治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

個人が個人を罰することの禁止

2017-11-13 10:40:33 | 日記
井出草平著「アスペルガー症候群の難題」によると発達障害の人の性犯罪リスクは高いらしいのです。あの本はエビデンスベースドらしいので海老踊りの人たちはそっちを信じるのでしょう。

私の肌感覚では性犯罪に関してはむしろ被害の方が多いような気がしていたんですけど、それはトンデモなんでしょうね(真顔)。

さて、名誉毀損はどうだろう。
名誉毀損は私、被害者としてきちんと加害者が立件されて起訴されて判決も下ったという経験をもち、そのスタート地点、告訴状を受理して捜査してくれた人と今本を作っているわけですが、そこに名誉毀損や業務妨害の話はきちんと項目として挙がってきました。
知能犯担当だった人です。知能犯で扱うのは詐欺・横領・名誉毀損。
そのほかに宿直があって街中の署だったのでその間にありとあらゆる事件を経験なさったようです。

が、私は名誉毀損に関してこう感じていたんです。
私は「たまたま」名誉毀損の被害にあったけど、発達障害の人周辺でこの問題そんなに起きるのかな、と。

一方で割と最初から「罪刑法定主義」というのを習っていました。
これはとても大事なことらしいんだけど、今一つどういうことか肌身でわからなかった。
でも繰り返し繰り返し大事なことだと教わり、二週間くらい考えていました。

罪刑法定主義っていうのは「法律なくば、犯罪なし」ということだそうです。

といってたら元アナウンサーの長谷川豊氏が、選挙運動中にネットで住所をさらされたことに被害届を出して、不受理になったらしく、ブログで「こんなことでいいのか」と憤っていたようなんですが、これが罪刑法定主義だなあと思いました。法律なくば犯罪なし、だから警察としては動きようがないわけですね。

そして考えてみれば、ああだからYTは、そしてアンチの皆さんが今も「でっちあげ」に忙しいんだな、と思いました。

私はギョーカイが広めている二大誤学習が気に入りません。
二大誤学習とは
1 支援があれば
2 社会の理解があれば
の二つです。

一方で彼らがその誤学習を広める講演会をやっても邪魔はしません。
それは彼らの主張。
どっかの自治体が金を投じていても、私も確かに納税者だけど、納税者=金のすべての使い道に口を出せる ではない。
そんなことをしたら納税額が多い方が口を出せるとか、納税していない人は口を出せないとか、非民主的な世の中になってしまう。
よく自分の主張に合わない講演会が自治体の事業として開かれると「納税者だから」とドヤ顔して抗議に行く人たちがいますが、彼らは独裁者になりたいんですよ、要するに。すべての税金の使い道を自分の思うようにしたい。でも残念ながら、日本の体制の下では無理なのです。

講演会なんて行くも行かないも自由なら、そこで聞いた話を採り入れるも採り入れないも自由。行ったからって染まるとは限らない。第一ね、「発達障害、治るが勝ち!」にしたって私が幾多のギョーカイ系講演会を黙って聞きギョーカイ人と交流をしたその結果なんですからね。

私はギョーカイの主張が嫌いだし社会のためにならないと思っているし距離を取った方が自立に近くなるよと主張しているけど、ギョーカイ系の活動を妨害しないし抗議しない。むしろ出かけたりしてますよ。だってそれが自由な世の中でしょ。

共存っていうのはみんなが他人の顔色を伺って叩かれない発言をしているうちに本当に困っている人が置き去りにされるような気の抜けた言論しかのこらずプロ同士で飲み食いしている写真をSNSにあげて仲良しごっこする、なんていう甘いもんではないわけです。
それぞれ違った主張の人がそれぞれ仲間を見つけ切磋琢磨していく、それが共存なんです。

でもそこで、自分と主張の違う人がいると
しかもその人に仲間がいるらしいと知ると
「なんで? なんで?」で脳みそいっぱいになってしまう人たちがいる。

「なんであんな人を支持するのだろうか?」と疑問を持つこともあれば
「もしかして…私のしらない『おいしい』何かがあるのかも…? もしかして損しているのかも私…』というみみっちい根性から花風社クラスタから目が離せなくなってしまう人もいる。

つまり、真の意味で
「みんなちがって みんないい」とは思えない人たちなんですね。

気にくわない。
誰かに罰してもらいたい。
きっとあの人はなんかの法律に抵触しているはず。
そう思って「あの法律では取り締まれないか? この法律では取り締まれないか?」と脳みその無駄遣いをする。
どれもダメそうだと知ると、今度は罪状をでっちあげる。
あるいはしてもいない主張をしているとウソを振りまく。たとえば私が福祉を全廃せよといっているとどこにも書いていない主張を勝手に「浅見はこう言っている」と流布する。
そうやって「なんかこの気にくわない人物を罪に問えないか?」と考えるうちに、自分の方が名誉毀損だとか業務妨害だとかのリスクに近づいているんですね。
そう気づいたんです。



(言っときますけど、私のギョーカイ批判にはこの部分が全くありません。
私は彼らが言っていることのみ言っていると主張しています。
支援があればも社会の理解があればも彼らは言ってきたでしょう、さんざん)



つまりYTが私にやってもいない罪をかぶせて流布したのは

私がやっていることが合法的だったから。
でっちあげないと責められなかったからです。
今のアンチ諸君が「浅見が儲かるのがいや」というちんまい理由で本も読まないままウソを流布するのも要するに「でっちあげないと責められない」からなんですね。
でっちあげたいからあえて読まないというのもあるでしょう。
そしてますますなぜ支持する人がいるのかわけがわからない。
彼らがウソをつけばつくほど、私は別に悪いことをしているわけではなく、彼らの気にくわないことをしているだけだと証明されてしまうわけです。

考えてみればニキさんがこの辺の思考回路を見事に説明していました。
『自閉っ子のための努力と手抜き入門』から引用します。


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ニキ でも独裁者にはなりたかったんですけどね。

浅見 ああ、そうでしたね。自分のことお姫様だと思っていたんだもんね。いつか縦巻きロールが生えてきて、いつか王様になる予定だったのよね。

ニキ 施政をね、「私がやればうまくいく」と思っていましたね。

浅見 根拠は?

ニキ ない。単なる「自分の好みに合った世界」と「よい世の中」の混同ですね。自分のような考えが広まればいいと思っていた。

『自閉っ子のための努力と手抜き入門』P208より
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この「自分の好みの世の中」と「よい世の中」の混同。
これは自閉っ子あるあるですね。
というか
自閉っ子の親あるあるであり、自閉っ子の支援者あるあるでもある。

だったら「罪刑法定主義」ってやはりこの文脈でも大事だなあと思いました。
その目的のひとつは「私(わたくし)の刑の禁止」だそうです。

日本では
個人が個人を罰することはできないのです。
必ずデュープロセスが必要。
それが法治国家です。