キリスト教のプロテスタント(新教)の開祖とも言える、ドイツのマルチン・ルター(ルーテル教派)が強く言っていた言葉に、「大胆に罪を犯しなさい!」というものがある。
95カ条の論題を幾ら当時のカトリック(旧教)の教皇庁に出してドイツ民衆を二分化して、支持を受けたとしても、そういった犯罪者製造装置のような言葉を残しているようでは、何もこの人物の褒章などは全くない。
浄土真宗親鸞の言葉にも、「善人なおもて往生を遂ぐ、況んや悪人をや」の悪人正機説。これも今現代では、各小説家・劇作家達により、単行本化・映画化などされてそれは勢いがいいが、そもそも、悪人が栄える社会を釈尊が望むだろうか。
今は西方極楽浄土にいるとされる阿弥陀仏など、釈尊が説いた架空の経典、世界である。或王女だかを慰める為に一時的に方便としてお説きになられた極小品の、あくまでも仮の教えであった。
実際にはこの世には一度も存在しない仏を奉る。おまけに親鸞の師匠の浄土宗の法然は釈尊の一番お説きになりたかった法華経を非常に軽んじた。
浄土思想の最たるものに「捨閉閣抛(しゃへいかくほう)」法華経を、捨てよ・閉じよ・閣(さしお)け・抛(なげう)て、とこう応じたのだ。
釈尊を大事に盛り立てている振りをして、実際は最大限に侮辱した。釈尊よりも阿弥陀仏を重んじたり、釈尊の極説中の極説の「法華経」を軽んじた事でそれは自明の理であろう。
だから、御本仏宗祖日蓮大聖人様は、四箇の格言で「念仏無間」と声を大にして御訴えになられたのだ。
それに対して、今現在の、親鸞ブームかどうかは知らぬが、日本人の一定程度に、あの世、極楽の世を求める姿がある。
何か死後に安楽を求める、生き方、姿勢。
これは先ほども述べた、キリスト教とも同じ信仰姿勢であり、この世以外に、あの世として、天国がある、などと、倒錯し、転倒した考えに基づく教えが既にこの国を始めとして世界中でも充満していて、この世とあの世とを間違った教え方捉え方で汚(けが)して、それで良しとする思想があるという事だ。
私にはそれは耐えられない。非常にこの世を軽視していて、命の重さというものを軽しめて、既に人間をバカにしている。
この世を刹那的に眺めて、何か困難が起こる度にパニックを起こし、破戒的な行動を取る、これら天国・極楽思想を持った思考の持ち主たち。
そんなヘンテコで、怖ろしい考え方を切り替えて、いち早く自分が間違った教えに染まっていたと悟り、日蓮正宗の軍門に早く下り戻って来ることだ。それ以外に道は無いものと是非知って欲しい。
以上。よしなに。wainai