息苦しい世の中で 自由に語り合える空間を

自由でも民主でもない この日本を もっともっとよりよく変えていくことができるように たくさんの知恵を語りましょう。

毒のない笑劇 まあ楽しめました

2018年04月15日 20時11分06秒 | 素人の劇評
 4月1日に行ったものです。
「丹青の三方一両損」深川とっくり座
 深川江戸資料館 小劇場

 落語をモチーフとした笑劇。
 全体が吉本新喜劇と似ているが、こちらの方が毒がなく、「健全」な笑いを提供している劇団かと。
 素直な展開だけに、素直に楽しめた。

 帰りに清澄公園で桜見物。
 
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何を感じたのか分からなかった 観劇で

2018年03月25日 08時43分47秒 | 素人の劇評
「にんげんになったらしい」ドライブイン札比内
阿佐ヶ谷 ひつじ座

「最初の会を観劇しました。
ひさしぶりの事ですが、私の感性、経験、知識では、この演劇をコメントできる場に立てませんでした。
たわいもないショート・ショート程度に見ていいものか、またまた、もっともっと深いテーマが隠されているのか、「どう感じるかはご自由に」の世界なのか、見ている最中も、見終わったあとも、よく分からなかったというのが正直なところです。
すみません。」

 こんなコメントを書いてしまいました。
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冒険してほしい 「想咲の結」

2018年02月25日 00時04分41秒 | 素人の劇評
「そらのむすび」と読ませる。
HIERO MANAGEMENT
中目黒 ウッディシアター

「お調子者でだらしなく家族からみっともないと言われている父亮二。
ひょんな事から娘と1対1で向き合う事に。
語られるのは今まで知らなかった娘の気持ちや家族との思い出。
そこには秘められた事実があった。少しずつ深まっていく家族の絆。
「私は何をしているの?」
「ねえ、お父さん。なぜあなたがここにいるの?」
平凡な家庭の日常で人生と向き合いながら導き出されていく未来とは‥•
「親ってのはそんなもんさ」
ちっぽけで情けない父親が下す決断とは‥•。」
とパンフレットにある。

なにか微妙な評価になりそうです。
親の期待と子ども達の反発。
長女としての「義務感」。そしてそれを理解されないもどかしさ。
「ダサイ」父親の愛。
そんなよくある家族の物語です。
それぞれの登場人物の葛藤・・・それはそれでいいのですが、観ているうちに、
「男はつらいよ」を思い出していました。
家族愛・・・それ自体はなんの反駁もありませんが、それをある意味、「これでもか」
というくらい劇中で繰り返されると、ちょっとうんざりします。
「はいはい、分かりました」「家族って大変だよね」
とでも言いたくなります。「ちょっと押しつけがましくない?」
そんなことをつぶやきたくなるのです。
そして、それは「寅さん」映画にも通じるものです。

ですから、素朴に「よかった」「感動した」「涙が止まらなかった」という感想から、
「ちょっとくどくない?」「愛の押し売りのようだ」といった感想まで、評価は2つに分かれる
のではないでしょうか。

私は作者にもっと冒険してほしかったと思います。
この劇の中の「愛」は、昔から「言い古された」ものです。何度も何度も見てきた構図そのものです。
「それはそうだ。でももっと別の切り口はなんものか」 そう思うと、なんともつまらぬ劇となってしまいます。
それをもっと掘り下げた作品としてほしかったと思います。

もう1つ。
家族の絆が得られる契機について。
それが「血の繋がりがないことの暴露」「癌の遭遇」など、ある意味「特殊」なことに設定することの是非です。
私は、上の2つを抜きにした「家族愛の深まり」を描いてほしかったと思います。
なにか特別なことがなければ、家族愛は育たないのでしょうか。
上の2つがなくても、愛は育つのだという「冒険」してほしかったと思います。

けっこう辛口となってしまいました。
しかし、この劇団の「誠実さ」については好感が持てますし、嫌いではありません。
役者さんの真摯な表現も然り。

それだけに「冒険」「斬新な切り口」がほしいのです。


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間 「いずこをはかと」

2018年02月12日 19時43分09秒 | 素人の劇評
 PocketSheepS「いずこをはかと」
2/10 14:00 下落合 TACCS1179

 階層の差はありながらも、どちらも「閉じ込められ」、閉塞し、鬱積した悶々たる気分をもつ2人が惹き合い、共に生きようと決意する。
 劇中は、テンポ良く展開し、その中での「笑い」と、逼迫した2人の行く末が両輪となって進む。
 すまないと思うが、前半は、上演予定時間が早く過ぎないかと祈るばかりだった。それは、筋書きが・・・ということではなく、俳優さん
の台詞がも、あまりにも早く、それでいて語尾がはっきり聞こえない滑舌の悪さ。そしてそれ以上「退屈」にさせたのが、「間」のない、
単調な台詞のかけあいだ。
 だから、個性的な俳優のみなさんが、みな同じ顔に見えてきてしまう。
 前半は、そんなことを考えながら、何度も腕時計を見てしまった。

 それでも後半は持ち直してきた。ストーリーがめまぐるしく展開されはじめてきたことが要因ではあるが、この主人公の2人がどうなるのか、気になってきた。
 しかし、2時間10分はきつかった。

 2つ注文。
 ①やはり、早口で饒舌のオンパレードは飽きてしまう。「間」が必要な劇団だと思った。
 ②笑いをもっと発掘してほしい。①とも関連するが、大きな声、が笑いをとる1番の手腕では、飽きられるのも早いと思った。

 注文ばかりで申し訳ないが、個々の俳優の演技力は、かなり高いと思う。
 さらに輝くためには、上の①②が必要だろう。

 
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「スピーク イージー」優しさと危うさ

2017年12月24日 16時51分30秒 | 素人の劇評
12月24日 14時の部 荻窪シアター

禁酒条例が出た都内の居酒屋。
酒無しの忘年会で、酔うに酔えない苛立ちと、はたまた冷静な議論とが交錯する。
施行前と後とに場面は繰り返し交代しながら、そこに集まった社員たちの人間模様が、徐々に明らかになっていく。

役者の演技も悪くない。個性的である。
そこそこ、笑いの場面で私もクスクスと、周りにつられてしまう。

戯曲を書いた人は、きっと優しい人なんだと思う。
登場人物は、それぞれがそこそこの痛みを持ち合わせ、そしてそれと同時に優しい心を周りにふりまこうとしている。
だれもが、「未完」ながらも「善良」であろうとしている・・・と、思う。

 だから、見終わったときの気持ちは温かい。
 
 しかし、しかし、やはり何か物足りないのである。
 
 そのひとつに「社会性」を表現する姿勢がある。

 社会運動に参加している社員がいる。
 その動機が私には不満である。
 行動自体がどうもファッションとしてしか描かれていないのだから。

 やさしさが、同心円のように広がっていく。その波形のありようが社会的な行動と言えはしまいか。
 劇団の描くものは、個人の趣味である。
 「今は、そんなものなのよ」と言われたら返す言葉もないが。

 BGMは、全て私の生きてきた「年表」に位置が確認できるほど、懐かしいものだった。
 これは嬉しい。

 可能性。そんな言葉が頭をよぎる。
 また、温かな、そしてできれば、「鋭い」劇を、と期待。
 
  
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「袴垂れはどこだ」 私の年間一位にしたい

2017年12月17日 18時22分58秒 | 素人の劇評
まだ日が残っているから現時点なのだが。
今年に観た演劇では群を抜いて心に残った。
12月17日、14時の部。千秋楽。
劇団俳小。両国、シアターX(カイ)。

この戯曲が、1964年に作られたというのを知り、納得した。
安保闘争が山を越え(うまい言葉が見つからない。決して無くなったわけではない)、世の中は東京オリンピック一色になっていた時期。
しだいに経済成長の「恩恵」が、国民を覆っていく時代だ。闘争になにかしら主体的に関わったものとしては、安保も、戦後処理も、日韓の問題も、なにも解決していないままで歴史が楽天的に進んでいることに我慢ならなかったはずだ。
そんな空気がひしひしと感じられる戯曲だけに、これを半世紀たった私たちが、どう表現し、どう受けとめるか、興味深くして赴いた。
俳小の役者の力量が十分に分かっている。
あとは演出家の技量だろう。
結論は、期待を裏切る? いや、期待通りの演劇であった。
戦術と戦略の、理想と手段の葛藤。
私はこんなことばかり考えながら観ていた。
蜷川演出に影響され、「金に糸目をつけない」舞台装置(これは私の偏見かもしれない)かと思っていたが、予算の関係もあるのか、これは杞憂(笑)
手堅い演出、そんな印象だった。

なによりも私が感銘を受けたのは、戯曲の選択。
劇団の時代の読みの鋭さだ。

あらためて、私たちの日常で、理不尽な現実を前にした闘いで、感性の部分で触発されたことが嬉しく思えた。
1964年と2017年。
問題がいくつも置き去りされたままだ。
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「煙が目にしみる」 パンドラの匣 <質朴>

2017年11月16日 23時02分18秒 | 素人の劇評
 19:00-
 TACCS1179(俳協ホール)

 <桜咲く季節、とある田舎の火葬場にて。
煙草をふかす幽霊がふたり…
野々村浩介と北見栄治。
なぜかおばあちゃんにだけはその姿が見えるのだが…?

言えなくなってしまって初めて気付く、
大事な人への一言。
もしもあの世と通じることができたなら、
どんな言葉をかけられるでしょう。>
というパンフレットの宣伝文句。

「観てきた」に書いた私の感想。

「「質朴」という言葉が似合う演劇を、久しぶりに観た。同時に、残る短い人生を、何かと、または誰かと深く繫がれないものかと喘いでいる私にとっては、ひどく胸に突き刺さるような内容のものでもあった。
 劇の内容自体は、よくある人物像の「良き姿」回顧のものだが、それが演技として、人物同士が絡み合うと、不思議と笑えて、そして泣かせるものとなる。敢えて「質朴」を追求した演出家のなせる業だろう。
 役者さんの滑舌の悪さが、やや気にはなったが、それをもってしても、温かな気持ちで帰宅できる劇をいただいた。」

 観てきて良かったという劇。
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表現を楽しんでいるとはまさにこれ Gasolina

2017年10月14日 18時10分04秒 | 素人の劇評
Gasolina「SORT CUTS 5」新宿シアターミラクル
ABチームのAを観る

短編7作をABそれぞれで公演
はじめから6作までは二人の芝居
最後が一人芝居

圧倒的に言葉が舞台に溢れた劇だ
感心し、感銘を受けたのは、役者がその氾濫する台詞を、しっかりと消化し、演じていることだ
例外なく7つの舞台に、レベルの高い台詞と演技が繰り広げられていた
圧巻は最後の「光の国」の植野祐美さんの一人芝居
声の質も練習の賜物だろう
歯切れの良さ、流れるような言い回し、表情、抑揚の妙など、15分くらいだろうか、引き込まれるように魅せられた
団員は少ない小さな劇団だろうが、また観に行くことになるだろう

日曜日までの公演
お薦めです
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「夜を忘れなさい」 

2017年06月04日 23時40分29秒 | 素人の劇評
コリッチに投稿したものを転載。
「夜を忘れなさい」feblaboプロデュース
6月4日 13:00 新宿シアター・ミラクル(東京都)

「みなさん厳しいコメントが並んでいますが、私なりに楽しみました。役者さんも、それぞれの役柄を演じていたと思えるし、脚本も言葉に拘った部分が随所に感じられていて、ベッドという舞台装置をうまく活用したステージにも、劇団、演出の意気込みを感じ取ることができました。
「理解しづらい」という点では、他の方と共通した感想を持ちますが、「理解できない」というより、圧倒的に「情報不足」だからだと思いました。まず、55分の短さ。終盤になって、大きな展開を見せるのですが、かなり「唐突」の印象がありました。起承転結の「転」の前置きをもっとていねいに扱って欲しかった。
それとの関連で、登場人物の情報をもう少し盛り込まないと、見ている側が材料の少なさから、不安になってしまう。解釈の一人歩きも悪くはないのだが、あまりの情報のすくなさから、見ている個々が自信を失ってしまっていた。
別にせりふを増やすだけでなく、なんとか工夫して、登場した女性について、さらに肉付けしてほしいと思った。
「あっ、もうおしまい?」
けっこう面白かったのになあ。」
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「疚しい理由」 feblaboプロデュース

2017年05月16日 00時38分53秒 | 素人の劇評
3人の役者による会話中心の劇。
楽しく、また「どう落とすのか」ハラハラしながら観ていた。50分の劇があっという間に終わってしまった。結局、真相は「教えないぞ」というままだったので、なんとなく前菜を食べただけのような食感で劇場を後にした。面白かったが、このあとも展開させてほしかったな。いやいやショートショートを読む感覚で、それはそれでいいんじゃないの。と葛藤しながら、西武新宿駅に向かった。軽食。
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「新入社員のイジメ方~夢と希望とカレーライス」

2017年04月08日 21時48分36秒 | 素人の劇評
4/8(土)13:30 劇団カンタービレ
ウッディシアター中目黒

 初めての中目黒。なにかイベントがあるらしく、駅前は大量の若者であふれかえっている。
 へー、結構都会の中目黒。劇場に向かうまでの商店街は、なかなかのおしゃれな店が続いている。
 帽子、輸入雑貨、ブティック、しゃれた居酒屋・・・ただ残念なことに古本屋は見あたらない。

 さて、歯医者の脇にある階段を下りて、思ったより広い受付のスペース、思ったより狭いホールのウッディシアター。
 1番前の左側。私の好きな座席のエリアに落ち着く。

 中堅企業の新人研修。山奥の寺での修行の風景だ。
 予想していた通り、非人間的な殺人的研修と、その癒しとなる、もう一つの世界。
 この2つが絡み合って劇は展開していく。
 俳優さんの演技は、テンポも歯切れもよく、うまく私たちを笑いに誘ってくれる。
 1人1人の役者さんのレベルは高い。
 研修の過酷さよりも、展開と演技とでの「面白さ」が印象的な1時間45分だった。
 私も、その都度、くすくすと笑いながら最後まで飽きずに観ることができた。

 しかし、しかしだ。
 一言で感想をまとめると、「何も残らなかった」のだ。
 「企業研修」と聞いて、その残忍さが登場することは予想できた。さてその後で、どう「落とし前」をつけるのか、興味津々であったが、私の予想は完全に裏切られた。それはそれで「意外性」としてかまわないが、それが残念なことに「失望させる」ものだったのだ。
 一応、社会的なテーマを選んだ以上、それを劇団としてどう考え、どう観てほしいかというものがあるだろう。
 それが感じられなかったのだ。
 「研修」を素材にした、「人情」と「笑い」の劇だったのだ。
 と考えるしかないだろう。

 ネタバレに限りなく近くなったが、後始末を「個人」にしてしまった。
 観た方以外分かりづらい表現になるが、「あの人も企業による被害者」なのではないか。
 そこに収斂してしまったために、研修という「社会的事象」の善し悪しが、個人のレベルのものとなってしまった。
 
 劇の見方はそれぞれでいいが、私には「終わらせ方」が大いに不満だった。
 

 
 

 
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「ルリの恋と昆布の森は千年つづく」 オーガニックシアター

2017年03月26日 22時17分49秒 | 素人の劇評
 武蔵野芸能劇場の小さな劇場で、半分弱の入り。楽日なのに、もっと来てもいいのになあと思いながら観劇。
 3.11を背景にした劇の制作は、きっと難しかったに違いない。
 震災、津波、原発・・・と、あまりにも「現在」に近いからである。そしてしかも音楽劇。さらには「ぺてるの家」を
重ねた設定である。おそらくは、どれか1つでも2つでも削除しておけば、「無難」な劇となるはずである。
 それを敢えて、すべて盛り込んだことに、スタッフの意気込みと熱意とが感じられ、それだけで敬意を表するものだ。

 総勢20数名の出演。ミュージカルとは違う。それぞれが歌の専門家ではないと思うくらい、「うまい・へた」にはばらつきがある。
 これも敢えてそうしたものだろう。音を聞いてほしいのではなく、心を聞いてくれと言わんばかりの構成であった。

 青年と、主人を震災で亡くした女性との恋愛が主軸となって物語は展開していくのであるが、先に挙げた原発やぺてるの家の実践なども、ぶれることなく、恋愛の推移の中に込められていて、2時間以上の劇も、飽きずに見終えてしまった。

 ときおり挿入される「笑いネタ」は、ことごとく失敗(笑)していたが、それはたいした問題ではなかった。

 理不尽な死のとなりにいて、運よく生き残った人たちが、「幸せになっては申し訳ない」といった考えに陥ることはよく聞くが(戦死した戦友に対する感情でもよく聞くことだ)、私にはよく理解できない面がある。むしろ「その分、幸せになろう」「理不尽な死を遂げることのない社会を作っていこう」とするのが、自然なのではないか。生と死とは紙一重だったとしても、そこで得られた「生」は、けっして自分のせいでも、おかげでもないのだから。

 この劇からは、もう少し考えないといけないことがあると思うが、これはまた・・・にしよう。
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「歌わせたい男たち」 取材と構成に脱帽

2017年02月18日 21時34分18秒 | 素人の劇評
2/18(土)14:00
下落合 TACCS1179 この部はBチームによる公演
劇団 俳協

まずは、永井愛氏の脚本に感銘を受ける。
私も、「日の丸・君が代」について、もう14年も前になるが、似たような経験をしていて、
この劇を観る前に、「いくら永井さんといえども、職員室の管理職とその取り巻き、そして少数派の反対派の険悪なやりとりが延々と続く劇ではないか」と、正直期待はしていなかった。
「12人の怒れる~」のような、討論が中心となり、きっと観客は途中で飽きてしまうに違いないとも思っていた。

そしてそれが、嬉しい誤算と知ったとき、脚本のすばらしさ、言い換えれば永井氏の取材力と、それに基づいた劇としての構想の力に圧倒されてしまった。
言葉のやりとりが、ほとんど私の現場で応酬した言葉そのものであった。

教育現場では、もう10年前に都教委から出された一通の通達のことなど、ほとんど話題にもなっていない。
その通達は、それこそ一方的で理不尽なものであるのに、今やそれが記憶を掘り起こされることもなく、舞台に全員が向かい、「国歌」を正々堂々と歌い、「国旗」が堂々と正面に飾られ、紅白幕で囲まれ・・・と、各学校の創意などの余地のない卒業式が「厳粛に」行われている。
「内面の自由」などの論議は皆無。

再び私の心に火を点けてくれた劇に感謝。

この劇は、「ノンポリ」の音楽教師を中心に、周囲の対立に右往左往することで展開されている。
おそらくそこがよかったに違いない。
準劇団員のものとはいえ、それぞれが目一杯の演技力を見せた好演であった。校長役も老けきれないという面もあるが、きっと台本が支えてくれているのだろう、違和感なく受け入れることができた。
Aチームを見ているわけではないが、ともに感動を与えるものとなっていったと推測。

現実から逃げるなといったメッセージをいただき、私は感謝。
劇団の意気込みにも感動した。



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「トランボ」 ディズニーは・・・? と考えながら

2017年01月28日 09時53分49秒 | 素人の劇評
観たいと思っていた「トランボ」が、池袋の新文芸座で封切りされていたので、先週に行ってきた。
マッカーシズムの時代。
国民を巻き込んだ赤狩りの時代。
映画界の脚本家、俳優など、「ハリウッド・テン」と呼ばれる「最注意人物」の中の1人であるトランボの苦難、苦悩、闘志の物語。

まず、このような内容自体が、アメリカにおいて「商業ベース」の乗ることの驚きだ。
国民の懐の深さ、大きさなのだろう。人権に対しては、日本よりもずっとずっとはるか先を行っているなと感じる。
日本でも、レッドバージを背景にした映画は、独立プロなどでは制作はされているが、メジャーではない。
人権感覚、民主主義の思想、その体現という意味では、日本は後進国だから。

「ローマの休日」にまつわる話は聞いてはいたが、映像になって改めて見ると、それがいかに困難を伴ってのことかよく分かる。
トランボの生き様は、並みのものではなく、私からすれば、スーバーヒーローとしての存在である。
不屈、といってしまえば一言で済んでしまうが、時代の重苦しさや周囲の圧力を思うと、筋を曲げないで生きていくことはまず「不可能」に近い。

「私がディズニーランドに行かないわけ」の記事にも書いたが、そういう点ではディズニーは、時代の波に抗することはできなかった人物である。
彼は「ノンポリ」に近いとの評論もあるが、自ら「チクリ」をしたことは、その言葉以上に浅はかな人間性を感じる。
時代が時代だけにしかたなかったという意見もあるだろう。今の感覚で、当時の行動を断罪するなという考えもあるだろう。
その時代、ディズニーは、もちろん自分が、後世にどう評価されるなどとは考えてはいなかっただろう。
「今」を必死に生き抜くことしか考えてはいなかっただろう。

今、私たちがやるべきことは、その時代の制約の中で、彼の行ったことが、現時点の私たちの「知恵」から見て、どこが進歩だったのかを発見し、どこが課題であったのかを「評価」することだと思う。
それなしに歴史の進歩はないし、人類の進歩もないと思えるから。
ディズニーも、トランボも、私たちにとっては「貴重な教材」なのである。

重い心で、しかし充実した気持ちで、劇場を出ることができた。
歓楽街に放り出された私に、痛いくらいの寒風が襲いかかってきたが、それすら心地よいものに思えた。
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「幸福のとき」 そして「街の灯」

2017年01月07日 21時35分19秒 | 素人の劇評
立花座第2回公演
「幸福のとき」 東京芸術劇場 シアターウエスト
1/7(土) 13:00 星組

 「暖かい心でこの劇場からお帰りになる様」というパンフレットに書かれた主宰者あいさつの希望通り、
ほかほかとした気持ちで、池袋の街に解き放たれました。
 原作なのか、訳のせいなのか、役者の演技の質なのか、はたまた演出なのか、よくは分かりませんでしたが、始まったばかりの10分20分は、「なんて固い演技なんだ」「進行も荒っぽい」(工場主の言葉にいとも簡単に周りが信じたこと、小屋を逢い引き専門のホテルにして稼ぐところ、簡単に一目惚れする場面など)と思い、少し不安なスタートだなと案じていました。
 しかし劇が進むにつれ、その気がかりも払拭するくらいに劇中の世界に入りこんでいました。
 同時に、チャップリンの「街の灯」を思い浮かべました。
 
 20年前の北京が舞台とのこと。さしずめ日本では、昭和20年、30年代と重なるのでしょう。
 私が、物心ついたころのことです。池袋の街では、地下道に傷痍軍人がアコーディオンを奏でて募金を所望し、芸術劇場の脇には、闇市があって、伯母もその中でいて、生きるのに必死だったころ。
 隣り近所、知人、町ぐるみが、ともに「貧乏人」として括れた時代でした。だからこそ、みな、互いに底抜けに優しい。
 そんな頃だと思って観ればいいのだなと思いながら、展開を凝視していました。

 劇に登場する者達は、なんと優しいのだろう。もちろん「淫売婦」も、意地悪なその息子も。
 あからさまな悲観も楽観もないラストのシーンなのですが、「暖かな心」になったことは、この劇の、劇団の力によるものでしょう。

 どなたかも書いていましたが、子役は、みな好演技。今の子は、素晴らしい力を持っているのですね。

 役者のみなさんの「固さ」はあるものの、チームワークとポリシーは、しっかりと伝わってきました。

 今年最初に観た劇。素敵なものでよかった。

 
 
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