教育カウンセラーの独り言

今起こっている日本の教育の諸問題と受験競争の低年齢化している実態を見据えます。

<東日本大震災>先人は知っていた 「歴史街道」浸水せず

2011年04月19日 17時57分21秒 | 学問
『 東日本大震災に伴う津波で大きな被害を受けた仙台平野で、浸水域の先端が、江戸時代の街道と宿場町の手前に沿って止まっていることが、東北大の平川新教授(江戸時代史)の調査で確認された。仙台平野は400~500年おきに大津波に見舞われており、街道は過去の浸水域を避けて整備された可能性が高いという。平川教授は「先人は災害の歴史に極めて謙虚だった」と話し、今後の復旧計画にも教訓を生かすべきだと提言する。 国土地理院が作製した東日本大震災の浸水図に、平野を縦断する奥州街道と浜街道を重ねたところ、道筋の大部分と宿場町が浸水域の先端部からわずかに外れていたことが分かった。宿場町の整備後に仙台平野を襲った慶長津波(1611年)では、伊達領で1783人が死亡したとの記録が残る。平川教授は「慶長津波を受けて宿場町を今の位置に移したとも推察できるが、今回の浸水域と比べると見事なほどに被害を免れる場所を選んでいる。津波を想定して道を敷いた可能性は高い」と指摘する。 同平野は明治以降も繰り返し津波に見舞われた三陸海岸と比べ、津波被害の頻度が少ないとされる。慶長津波の浸水域は明らかになっていないが、内陸約4キロの山のふもとまで船が漂流したとの記録がある。東北大の別の研究チームによれば、今回の津波は海岸線から最大5キロ程度に達し、平安時代の貞観地震(869年)の浸水域をやや上回った。 平川教授は「残念ながら明治以降の開発において、津波の経験は失われた。復興のまちづくりは災害の歴史を重視して取り組んでほしい」と話している。』毎日新聞4月19日(火)15時0分
昔の人の智恵と経験が生かされた東日本大震災に伴う津波で大きな被害を受けた仙台平野で、浸水域の先端が、江戸時代の街道と宿場町の手前に沿って止まっていたのは昔の人の智恵と経験が生かされた街道と宿場作りと言えます。昔の人は昔からの言い伝え、代々教えを守って来たと言えます。高度科学技術時代でも予測不可能な大地震と大津波ですが昔の人に言わせれば経験済みだったかも分かりません。最近の政治経験の未熟な菅内閣も地方自治体の長も長年の経験を積み重ねたベテランの政治家や専門家を蔑ろにしているように思えてなりません。長年の経験と実績は、大災害の時や国家存亡の時、非常事態が起こった時には宝の宝庫と役立つベテランの醍醐味が発揮されると思います。伊達に皆年を取っておられるのでは有りません。大阪北摂の淀川沿い高槻市の古い農家には、土蔵に淀川が決壊した時の備えとして船が上から吊るして有ったと言うのも先人の昔からの智恵と思います。昔の人がしてはいけないと言われ言い伝えてきた事を皆忘れているように思えてなりません。先人の実践に基づいた経験と教えを東日本大震災を機に見直すべきです。お年寄りは、日本の財産では有りませんか。、
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