治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

満面の笑み

2016-05-20 11:11:40 | 日記



両国駅で会った母はよそいきでした。
イッセイミヤケのパンツスーツにパールのネックレスとイヤリング。手にはダイヤの指輪。
そうか、前回の東京オリンピックによそいきで出かけた世代にとっては国技館もよそいきなんだ、と普段着の私は思いました。キティTシャツよりはこましな服装できてよかったよ。

力士幟の並ぶ道を通って国技館へ。中へ入り案内しながら一周します。稀勢の里弁当を買って席へ。見やすいのにあまり歩かなくていいという奇跡のような席でした。国技館に高齢者を伴う方にご忠告。結構館内で歩くし、高低差もあるので、ご高齢の方はわりとひいひい言って上り下りしていることがあります。とくに二階の椅子席は大変。母はまだ足腰しっかりしていますが今痛いところもあるようなので、あまり歩かなくていい席でよかったです。



それからはお相撲見て、おしゃべりして、お弁当食べたあとは名物の焼き鳥。もうおなかは一杯かもしれないけど国技館に来たらこれ食べなきゃだめだからと思って買ってきて二人で完食しました。私はお酒を一本だけ飲みました。幕下から結びの一番まででたった一本ですから、まあ画伯と来た時と比べると飲まないも同然です。五十過ぎても母親っていうのは抑止力になりますね。



途中入り待ちにも行き、高安関の入りなどが見られました。お相撲さんは近くで見るととても美しい生き物だということが、母にもわかったと思います。あとびっくりしたのは、基本的に社会人で幕内以降しか平日は自分に見ることを許可していない私に対し、母は下の人たちにも詳しかったこと。考えてみればあの年代の人はずっと相撲を見てきたわけで、国技館にも初めて来た気がしないと言っていました。そして客席を面白がっていました。贔屓の力士が出てくると掛け声もかけていました。



稀勢の里も無事に勝ち、結びが終わり、弓取りも堪能してゆっくりと両国駅へ。
ちゃんこ屋が混んでいたので夫と考えた末、タイ料理を食べにいくことにしたのです。
うちの父は、高齢男性の例にもれず、味覚が保守的でした。エキゾチックなものは受け付けない。それに対し味覚の幅が広い母がロンドンに一緒に行ったときでタイ料理を結構おいしがっていたのを思い出し、誘ってみたのです。

メニューを選ぶのはだいたい真性食いしん坊である私の方が上手なのですが、さすがにタイ料理だと夫もツボを心得ており、いいチョイスで母も堪能してくれました。一応私のバースデイディナーだったのでスパークリングワインも開けました。

食事をしながら、私は夫の数々の辛辣な発言を母に暴露してやりました。
四十九日から帰ったあと、夫はこう言ったのです。「あんなに立派な戒名もらって、荷が重いんじゃないの」
私は大笑いして言いました。「いいのよ。パパは実力以上の人生を送ったから、その締めくくりにはふさわしい」
そして二人で笑った話を母にしたら、母も笑っていました。
父も天国でくしゃみをしていたことでしょう。

それから母が私の生まれたときの話をしました。当時住んでいた東京から横浜に里帰り出産していた母。生後一か月まで私は祖父母の家にいたそうです。最初から私は、満面の笑みを浮かべる赤ちゃんだったそうです。しかも日に三回。祖父はその笑顔にメロメロになり、私が東京の家に帰ってからも会社の帰りに訪ねてきて「今日はもう笑っちゃったか?」と笑顔を見に来たそうです。

それを聞いた夫。
「一日三回の満面の笑みーーそれは食事時ですね」

これまで赤ちゃんだった私の「日に三回の満面の笑み」は我が家にレジェンドとして語り継がれてきたのですが、あっさりと解明してくれたわが夫でした。「僕はカンタンに満面の笑みを引き出せます」と言っていました。週末の昼時「焼肉食べに行こうか?」と言うと私は満面の笑みを見せるそうです。

まあ人間あまり変わらないっていうことですね。

そんなこんなで親孝行できた誕生日でした。そして、稀勢関がそこに寄与してくださったのは間違いありません。

今日はどうなるでしょうか。ドキドキです。

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