治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

地力

2017-01-22 08:53:05 | 日記


昨日白鵬関が敗れた瞬間
つまり稀勢の里関の優勝が決まった瞬間、溜席に座っていた私の方に飛んできたお座布団です。重ねてみました。

何年も待ったこの瞬間を、国技館の溜席で迎えるとは思っていませんでした。
愛甲さんのおかげです。

私はきせ関がいちのじょ関に最初に負けたとき、国技館にいました。
溜席には今まで二回座ったことがありましたが、そのときに限ってきせ関は負けました。
だから昨日も、ゲンから言うとよくなかったのです。

せっかくの溜席だから、勝負にだけこだわらず、お相撲を楽しもうと思ってでかけました。
溜席は飲食ができないので、前もって愛甲さんと両国駅前でお食事。アナゴ蒸籠を頼みました。



私自身は、落としてはいけない星を落とさない勝負強さがあるので
充分な実力がありながら肝心なところで星を落とすきせ関に歯がゆさを感じてきました。
でもお相撲クラスタの甚之介兄さんが「自分は三度目の正直だ」とおっしゃったのをきいて
私も溜席三度目の正直になるといいなと思っていました。




そうしたら、これまでの二回が吹っ飛ぶくらいすごい場面に出会えました。



画伯と一緒なら、大いに飲んで帰るところですが、そこは愛甲さん。飲まずに帰宅。

祝杯を挙げる気は満々なのですが、料理する気は全くなく、高島屋のデリに頼りました。

録画を見ながら「自分探し」をして、ふと自分がまだ泣いていないことに気づきました。
表彰式を見たら泣くかなあ、と思っていました。

そうしたら今朝この記事を読み、初めて涙が出ました。
愛甲さんのおっしゃるとおり、涙って正直です。


そしてこれまで泣かなかったのは、今回の優勝に想像していたほど劇的な要素がなかったからだと思いました。
鶴竜、琴奨菊、豪栄道 のときには「その場所の寵児」という勝ち方で、数少ないチャンスをものにした気がしました。
逆に言うと、なぜ稀勢の里には風が吹いてくれないのだろうと思っていた私は愚かでした。

稀勢の里には風など必要なかったのですから。

今回の稀勢の里の勝利は、普通にたんたんと実力どおり。ただ下位に取りこぼさなかったというだけの話。
あえて言えば、絶好調ではありません。のたのたと勝ってる取組がたくさんあります。

愛甲さんがよりによって十四日目の溜席を当てたのは「神ってる」ことでした。
でも稀勢の里関の優勝は、くじが当たったわけではありません。
たんに地力が発揮されただけ。
地味な努力の積み重ねが実っただけの話です。

そして不器用で弱いけど気高いその姿を、私を初め贔屓筋は愛してきたのだと思いました。
だから国技館でもその帰り道でも、いや祝杯あげていたときでも涙は出なかったんだなあ。
でも、その不器用さを、弱さを、気高さを、それでも努力を決してやめないところを愛してきたでしょう、と指摘されると涙腺が崩壊しました。

稀勢の里をこれだけ応援し続けるのも私の資質の表れだとすると

私がhypeに走るいかがわしいおっさんたちを私が嫌うのは自然なことなのかもしれません。
ここでつながっていたとは。

それが発見でした。
自分についての発見でした。

あらためて、大関に感謝と祝意を。