愛甲さんから電話を受け取ったのは、小田原駅でした。
怒涛のゲラ回しの一週間の終わり、温泉に入って自然の中を散歩して
次のゲラが出てきたので急いで横浜に戻る途中でした。
不思議な出来事が起きたんですけど、愛甲さんにとっては不思議じゃないらしい。でもまあ、愛甲さんが納得しているのならそれでいいです。
帰ってきてゲラやって、夜トレッドミルの上で「世界一受けたい授業」?とかいうバラエティ番組を見ていたら「代理ミュンヒハウゼン症候群」についてやってました。そうだ、編プロ時代にこのテーマの本作ったよな~。
あのときは単に「不思議な病気の人がいるもんだな」と思っただけでしたが、愛着という視点から見るとまた違う方面から考察が湧きます。
代理ミュンヒハウゼンの人は、「自分が同情を引きたい」ばかりに、子どもを病気にしたり、子どもの病気が治りそうだとそれを妨害したりする。それが児童虐待だ! と憤っていた(逆に言うとそれだけ)なのが代理ミュンヒハウゼンの本を作ったときの自分。
今は「同情・・・されたい・・・?」とそっちに疑問が湧きます。
自分が同じ境遇に置かれたら、むしろ同情されるのはいやだったろうからなあ。
そして思うのは、猿烏賊にせよなんにせよ「治すなんて差別!」の人たちの中には、治らないことを信じて、治らない障害のある子の親である自分、に同情されたい人もいるのかもしれませんね。
そりゃ私のこと嫌いだし理解できないでしょうね。
「自分がされていやなことは他人にしてはいけない」というでしょ。
私にとって「同情されること」は「いやなこと」だから、相手を尊重しているからこそ同情なんかしないしうっかり感じてしまっても心の中にしまっておくのです。
でも世の中には「同情されたい人」もいるらしい。
久々に代理ミュンヒハウゼン症候群のことを思い出し、今はそっちに興味が移ったことに気づきました。
これが愛着の問題なのか性格の問題なのかは知りません。
ただ私にとっては異質だっていうことです。
私は病気の子どもを抱えた人がいたら、治す方法を持ってる専門家を見つけてきてその方法を伝えたいと思います。
だからそれをやっているのです。