治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

不惜身命

2014-02-07 11:18:31 | 日記
さて、画伯がブログで、都知事選について展開なさっていますが
その中で「不惜身命」という言葉が出てきています。
政治家に求めるのは不惜身命だと。

私もこれが大事だと、同意します。
そしてレアなものだという認識もしています。
ギョーカイも、例外ではありません。
私と画伯のコメントを順に載せます。

=====

浅見コメント

ていうか、政党だけではなく、各種団体がみんな国ではなく身内の論理を優先させるのが日本の病理だと思う。農協もそう。そしてギョーカイもそうですよ。
日本社会全体を考えたら、障害は治った方がいいに決まってる。でも出来るだけ多くの人がなるべく重い障害になるべく長くとどまってくれた方が福祉の世界は儲かるからね。だからなるべく障害者を増やしたいのよね。

画伯レス

>政党だけではなく、各種団体がみんな国ではなく身内の論理を優先させ>るのが日本の病理だと思う。

まさにそこですね。

そこが外国人参政権などということで、売国行為を簡単にしてしまう点なのですな。
ギョーカイしかり、障害者の将来じゃなくって、自分たちの利益を最優先するのも一緒。

そう考えると、すべてに当てはまるわけですな。

だからこそ政治家には不惜身命が必要なのですね。

=====



不惜身命がレアだからこそ、それをやっている人に会ったときはうれしいですね。
ペガサスの木村氏は「自分の仕事がなくなればいい」と書いていた。それは本気だと思います。私も同じですから。


神田橋先生は「伸ばそう! コミュニケーション力」を絶賛され、ご挨拶にいった森嶋さんにおっしゃったそうです。「森嶋さんがやっているようなことが、世の中から必要なくなるといいね」。
つまり、各家庭で取り組めるようになればいいね、ということです。
森嶋さんはこれに感激されていました。
当たり前です。
最高のほめ言葉ですからね。

ギョーカイは嫌いだけど、自閉っ子周りの仕事をしている人で、こういう人がいるのなら、もうちょっと続けてもいいなと思うのですよ。

そして私の目的は別に、福祉業界をつぶすことではありません。
福祉は大事です。
必要とする人がたくさんいます。
障害をもって生まれてくることは、その人のせいではない以上、そこから出てくる不便解消を税金でまかなうというやり方も100%正しい。
でもね、その結果今ある制度に乗っかっていると、人によっては資質が開花できないよ、ということを繰り返し言っているわけです。

そこでおからさんのコメント。


=====

ギョーカイ就労支援の現状 (おから)
2014-02-06 13:12:00
 忙しいので(笑)、ノースカロライナの無駄遣いへのコメントは断念しつつ、つい先日この耳で聞いたがっかりな現実をお知らせします。
 小中高と普通級で不適応を起こさず過ごし短大を今春卒業予定の男性。そのお母さまとお会いし、お互いの就職活動の近況報告。と思ったら驚いた事に活動しておらず、その理由は変なギョーカイ支援による思い込みでした。
 曰く、秋・卒業後の相談にいったら医師の診断書(意見書)を持って職安へ行くよう指示された。意見書には一日3.4時間の軽作業が望ましいと書かれていた。本人はパートの職なんかに就きたくないので、フルタイム働く許可がおりたら就活する、と決めてしまった。
 めまいがしました、震度5クラスの。お母さまもなかなかお幸せな方なので、「大至急求職すべき」という私の意見に働くのは本人なのでと正論。この国はどうなってしまうのでしょう。母子家庭なので将来は国が?親子の面倒見なきゃなのでしょうか。
 私は直接本人には会っていませんが、不登校にもならず学校生活をこなし、成人式も昔の友人から連絡が来て一緒に列席出来ている事からも、3.4時間の軽作業しか出来ない方だとは思えません。こんな風にギョーカイは病んでいない人を病ませて行くのかと、ただただ自分たちの食い扶持を稼いでいく手はずなのかと、悪寒が走ります。国はもっと、お金の出し方を考えて、間違った障害者就労支援への歳出を即刻やめて欲しいと、願っています。

=====

私は函館の講演の自分録音を聞いていて、一個言い忘れたなと思うことがあるので、ここに書きます。
できるだけ多くの人が、できるだけ重い障害に、できるだけ長い間とどまってくれたら自分たちが潤う。支援者の人たちは、そういう制度の中で生計を立てています。
そのこと自体を非難するのではありません。
ただ知的障害にしろ情緒障害にしろ、軽度な人の場合
それを踏まえて
支援ギョーカイの都合ではなく、自分たちがどういう人生を生きるのが幸せか考えて道を選ぶのがリテラシーだと考えています。

私がキーワードにしているのは、画伯が持ち出してくださった「不惜身命」です。
「早期診断・早期介入」と「生涯にわたる支援」の両方をほしがる支援者は、自分たちの力不足を露呈しています。
力があるのなら、どっちか一つですむはずなのです。

誰かの固定資産でありつづけるために、障害者のままでいるのはやめましょう。
私は不惜身命の支援者を探してきます。
皆さんも一人一人、不惜身命の精神について、考えてみてください。
そうしたら「障害を治すなんて差別!」とは言えないはずです。
一日に100億燃料費を払っているこの国で。