西方寺の中村清淳さんから、ていねいなメールが届きました。
その返事として。
「ありがとうございます。
先日、ジュンク堂に行き、「浄土真宗」というコーナーがあったのですが、2~300冊もあって、ただ圧倒されるばかりでした。
1冊ですべて分かるものではないことは了解しているのですが、できるだけ全体像を、と考えた末の「聖典」購入でした。
私は、「来世」のためにも大切かもしれませんが、現世の理不尽な有様を変えることに力を尽くして生きることも、前者と同じように大切なものではないかと考えています。
あ、いつも長くなってしまい、すみません。
私の問題意識は漠然としていますから、「見繕う」ことは難しいかもしれません。
思いついた範囲で箇条書きしてみます。もし、「これは」という書籍がありましたら、ぜひご紹介ください。
①「大谷派」という名称自体、他の「派」とは異なる、独自性を持っているということだと思います。それは、どのような点なのでしょうか。「聖典」では、他の派とはいがみ合うものではないとしていますが、「論争」はないのでしょうか。(むしろ、あって当然ですから)
②社会的な意見表明をすること自体、組織として考えてみると、非常な勇気、英断だと思います。ベトナム戦争で、仏教徒が身を焼いて、アメリカの侵略を抗議したことを想起しましたが、これは仏教の教えから当然のものなのでしょうか。大谷派独自の法理からくるものなのでしょうか。
③上の二つは、社会的行動をとる大谷派についてでしたが、現代にあまりにもたくさん枝分かれしている仏教界で、キリスト教の聖書のように、共通した、大本の教典というものはあるのでしょうか。
④私利私欲にまみれた、この世の未来について、私は非常に悲観的です。その暗い未来を、明るいものにしていく、ひとつの光は、「宗教」ではないかと思っています。もちろん、「神がかり」とは違って、ある原理・法理にもとづいて、大勢の人が冷静に、しかも熱く行動できるものだからです。しかも、個々の尊厳を最大限尊重する。人の幸福とはなにか、平和とは何か、そのために何ができるのか、しなくてはならないのか。凡庸な悩みですが。
そもそも仏教について、なにも分からない輩です。
なにかきっかけになるものがありましたら、ぜひお教えください。」