このブログの閲覧元をたどっていったら、お祭り見物していらした方を見つけました。
自閉っ子ママでかつお医者様のようです。
冷静な観察ですね。まあこういう方結構多いと思いますね。
このブログ主の方の、感覚統合に関するご意見には私も賛同します。
別に花風社だって感覚統合を「他を排除しても取り組むべき療法」だと主張しているわけではありません。
ただ身体を動かすことはいいことだなということ。それだけです。始まりは。
今はもっと勉強したい分野の一つですが。
私が高砂医師(仮名)について不満を持っていることについてのご提案もあります。
精神医療の限界のことは、これは私もよく言われました。「医者なんて何もできないのよ」って。
ほかならぬ親御さんたちからよく聞きました。医療ってこれほど当てにされてないって知らなかった。
まあ、そうなんですかあ、とか言うしかないですね。正直どれくらい精神医療というものが効果の薄いものかは実感としてわからないですね。
ただね、実は私が怒っているのはそこだけじゃないんです。ここはっきり言っておいたほうがいいですね。
私達の被害を見るに見かねて支援に入ろうとした他の支援者(医者じゃない支援者)を止めるっていう行為が私はいまだに解せないんです。医師として以前に、一人の社会人として。
自分が援助できないのなら、できなくても仕方がないかも。お忙しいでしょうしね。
でも見るに見かねて支援に入ろうとしてくれる人まで止めなくていいじゃないですか。
その理由が知りたかったですね。
自己肯定感を大切にするから健常者の人権は黙殺? それが医療行為? それが支援?
じゃあ医療行為って、支援行為って、反社会的行為にもなりうるんですか?
ご当人の医師に「どうして支援してくれる人まで拒んだのか」理由を訊いても「治療上の秘密」の一点張りなんですがね。
じゃあ要するに、不法行為を放置するんですか? 医者って。治療のためなら。
このブログを見ていらっしゃるほかのお医者様達にもききたいです。
その立場に自分がなったらどうするか。
自分の患者の不法行為を放っておきますか? 健常者は我慢すべきですか?
誰かがその人を止めようとしたら「余計なことするな」と言いますか? それって共犯と同じに思えるんですけど。
もちろん神田橋先生にもお訊きしました。これが医者のすることですかって。
そうしたら「僕は高砂君(仮名)っていう人は知らないけど、医者なら治せんといかんわなあ」と。「治療なき診断はただの粗探しにすぎん」と。「なんのために診断するのかって、それは治療のためだろう」って。
一般人が医療に期待しているのはこっちの方が近いんですけど。
「治せんといかん」と思ってくださるお医者様が増えたら、うちの著者や私たち家族のような被害者は減ります。
そうしたら自閉症者に対する偏見は自然に減りますよね。
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おまけ:
私は別にTEACCHを否定しているわけじゃないですよ。服巻先生の本だって二冊も出してるし。
服巻先生とのお仕事は本当に勉強になりましたよ。
第一TEACCHを否定するほど勉強していない。TがtreatmentのTだっていうこともごく最近知ったくらい。
そうかあ、Treatmentなんだあ、って自然な驚きでしたよ。なんかイメージ違った。たぶん私の勉強不足でしょう。
でも「本当のTEACCH」という言葉はちょっとやな感じ。コップの中の嵐の臭いがする。
本当じゃないTEACCHが想定されているような気がしちゃうんです。俺が本当だけど、他は嘘もんだぞ、みたいな。
深読みしすぎですかね。
コップの中の嵐のとばっちりを食らって、被害をスルーされたような気がしているんでね。
誤解なんでしょうね、きっと。
だから私は「本当のTEACCH」という言葉は嫌いです。
でもTEACCHについてはニュートラルです。
個々の手法に対してはニュートラルです。大大大博士の本だって、個々の手法を否定する本には決してなりません。
大大大博士その他書籍情報はこちらでもつぶやいてます。