秀ノ山 雷五郎(ひでのやま らいごろう、1808年(文化5年) - 1862年6月16日(文久2年5月19日))は、陸奥国本吉郡(現在の宮城県気仙沼市)出身で秀の山部屋所属、松江藩(後に盛岡藩)お抱えの江戸時代に活躍した元大相撲力士、第9代横綱。本名は、橋本辰五郎(はしもと たつごろう)、旧姓は菊田。
来歴
五尺四寸(163.6cm)という歴代横綱の中では一番低い身長。体重は四十二貫(161.5kg)。小柄であったため入門当時は雑用ばかりやらされ稽古もつけてもらえなかったが、この逆境が猛烈な闘志を生んだ。北山辰五郎の四股名で前相撲から取り、雲州藩のお抱えとなり天津風雲右衛門と改名。八代横綱不知火諾右エ門と同時入幕。盛岡南部候の抱えに転じて立神と改め天保12年閏正月大関昇進を飾る。1度関脇に下がって岩見潟丈右衛門と改名。天保15年10月再び大関となって3日目の土俵から秀ノ山を襲名した。弘化4年9月(弘化2年11月とも)、39歳(38歳とも)で横綱推挙。入門から横綱昇進まで19年かかった。優勝相当成績6回。幕内通算27場所112勝21敗33分2預96休、勝率.842。その姿は多くの浮世絵に残されている。肥満体で前や横に脆い弱点を猛稽古で補った。四股名のまま年寄となり、12代横綱陣幕久五郎ら多数の力士を育て権勢を揮ったがその余り自分の弟子を優遇するようになったため他の力士たちの不興を買い、「嘉永の紛擾」と呼ばれる相撲史初のストライキを引き起こしてしまった。
享年56。墓は東京都江東区の普門院と岩手県一関市の願成寺にある。
関連項目
|
| ||||
---|---|---|---|---|
映画『若ノ花物語・土俵の鬼』(1956年)に出演した若乃花(上) | ||||
基礎情報 | ||||
四股名 | 若乃花幹士 | |||
本名 | 花田 勝治 | |||
生年月日 | 1928年3月16日 | |||
没年月日 | 2010年9月1日(満82歳没) | |||
出身 | 青森県弘前市青女子 | |||
身長 | 179cm | |||
体重 | 107kg | |||
所属部屋 | 二所ノ関部屋→芝田山部屋→花籠部屋 | |||
得意技 | 左四つ、上手投げ、呼び戻し | |||
成績 | ||||
現在の番付 | 引退 | |||
最高位 | 第45代横綱 | |||
生涯戦歴 | 593勝253敗70休4分 | |||
幕内戦歴 | 546勝235敗4分55休 | |||
優勝 | 10回(全勝1回) | |||
賞 | 殊勲賞2回、敢闘賞2回、技能賞1回 | |||
データ | ||||
初土俵 | 1946年11月場所 | |||
入幕 | 1950年1月場所 | |||
引退 | 1962年5月場所 | |||
引退後 | 二子山部屋師匠 日本相撲協会第6代理事長 | |||
備考 | ||||
2009年12月27日現在 |
初代 若乃花 幹士(わかのはな かんじ、本名:花田 勝治(はなだ かつじ)、1928年(昭和3年)3月16日 - 2010年(平成22年)9月1日)は、大相撲の力士、第45代横綱。所属は入門当時は二所ノ関部屋、1953年に花籠部屋の独立とともに移籍。青森県弘前市青女子(あおなご)出身。身長179cm、体重107kg。血液型はB型。弘前市名誉市民。土俵の鬼と呼ばれた。戦後最軽量横綱である。[1](歴代史上最軽量は栃木山の103㎏)
引退後二子山部屋を創設し、弟である大関・初代貴ノ花、横綱・2代若乃花(現:間垣)、横綱・隆の里(現:鳴戸)、大関・若嶋津(現:松ヶ根)を育て、日本相撲協会の理事長もつとめた。
第65代横綱・貴乃花、第66代横綱・3代若乃花は甥にあたる。 愛人関係にあった韓国人女性との間の息子が藤島部屋に入門したが、幕下止まりで1997年に廃業している。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます