること見つかったらいなくなりますから
もう少しご辛抱くださいませ。
きっと私は
どこの世界に行ってもきっと雑音には出会うだろうし
専守防衛だろうし
それでも
「本は読者のために出す」っていうことおおもとを
見失うことはないと思います。
さっそくChrisさん自身が翻訳を見たということで
「absolutely fantastic」とうれしいメール。
原文にこちらのブログをリンクしてくれたそうです。
日本語がある程度できる人の文章を訳すって緊張するんですけど、よかった。
相撲部でも評判になったし
画伯も今日のブログにリンクしてくれてるみたいです。
Chrisさんは、自分のtextだけではなくその裏にあるemotionまで理解して訳してくれたとメールをくれましたが
翻訳ってそういうものだと思ってやってきたんです、私は。
でも私が翻訳出版業界の一人として活動していたころは
必ずしもそういう人ばかりではなかった。
文章の裏にあるemotionをなんとか言語体系の違う言語で表現するというより
「こう書いておけば同業者に批判されないで済む」みたいな無難な表現を選ぶ人も多く
その結果文章に力がなくなるんですね。
私はこの方針が嫌いでした。
なぜなら、「読者不在」だから。
今も私はうちに原稿持ち込みしてくる人たちにまず
「本は著者のために出すんじゃない。読者のために出すんだ」って切り出しますが
それはこういう経験を経て、体得してきた哲学なんですね。
心構えだけの問題じゃないんです。
本作りという仕事の根幹がそこにあるんです。
最終的に出版というビジネスを支えているのは同業者でも編集者でもなく読者なわけで
同業者の目を気にして
あるいは直訳しか理解できない未熟な編集者に突っ込まれないように
その読者に作品の味わいが伝わらない翻訳を作るのは本末転倒だと思っていました。
だから翻訳講座を自分で開いたんです。既存の翻訳家がなかなか気に入らなくてね。
そこにニキさんがきて~みたいな流れでイマココ、です。
でもね
当時私が翻訳出版業界に感じていたダメダメ感と発達障害支援の世界(の一部)に感じているのってわりと(以下略)。
~~~~~~
さて、昨日は一年近く先の講演会のオファーもいただいて
それがあまりに遠慮がちのオファーだったものだから、思わず
「つつしんでお受けします」と返事しそうになりました。
一日中伝達式の報道を追いかけてチャンネルからチャンネルへと旅をしていた日に来たオファーだったので。
先方遠慮がちな理由は
小規模な会だからということのようです。通級の先生たちと保護者の小さな勉強会だから。
小さいも大きいも関係ないよね~と私は思っています。
数ある発達障害関係の本の中から、花風社の本を気に入ってくださり
うちがいつも主張しているように「異文化としての理解」に興味を持ってくださっているのなら、喜んで伺います。
教育現場に興味を持っていただけるって、とてもうれしいです。
「発達障害児の未来は、消化試合ではない」って、現場の先生たちにこそ、知っていただきたいです。
それにしても、一年近く先の講演会とかのオファーを受けるといつも思うのは
「私、そのころまで発達障害やってるかしら?」っていう疑問。
でも考えてみれば、いつしか翻訳出版を離れたように
すべては流れなのでしょう。
翻訳の世界。発達障害の世界。
どっちでも私は暴れん坊をやってきたというわけで
まあ考えてみればカンタンな話ですね。
どっちでも眉をひそめた人はいましたけど
どっちでも応援してくれる人もいるので
だから専守防衛になったんですけどね。
まあ、今は発達障害やってるけど
他にやること見つかったらいなくなりますから
もう少しご辛抱くださいませ。
きっと私は
どこの世界に行ってもきっと雑音には出会うだろうし
専守防衛だろうし
それでも
「本は読者のために出す」っていうことおおもとを
見失うことはないと思います。
先日、生徒のお母さんから大地さんの、僕は、社会の中で生きる。を、プレゼントしていただき、それから前作2冊を慌てて購入させていただきました。テレビで大関に昇進した稀勢の里のニュースが流れており、大地さんの頑張りが稀勢の里の頑張り方と重なって見えました。
今日、初めてこのブログを読んで驚きました。社長様が大関のファンだったとは、なんということでしょう。
さて大地さんの本の感想です。私は涙が止まりませんでした。大人だって、ここまで自分の障害や自分の周囲の環境を理解するのは難しいことです。
しかも、自分はどう生きていていくべきかを真剣に考えているんですね。
障害があっても人間。必要なことは出来ないといけない。当たり前のことですが、これをきちんと自分は子供やその親たちに教えているだろうか。
どの子供達も当たり前のことが出来るように工夫し育てるのが特別支援教育なのかもしれない。そう思わせてくれました。
日本で特別支援教育が始まって十年です。義務教育は生きる力を育てるところ。
それは、障害や疾病を抱えた子供達も同じです。忘れていたことを思い出せました。
大地さんがご母堂様や教員から教わっていること、大地さんの様に幼い時から自分の受容し将来の目的を働く人と設定する学校教育は稀なのかもしれません。
残念ですが、今はまだ障がい児は弱い。保護されるべきという考え方が色濃いです。
だからこそ、私達は大地さんの著書を読んで考える必要があると思います。
多くの人が、彼の著書を読むべきです。私も一人でも多くの方に勧めようと思っています。
まずは、明日の朝の職員会議で紹介させていただきます。
教師という仕事は、責任があり、いくら勉強してもくみつくせぬ仕事ですよね。でもその一方で、ルーティン的にこなしていてもあまり実害は先生方に生じません。将来その子が社会でひとり立ちできなくても、最後まで面倒をみるのは親であり、教師の方が生活費の仕送りをすることはありません。このあたりが問題を複雑にしていると思っています。
私は障害のある人は保護されるべきだと思っています。ただその「保護」は、たとえばその子に合った学習方法を柔軟に採用するなどの能力を生かす方向性で考えられるべきだと思っています。「大目に見る」のではなく。
教師も保護者もその子の持っている能力を見くびるのは、人権侵害だと思っています。
またお越しくださいませ。
我が家の一人息子は、アスペルガー症候群です。来春は一年生です。入学前の準備で、支援療育センターから教育相談を勧められて、そこで特別支援学級が良いと言われているところです。
出来ればお友達と一緒に普通のクラスで勉強して欲しいと考えていました。障害があると言われても、そんなに他の子と自分の子供が大差があるように思えないのに、どうしてうちの子供だけが他にところに行けとなるのか納得出来ませんでした。
なかなか踏ん切れないでいる時に、実際に特別支援学級にお子さんをいれたお母さんの話を聞く会がありました。その方が、「ぼく、アスペルガーかもしれない。」を朗読してくれました。そして、大地君は今は四年生になり、診断と告知を得て、おひさま学級を卒業しようと決めて奮闘している事を話してくださいました。
子供が不憫だからと口ではいいながら、障害があることに勝手に偏見を持ち、親のエゴで大切な繋がりを断とうと騒いでいた自分に気がつきました。大地君の頑張っている話から、やっと決心出来ました。これから私も本を買って読もうと思います。
大地君の本がお役に立ててうれしいです。
どうぞシリーズで読んでみてください。
このコメントにヒントをいただいて、次のエントリを書きます。
改めて考えるきっかけを与えていただきありがとうございました。