昨日つらつら仕事しながら考えていたんですけどね。
世の中に、先天的な障害は数あると思うんだけど
これほど繰り返し「親のしつけのせい」と言われるのは
発達障害だけなのかな。
だとしたらそれはなぜなのか。
これが不思議になって、ちょっと考えていました。
そして思い出しました。
今まさに作っているこの本に、そういえば
偏見との折り合いのつけかたの一例が載っていたこと。
第一部
「積極奇異」のお子さんを持つお母さんの言葉です。
このお母さんに取材させていただこうと思ったきっかけ。
それは以前お聞きした次の言葉が印象に残ったからなんです。
「このままでは犯罪者になってしまうと思った時期もあった」
これはね~
親の立場としてなかなか言えないと思いました。
肝が据わっているなあ、と思いました。
それと、今これを言えるのは
もうそういう状態を脱したからですよね。
渦中にいたらなかなか言えるものではないです。
「世の中みんな敵」と思っていた小学生のお子さんは
今は「人が大好き」な高校生になりました。
どうやってそうなったのか
伺ってみようと思ったのですね。
もちろん問題行動でいっぱいのときには
よその人に怒られたり、責められたり
親のしつけにされたり、そういうつらい目にもあっていたようです。
でも今は
そういう気持ちが薄れているようです。
どうして?
こんなことをおっしゃっていました。
「誤解されることも、親が文句を言われることもあるけれど
我が子の成長に比べれば、どうでもいいこと」
もちろん誤解を解いていく、大状況に働きかけていくということも必要ですが
おそらく今回の件も
そういう動きがギョーカイの中でこれからどっと起きるのだと思いますが
我が子が成長している輝かしさの前には
世間の誤解など気にならないという境地にまで至る。
これもまた
一つの偏見との闘いの姿でしょう。
親のせいではないけれど
親の働きかけで「世の中みんな敵」が「人を大好き」にまで変わる。
それも発達障害の、ひとつのかたちです。
もっともここにいたるには
大きな「方針転換」があったのですけれど。
そういう保護者の存在も
花風社としては伝えたいと思います。
世の中に、先天的な障害は数あると思うんだけど
これほど繰り返し「親のしつけのせい」と言われるのは
発達障害だけなのかな。
だとしたらそれはなぜなのか。
これが不思議になって、ちょっと考えていました。
そして思い出しました。
今まさに作っているこの本に、そういえば
偏見との折り合いのつけかたの一例が載っていたこと。
第一部
「積極奇異」のお子さんを持つお母さんの言葉です。
このお母さんに取材させていただこうと思ったきっかけ。
それは以前お聞きした次の言葉が印象に残ったからなんです。
「このままでは犯罪者になってしまうと思った時期もあった」
これはね~
親の立場としてなかなか言えないと思いました。
肝が据わっているなあ、と思いました。
それと、今これを言えるのは
もうそういう状態を脱したからですよね。
渦中にいたらなかなか言えるものではないです。
「世の中みんな敵」と思っていた小学生のお子さんは
今は「人が大好き」な高校生になりました。
どうやってそうなったのか
伺ってみようと思ったのですね。
もちろん問題行動でいっぱいのときには
よその人に怒られたり、責められたり
親のしつけにされたり、そういうつらい目にもあっていたようです。
でも今は
そういう気持ちが薄れているようです。
どうして?
こんなことをおっしゃっていました。
「誤解されることも、親が文句を言われることもあるけれど
我が子の成長に比べれば、どうでもいいこと」
もちろん誤解を解いていく、大状況に働きかけていくということも必要ですが
おそらく今回の件も
そういう動きがギョーカイの中でこれからどっと起きるのだと思いますが
我が子が成長している輝かしさの前には
世間の誤解など気にならないという境地にまで至る。
これもまた
一つの偏見との闘いの姿でしょう。
親のせいではないけれど
親の働きかけで「世の中みんな敵」が「人を大好き」にまで変わる。
それも発達障害の、ひとつのかたちです。
もっともここにいたるには
大きな「方針転換」があったのですけれど。
そういう保護者の存在も
花風社としては伝えたいと思います。