教育カウンセラーの独り言

今起こっている日本の教育の諸問題と受験競争の低年齢化している実態を見据えます。

菅原文太さん死去 81歳、肝がん

2014年12月01日 22時34分55秒 | 映画

日刊スポーツ12月1日(月)14時7分配信

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 『2枚目俳優たちと「ハンサムタワーズ」と呼ばれ、親しまれ。広島を舞台に暴力団同士の抗争を描いた「仁義なき戦い」(73年)では、義理固い若い衆を演じた。さらに、75年に公開された「トラック野郎・御意見無用」では、愛川欽也(80)演じるヤモメのジョナサンと人情味あふれるやりとりが人気に。立て続けに大ヒットした2つのシリーズが、菅原さんを国民的な人気俳優に押し上げた。プライベートでは、1男2女に恵まれた。俳優デビューした長男加織(かおる)さんとは、92年にビデオシネマ「ビッグ・ボス」で初共演した。加織さん主演の映像作品「デコトラ外伝男人生夢一路」をプロデュースしたが、01年10月に加織さんを踏切事故で亡くした。その後は「表に出たくない」と、公の場に姿を現すことを嫌うようになった。07年にはぼうこうがんを患うなど、体調を崩していた。12年11月には俳優引退を宣言した。映画「仁義なき戦い」「トラック野郎」などのシリーズで人気を博した俳優の菅原文太さんが11月28日に転移性肝がんによる肝不全のため亡くなっていたことが1日、分かった。宮城県出身。菅原さんは最近は福岡県福岡市内に住み、家族によって密葬が県内の太宰府天満宮祖霊殿で営まれた。妻の文子さんが報道各社にFAXで心境を明かした。全文は以下の通り。「7年前に膀胱がんを発症して以来、以前の人生とは違う学びの時間を持ち『朝に道を開かば、夕に死すとも可なり』の心境で日々を過ごしてきたと察しております。『落花は枝に還らず』と申しますが、小さな種を蒔いて去りました。1つは、先進諸国に比べて格段に生産量の少ない無農薬有機農業を広めること。もう1粒の種は、日本が再び戦争をしないという願いが立ち枯れ、荒野に戻ってしまわないよう、共に声を上げることでした。すでに祖霊の1人となった今も、生者とともにあって、これらを願い続けているだろうと思います。恩義ある方々に、何も別れも告げずに旅立ちましたことを、ここにお詫び申し上げます」。』 『落花は枝に還らず』言われますが、地面に落ちてから種に成ります。種から新しい芽が出ます。『朝に道を開かば、夕に死すとも可なり」1日1日を大切に生き抜かれて来たと思います。無農薬有機農業を広めることに日本人の大切な『食の安全』と日本が再び戦争をしないという願いが立ち枯れ、荒野に戻ってしまわないよう日本の平和の為に晩年は、一本筋を通された東北人らしい純朴さと直向さ最近の日本人に少なくなったいつ骨者らしい義理固い名優、日本のトラック野郎でした。/div>


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