団塊シニアのひとりごと

定年退職して14年目になりました、定年後の生活で
日々感じたことを伝えたいと思ってます。

認知症だった両親の思いは

2021-12-26 06:04:33 | 

私の亡き両親は二人とも認知症だった、父は85歳のとき、母

は94歳ときだった、二人とも認知症のなかの「レビー小体型

認知症」で幻視といって、知らない人が部屋にいる、遠くにい

るはずの子供が帰ってきたと訴えたりする症状と妄想の症状、

誰かにお金を盗られた、家族が偽物、配偶者に恋人ができた等、

確かに二人とも共通した症状がでてたが、まさか両親とも同じ

症状の認知症になるとは思わなかった。

 

正直変わり果てた親の姿に子供としてショックだし動揺したこ

とは確かである、それでも振り返ってみて両親の気持ちを考え

ると複雑な思いだった、父が亡くなったあとに見つけたメモ用

紙にこんなことが書いてあった「何でこんな認知症なんかにな

ったんだろう、苦しい、つらい」

 

明日がどうなるかわからない苦しみ、老いて弱くなっていく情

けない自分と人生の荒波を乗り越えてきた誇り高い自分、そん

な揺れ動く思いのなかで必死に闘っていた両親のことを思い浮

かべると、時々胸が締めつけられる思いになることがある。

 

 

 


きょうだいともめないために

2021-12-25 05:54:46 | きょうだい

昔どんなに仲がよかったきょうだいでも違う人生を歩むうちに物

の見方や考え方も違ってくる、実際一緒に暮らしているときは、

あまり意識しないけど離れているときょうだいでも何もしらなか

ったことに気づくことがあるものだ。

 

きょうだいでも離れていると疎遠になる、それでも親の老いとと

もに介護や相続といった問題が生じてくる、さらに収入や金銭感

覚の差などお金がややこしくして人生後半に待ち受けるきょうだ

いへの宿題のような気がする。

 

かつては同じ家族であったきょうだいも今はそれぞれ別の家族が

いる、人生を共にする運命共同体はきょうだいではなく配偶者や

子供である、寂しいけれどそれが現実かもしれない、だからこそ

間が許す限りコミュニケーションを取るべきだと思っている。

 


他人の目を気にしない他人と比べない

2021-12-24 05:57:22 | 生き方

現代人が最も取りつかれているのが他人の目といわれてる、これ

は言葉どうり他人が実際に見てるわけでなく自分がどう見られて

いるかを気にしすぎているだけである。

 

だから何かの点で人より劣って自分は駄目だと感じたときは人と

比較するのはやめたほうがいい、要は自分に自信がもてないから

悩むわけだけど実際その基準なんてどこにもない。

 

そもそも自分だけに都合の良い人生なんてあるはずがない、そう

考えると他人と比べるのをやめると少しは人生は楽になるような

気がするものだ、だから他人の目は気にしない、そして他人と比

ない、落ち込んだとき私はそうして生きて来たしこれからも変

らないと思っている。


「10年後の約束」への思い

2021-12-23 06:13:24 | 音楽

1967年~1970年はフォークソングブームだった、当時

生だった私はフォークソング愛好会に所属、キングストント

リオやピーターポール&マリーなどのアメリカンフォークのコ

ピーをするバンドを組んで練習そして活動してた、大して上達

はしなかったけれど、この自由なサークルが好きで同じ趣

持つ人との交流は楽しいものだった。

 

当時4人で組んでたバンドを解散したあとは自分で詞を書き曲

つけ、オリジナル曲が20曲ぐらいになったとき、スタジオ

で先輩や後輩に協力してもらい録音してもらった曲が7曲、タ

イトルが「10年後の約束・LP×1/2」2日がかりでギター、

バンジョー、ベース、フラットマンドリンなどの楽器とコーラ

スでの収録、その後オープンデッキに録音したものをカセット

テープに転送、タイトル、歌詞カードは印刷業者に依頼して親

しい人たちに配って感想を聞いたものだった。

 

 

先日本棚を整理してたら、タイトル歌詞カードを見つけ当時を思

い出した、ちなみにタイトルのLP×1/2はLPレコードだと14曲

だがその半分だから1/2、10年後の約束は10年経っても詞を

書いたり曲を作ったりしていたいという気持ちをこめてつけたも

のだった、しかしその後1曲も作ることなくというより作れなく

なってもうすぐ74歳、それでもいまだに音楽が好きな気持ちは

50年以上たっても変わらない。


65歳男性の後悔「殺されたようなもんや」

2021-12-22 05:53:46 | 老後の生き方

コロナ禍のなかマスクの未着用を注意したことで暴行を受け下

半身不随の後遺症を負った65歳男性、取材に応じた記事に注

目し、車椅子生活となり「殺されたようなもんや」と当時の

恐怖をふりかえり「迷惑をかける人を許せなかった、今は注意

しなければよかったと思う」と語っている。

 

事件は1年半前、緊急事態宣言が出た直後神戸市のコインパー

キングでマスクをつけてない25歳の男性に「マスクせえ

や」と注意したことに「おっさんにいわれたくない」と言い返

し肩をつかまれもみ合いになり首をしめられ地面に執拗に打ち

つけられ重症を負った、救急搬送され手術を受け脊髄損傷で

半身不随となった。

 

車椅子での生活を余儀なくされ手の指が自由に動かず,脚も時々

痙攣して痛みに襲われ日々ヘルパーの介護を受けてる、感染拡大

を止めたいという正義感で今までもマスク未使用の人を見かける

と注意してきたが今回は相手が悪かった「注意の仕方がきつか

たかもしれない」と後悔してる男性、定年退職して老後の生活

楽しんでたのに突然の悲劇が襲った、ネットに同情の声が少な

のは面識のない人間に注意するときの尊大な態度と言葉遣い?

それにしても本人はよかれと思ってとった行動が「マスクせえや

の一言で暗転、あまりにも代償は大きかった、コロナさえなけ

れば、そんな思いを抱かせるやりきれない事件である。