正しい食事を考える会

食が乱れている中どういう食事が正しいのかをみんなで考え、それを実践する方法を考える会にしたいと思います。

米と麦の戦後史ー学校給食の裏面史 「アメリカ小麦戦略」からー2

2010-07-01 | 食事教育
前稿「米と麦の戦後史ー学校給食の裏面史 「アメリカ小麦戦略」から」の続き

学校給食の裏面史 「アメリカ小麦戦略 No.3」(後編) 鈴木猛夫

そのため給食は有料となり父兄の負担増加で給食辞退者が全国で210万人となり「学校給食の危機」が叫ばれた。翌28年には台風13号の被害に加え稲の大凶作が続き自給食糧が危うい時期であった。欠食児童救済は大きな社会問題に発展した。翌29年5月には学校給食法が成立し、パン・ミルク給食路線が確定した。
この昭和25年から29年の学校給食法成立までの過程でアメリカは官民両面から日本側にパン・ミルク給食推進の水面下での工作を続けた。さらにアメリカは余剰生産物を大量に日本国内で消費してもらうにはパンとミルクの給食を農村部にも広げるべきだと判断した。
昭和32年アメリカは文部省所管の財団法人・全国学校給食連合会との間に学校給食の農村普及事業の契約をした。連合会にはアメリカ側から活動費として5735万円が支払われ、農村部の小学校にパン・ミルク給食普及の活動が開始された。学校の教師、父兄等を集めてパン食の効用についての講習会が頻繁に開かれ昭和37年までに参加者は23万人にのぼり、農村部でのパン・ミルク給食普及の土台は作られていったのである。
この時期アメリカのベンソン農務長官も学校給食の視察に訪れている。アメリカはいかに余剰生産物の売り込みに懸命になっているかをアメリカ国民、特に農民たちにアピールする必要があったのである。それが選挙での票につながるのである。パン・ミルク給食定着までの過程を見てくるといかに日米の利害が一致した結果であるかがよく分かる。

学校給食の裏面史 「アメリカ小麦戦略 No.4」(前編) 鈴木猛夫

今までの3回の連載で何故学校給食がパンとミルクという形でスタートしたのか、その理由について述べてきた。アメリカ側には農産物の慢性的な過剰生産、過剰在庫の問題があり、そのはけ口として日本の学校給食が標的にされ日本に懸命に小麦売り込み攻勢をかけた経緯があった。そして日本側には戦後の厚生省の方針として「粉食奨励」策があり、主食を米からパンへの転換を国主導で推し進めたかった理由があった。
この日本側の事情を詳しくみてみたい。厚生省が何故米から粉食(パン食)への転換にこだわったのかは、戦前の脚気論争、主食論争の経緯を知るとよく分かってくる。日本人は長い間米を作り食べ続けてきたが、米が南方から渡来した頃の食べ方は玄米か糠の部分を少し杵(きね)でついた分づき米(ぶづきまい)であった。
長い間、澱粉質である胚乳と糠と胚芽が揃ったまま食べていたが奈良、平安の時代になると玄米をより白くついて白米にして食べる習慣が一部上流階級で流行した。その結果脚気が流行し、原因が分からぬまま長く悩まされてきた。
江戸時代になると江戸、大阪等の都市部の庶民階級にまで白米常食が広まり脚気の流行は深刻な事態となってきた。脚気は穀類の胚芽等に多く含まれるビタミンB1不足による神経障害で足の神経麻痺、眠気、だるさ、無気力感、脱力感に始まり、更には心臓を動かす神経の異常が起こり心不全を起こして死にいたる恐ろしい病気である。

学校給食の裏面史 「アメリカ小麦戦略 No.4」(後編) 鈴木猛夫

明治時代中頃になると電気による精米機の登場で米は更に白く精白され糠と胚芽がまったく無い状態で食べることが一般化したため脚気は全国的な広がりを見せ、脚気と結核が二大国民病と言われたほど患者が多かった。年間の脚気病死者が1~2万人となり、明治政府も対策に苦慮した。
明治の末になるまで原因が分からず従って一度かかると適切な治療法が無く死を覚悟するほどの難病であった。明治期の栄養学者、農学者等によって脚気の原因追求の研究、論争が繰り返されまさに百家争鳴であったがやっと鈴木梅太郎等の努力で胚芽に含まれるビタミンB1不足によって発病するのだと分かり脚気論争にケリがついた。
となると今度はでは米をどういう状態で食べたら脚気は防げるのかという主食論争が巻き起こった。七分づき米がいい、胚芽米だ、いや玄米で食べるべきだという三つ巴の大論争の末、昭和14年七分づき米が法定米になった。
ところが戦後は法定米が白米となり、脚気の流行が心配されてきた。戦前の主食論争で白米が良いと主張した栄養学者はいなかったにも関わらず、戦後の法定米が白米になった理由は次回に述べるが、戦前白米常食で脚気に悩まされた経験から、日本人には米よりもパン食のほうが合っているのではと栄養学者や厚生省は考え、粉食奨励が国策として強く推進された。学校給食でパン食が勧められたのもこういう理由もあった。
しかしこれはとんでもない問題を招くことになった。


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