原発はクリーンで安価なエネルギーを提供します。
地震や津波のリスクもありますし
いったん事故が起こったら大変ですが。
てんかんは薬でコントロール可能な症状です。
薬ののみわすれのリスクもありますし
いったん事故が起こったら大変ですが。
どちらも私たちは知る権利がある。
知った上で議論する権利がある。
議論の権利を社会から奪うことは支援活動ではない。圧力団体活動だ。
薬ののみわすれのリスク等を考慮しても
それでも人権に配慮して、てんかんの人にも車の運転を許すべきだという意見だってないとは限らないよ。
地震や津波が、いつか来るかもしれないという中で私たちは生きている。
そのリスクと同じように「てんかんの人の運転」を考える人だっているかもしれないよ。
自分は交通法規を守っていても、不慮の事故にあうかもしれない可能性を
引き受ける人だっているかもしれないよ。
それで人が死んでも仕方ない、天災のようなものだ、と割り切る人だっているかもしれないよ。
重要なのは、隠さない事。
真実を詳らかにすることである。
裏づけのない安全神話を広めることは誰のためにもならない。
てんかん患者により、大惨事が起きた。これを報道することは偏見の拡散ではない。
「事実」の拡散だ。
そこを取り違えてはいけない。
「事実」は知る権利、知らせる権利がある。
そこに被害者がいるのだ。
悲憤の中で、長い夜を過ごした人々が7人×αいらっしゃるのだ。
それを思いやれなくて、何が福祉だ。
ふざけるな。
と思っていたら
このリンクを教えていただいた。
そもそも業界団体が患者と運転免許の関係について
何を要望しているかわかりにくい要望をしているのが混乱のもとではないかと。
読んで笑いました。
わっはっは。
そして思いを馳せました。
てんかんの世界にも猿烏賊はいるんだな。
卑屈分子に配慮してこういう誰の役にも立たない表現になってしまっているんだな、と。
薬のコントロールによっては運転が可能な人、そうじゃない人
薬の管理がきちんとできる人、できない人
おそらくバラエティに富んでいるのだろう。
そこで
「あなたみたいにできない人がいる!」
とか
「あれは偽者だ」
とか、そこまで行かなくても
「みんながみんなあの人みたいに思われると困る!」
というクレームをゼロにしようと「配慮」しちゃうと
要望されたほうがわけのわからない要望書が出来上がる。
1 てんかんっていっても、症状は様々です。薬もあります。
2 薬があれば、運転できる人もいます。
3 薬は管理できる人と、管理できない人がいます。管理できない人には教育の必要があります。その教育を手伝ってもらえないでしょうか。
4 コントロール可能な症状の人で、薬の管理ができる人は運転してもぜんぜんおっけーなので、一概に免許をとりあげないでもらえないでしょうか。
5 ていうか、薬によって運転できる症状の人で、薬の管理ができる人には運転を許可してください。
6 (実は、薬の管理ができない人、薬では運転可能なほど症状がコントロールできない人もいたりします、一部)←小声
と言いたいところを、先方のギョーカイ的に言えない事情があるんだろうと
まあこの要望書を見て思ったわけです。
だからね。
無理なんですよ、すべての卑屈分子に対応するのは。
それだと社会を裏切ることになる。
安全神話を作ることになる。
卑屈な考えの人を、一人一人慰め
文句の出ないようにする。
それが支援だと思っている人いるみたいだけど
私からは全然そう見えません。
むしろ身内の友だち原理主義を優先し、安全神話に加担しているように見える。
卑屈な人は
等身大の自分を引き受けて
それなりに自分のいいところにも気づく努力をして
自分で問題を解決してもらうしかない。
人の足を引っ張らずに。
まあともかく、このわけのわからない要望書
デジャヴですわ、激しく。
地震や津波のリスクもありますし
いったん事故が起こったら大変ですが。
てんかんは薬でコントロール可能な症状です。
薬ののみわすれのリスクもありますし
いったん事故が起こったら大変ですが。
どちらも私たちは知る権利がある。
知った上で議論する権利がある。
議論の権利を社会から奪うことは支援活動ではない。圧力団体活動だ。
薬ののみわすれのリスク等を考慮しても
それでも人権に配慮して、てんかんの人にも車の運転を許すべきだという意見だってないとは限らないよ。
地震や津波が、いつか来るかもしれないという中で私たちは生きている。
そのリスクと同じように「てんかんの人の運転」を考える人だっているかもしれないよ。
自分は交通法規を守っていても、不慮の事故にあうかもしれない可能性を
引き受ける人だっているかもしれないよ。
それで人が死んでも仕方ない、天災のようなものだ、と割り切る人だっているかもしれないよ。
重要なのは、隠さない事。
真実を詳らかにすることである。
裏づけのない安全神話を広めることは誰のためにもならない。
てんかん患者により、大惨事が起きた。これを報道することは偏見の拡散ではない。
「事実」の拡散だ。
そこを取り違えてはいけない。
「事実」は知る権利、知らせる権利がある。
そこに被害者がいるのだ。
悲憤の中で、長い夜を過ごした人々が7人×αいらっしゃるのだ。
それを思いやれなくて、何が福祉だ。
ふざけるな。
と思っていたら
このリンクを教えていただいた。
そもそも業界団体が患者と運転免許の関係について
何を要望しているかわかりにくい要望をしているのが混乱のもとではないかと。
読んで笑いました。
わっはっは。
そして思いを馳せました。
てんかんの世界にも猿烏賊はいるんだな。
卑屈分子に配慮してこういう誰の役にも立たない表現になってしまっているんだな、と。
薬のコントロールによっては運転が可能な人、そうじゃない人
薬の管理がきちんとできる人、できない人
おそらくバラエティに富んでいるのだろう。
そこで
「あなたみたいにできない人がいる!」
とか
「あれは偽者だ」
とか、そこまで行かなくても
「みんながみんなあの人みたいに思われると困る!」
というクレームをゼロにしようと「配慮」しちゃうと
要望されたほうがわけのわからない要望書が出来上がる。
1 てんかんっていっても、症状は様々です。薬もあります。
2 薬があれば、運転できる人もいます。
3 薬は管理できる人と、管理できない人がいます。管理できない人には教育の必要があります。その教育を手伝ってもらえないでしょうか。
4 コントロール可能な症状の人で、薬の管理ができる人は運転してもぜんぜんおっけーなので、一概に免許をとりあげないでもらえないでしょうか。
5 ていうか、薬によって運転できる症状の人で、薬の管理ができる人には運転を許可してください。
6 (実は、薬の管理ができない人、薬では運転可能なほど症状がコントロールできない人もいたりします、一部)←小声
と言いたいところを、先方のギョーカイ的に言えない事情があるんだろうと
まあこの要望書を見て思ったわけです。
だからね。
無理なんですよ、すべての卑屈分子に対応するのは。
それだと社会を裏切ることになる。
安全神話を作ることになる。
卑屈な考えの人を、一人一人慰め
文句の出ないようにする。
それが支援だと思っている人いるみたいだけど
私からは全然そう見えません。
むしろ身内の友だち原理主義を優先し、安全神話に加担しているように見える。
卑屈な人は
等身大の自分を引き受けて
それなりに自分のいいところにも気づく努力をして
自分で問題を解決してもらうしかない。
人の足を引っ張らずに。
まあともかく、このわけのわからない要望書
デジャヴですわ、激しく。