治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

「二次障害」に関するギョーカイの大いなる誤学習

2015-11-09 10:29:25 | 日記




さて、では「二次障害」に関してどうギョーカイは誤学習をし、それを現場に広め、その結果特別支援教育が消化試合になっているか、このへんみんなあまりわかってないみたいなんで一応くどくど説明しておきますね。

「廊下は走らない」

という注意の仕方を自閉っ子にしてはいけないと言われます。

なんででしょう。

否定語は、傷つくから。

とギョーカイは言う。だから「廊下は歩きましょう」と言いましょう、と。

ところがニキさんのような内部事情を知る者から言うと

「廊下は走らない」ではいけなくて「廊下は歩きましょう」と言ってほしいのは「否定されると傷つく」という理由ではなく、単に

「廊下は走らない」だと範囲が広すぎるんだそうです。

「廊下は走らない」と言われても、そこは想像力にバグのある自閉っ子。

「走らない」っていうことはこの廊下は通ってはいけない道なのか(でもそうなると音楽室にいけない)

とか

「走らない、っていういことは、でんぐり返しで進まなきゃいけないのか?」

とか

「もしかしてうさぎとび?」

とか

「ころころ転がる?」

とか

とにかく様々な可能性がわきすぎて、どうしていいかわからないんだそうです。
だから「廊下は走らない」より「廊下は歩きましょう」の方が自閉っ子フレンドリー。
理由は「傷つくから」じゃないんです。「範囲をはっきりしてほしい」なんです。

つまり

「否定しないで」

じゃないんです。

「きちんと教えて」

なんです。

そういう話さんざんしてるし書いてるのに

ルサンチマン系の当事者の「社会の理解ガー」にギョーカイ人がアプリオリに持ってるルサンチマンが重なって

「とにかく傷つけてはいけない」になってる。

でもこの風潮に「なんかおかしい」と感じてわが子に教えるべきことは教えている人もいる。

もう十年経ったんだから皆さんよく観察してみるといいですよ。

うちのわりと近所に(地下鉄で数駅)、全国的に有名だけど家庭内暴力一つ治せないという画期的なクリニックがありましてですね

そこでは心理士から何から厭世的な世界観を持ち、そして傷つけないように、という教育をしているらしい。そういうところが「家庭内暴力一つ治せない」という偉業を達成しているかたわら

叱るべきところはきちんと叱って育ててきたお母さんは、子どもに殴られたりしていませんよ。

そのへん、もっと皆さん観察すべきですね。

ないよりましな支援vsない方がましな支援

2015-11-09 10:01:09 | 日記



ないよりましな支援の筆頭と言えば、やはり「卒後の居場所」でしょう。
できるだけ数が確保されていた方がいいよね。

だから国がお金をつけろ、と要求があるわけですが
お金つけたくても人がいないケースも増えるのね、これから。
人口減によって。
支援者だって労働者だから、利用者に殴られるような場所には行きたくない。
他害の被害を労働者が受けそうな施設は雇用において競争力がありません。いくら国が音頭を取ってお金下すと連呼したって働く人が集まりません。
だから支援者を殴らないような子に育てるのはとても大事。福祉の増進のためにこそ大事なんでしょうね。

そしてない方がましな支援。
今のところその筆頭は「消化試合方面の特別支援教育」かな。

猫本作っている途中に気づいたこと。
以前は凸凹の子の凸凹具合を現場が理解せずスパルタ式にやってしまうのが問題だった。
そして社会の理解ガー運動があり、その結果
今は腫物に触るような支援が行き渡り
その結果何が起きているかっていうと

大学やなんかが「もう発達障害当事者ごめんだわ」という雰囲気ができている。

いや、学習障害の方面については配慮があってしかるべきだと思うのよ。
でも他害(ストーキング等含む)方面のような「他の学生に迷惑がかかる」ことや
「そもそも生活習慣ができていない」学生を受け入れた結果大学は苦労して
そして措置を取ろうとするとやってきて浮世離れしたこと言うギョーカイ人にもうんざりして

「めんどくさいから入れるのやめようか」ってなっている現状を見ると

18歳までに治るところは治してしまってただの変人として進学した方がよさそうな気がしますよ。

勉強だけはできる子を送りこんできても、そもそも朝起きられない。
結局そういう子は中退してしまう。

全入みたいなレベルの大学ならまだしも、一応選考してやめられると大学にとっては収入減ですからね、もう入れませんよ。

知的障害がないけど小学校低学年並みの漢字しか書けない。

それをいくら支援者が売り込んでこようと、「明らかに努力することを知らない」証明ですからね。やはり大学は入れませんよ。

それが18歳に至るまでの「消化試合の連続」だとしたら

そういう支援は「ない方がまし」なんじゃないかな。

偏りのある学生なんて昔もいたよね。
でもそれなりに変人として入ってきて、変人同士友だちもできてたけど
特別支援教育の登場のおかげでそういうタイプの子たちの未来はかえって限定されるようになった気がしますよ。
教えられるべきこと教えられてないんだもの。
二次障害回避原理主義のせいで。

「二次障害はどうやったら回避できるか」
をギョーカイが誤学習してるし、そのインチキを現場に広めているから
これからも適応できない子は増えるでしょう。

十年前は
「支援があれば支援があれば」という掛け声があった時代。

そして今は、一応津々浦々に特別支援教育とか行き渡ったけど、そこで消化試合が展開され多くの人が不満を抱えている時代。

なんとかセンターいっぱいできたけど、そこで言われることだけじゃ二次障害すら治せないのが現状の時代。

だから

支援者なくとも、自閉っ子は育つ

なんですよ。

この猫の絵を見てこう言った方がいた。

「支援者に洗脳され、三歳までわが子なのに緊張して育てていた。でもそこで切り替えられてよかった」

ねえ。

理論ばっかりで子どもを慈しむ親の気持ちを否定するような支援者は

猫烏賊ですな。

「二次障害回避原理主義」のギョーカイ誤学習については

やっぱりニキさんにさかのぼって学ぶべきだよ、みんな。
あの人は支援なしに二次障害回避してきた人だから。
大いなる脳みそ作業で。
その近道のために、ニキさんの本があるんですよ。