2014年7月12日讀賣新聞に「生きる原点 食に有り」という記事があった。
料理、食べ方園児に伝えて
1964半世紀超えて
食の風景⑤
「うわあ1、おいしそう」 「早く食べた1い」 福岡市早良区の高取保育園。庭の釜から湯気が上がり、炊き込みご飯の香りが漂うと園児たちが元気いっぱいに声を上げた。
この日は週に1度、園児が料理する日。「左手は猫の手にして添えてね」 「リズム良くだよ」。朝から包丁で野菜を刻む園児に、園長の西福江さん(84)が優しく声をかけた。
給食はいつも、玄来に切り干し大根の煮物、納豆、みそ汁といった昔ながらの和食。みそや漬物は園児の手作りだ。その食育に、各地から視察が相次ぐ。
この半世紀、食卓の風景は大きく変わった。「お袋の味を取り戻しましょう」。
西さんがこう訴えて数十年になる。
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開園した1968年、日本は東京五輪を経て発展を続け、国民総生産(GNP)は世界第2位になった。仕事を持つ女性が増え、食の風景も転換期にあった。
開園から間もない頃、ある母親が娘を連れ、涙ながらに言った。「母子家庭で
私が働かないと生活できないのに、どの園も娘を預かってくれない」。娘はすぐに手足をかき、皮膚は赤く血がにじんでいた。 アトピー性皮膚炎という病名はまだほとんど知られていなかった。西さんが受け入れると、「うちの子も」と同じ症状の幼児が次々と入園した。
保護者と話すうちに、食生活が気にかかるようになった。学校給食でパン食が広がるとともに、家庭でもハンバーグやトンカツ、ソーセージなど高脂肪、高たんぱくの洋食が増えていた。働く母は時間に追われ、冷凍食品や出来合いの総菜が重宝された。
アトピーの増加と関係があるのでは……。アレルギーと食の関係を指摘していた医師のもとに職員が行き、他の保育園や保護者と食に関する勉強会を始めた。得た結論は「和食が体にいい」ということだった。
園で与えていた菓子をやめ、給食は玄米に。無添加の調味料を使い、野菜のうまみを生かした料理にした。子供たちの皮膚から赤みが消えていった。
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♪よくかめよ、食べ物を かめよ、かめよ、かめよ 体が強くなるー
園舎は昼になると、園児たちの元気な歌声が響く。玄米ご飯を一口ほおばり、当番の子が100回数える間、かみ続ける。少ない量でも満腹中枢が刺激され、「むだ食い」をしなくなる。
箸の使い方、食器の片づけ方など基本的な所作も教える。食を通し、生きる力を養う取り組みだ。 多くの園児に携わった西さんには、忘れられない親子がいる。2008年夏に33歳で亡くなった安武千恵さんと5歳たった娘のはなさん。「食べることは生きること」と千恵さんは言い、末期がんと闘いながらはなさんに包丁を握らせ、みそ汁の作り方を教えた。
はなさんは母の死後も毎朝、父親の信吾さん(50)にみそ汁を作り、小学6年生になった今も続けている。
失意の日々を乗り越えた信吾さんは、「1杯のみそ汁にどれだけ救われたことか」と振り返る。
父子と交流がある西さんは、改めて「生きる原点」が食にあると感じている。
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園では、園児たちに料理や稲作を体験させる食育のほか、地域住民らを対象にみそ作りなど料理の教室も開く。子育て世代の主婦らが特に多く集まるという。
西さんは、「本物を伝えられた子供は、親になっても本物を子に伝える。昭和30年代に当たり前にあった食卓の風景を取り戻したい。健康を考えると、待ったなしの時が来ている」と強調した。 (迫田修一)
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1.ここには私が提唱している食事教育実践されている。
2.私もここで玄米の「ごはんと一汁三菜」を学んで冊子を作ったことがある。
3.和食は体に良いアトピーが良くなる、実体験の声は説得力がある。
4.学校給食を完全米飯給食にべきだと強く思った。